本日4話目です。

 

何とか新日本プロレスに入門することができたのですが・・・

 

新日本プロレスといったら入門できても

デビューするまでの下積みが業界一厳しいことで有名なんです

 

夜逃げする者あり・・・

病院に運ばれ帰って来なかったものあり・・・

脱落者続出!?

 

入門できても1人残ればよい方といわれるくらい

厳しい新日本プロレスで安沢はどんな生活を送り

生き残りデビューまでこぎつけたのか?

 

今回は新日本プロレスでの生活の全貌をお届けいたします!!

 

 

新日本プロレス寮、入寮。新弟子たちの地獄の日々の始まり・・・

 

裸一貫、背水の陣で挑んだ世田谷は野毛の新日本プロレス合宿所に入寮!!

新弟子が入寮する寮と道場は併設されていて先輩レスラーなど

テレビで見ていたレスラ―達が沢山出入りしています。

 

 

玄関を入ってまずびっくりするのが靴のデカさ!

40㎝超えの靴がところせましと乱雑に脱いであります。

そして巨人たちがひしめき合っています・・・

とんでもないところに来たなという感じでした。

 

 

そして、新弟子にとって最も苦痛になるのが・・・

プロデビューするまで外出禁止!!

3話でもお話ししましたが、どのくらいでデビューできるかは

その人によります。

バックボーンがある人は数か月でデビューなんてこともあります。

 

 

私の場合、体も小さく大きなバックボーンのなかったので

デビューまでに1年はかかっています。

その間はもちろん外出禁止・・・

苦痛以外のなにものでもなかったですね(笑)

 

 

元アントニオ猪木邸の合宿所兼道場での生活をご紹介

お待たせいたしました!

新日本プロレスの新弟子の生活の実態をご紹介いたします!!

ファンにはたまらない話かもしれません(笑)

では、早速ある一日をご紹介させていただきます。

 

※出典:Googleマップ

写真は左が道場、右が寮になっていますが数年前に建て替えてかなりきれいになってますね。

 

 

8時半     起床、掃除

10時~13時 練習

※ちゃんこ番は練習には出ず食事、お風呂を沸かしたり

練習後のレスラーを迎える準備をします。

入門まで飲食店でアルバイトが多かったので料理が得意だったこともあり

「野毛のケンカ番長」なんてあだ名をつけられていましたね(笑)

 

13時~    先輩達の食事が終わったら最後に食事

15時以降   先輩の洗濯など雑務

夕方以降    2度目のトレーニング(2時間くらい)

※先輩レスラーとのスパーリングだったり、ウエイトトレーニングだったりをみっちりやります

20時     各々食事

23時     ようやく解放・・・自分の部屋に戻れます

 

 

寮は2階建てになっていて2階が新弟子たちの寝る部屋になっています。

1階は食堂やお風呂があり、先輩レスラーも利用します。

新弟子は朝起きてから自分の部屋に行けるのは23時を過ぎてからなのです。

それまでは下で先輩の世話などを行います。

何もなくても直立です・・・

 

 

これが地味にきつい・・・

体力的にきついもありますが

〇クザのような厳しい世界ですから

その空間の緊張感がキツイ(苦笑)

 

普通のサラリーマンで言ったら勤務時間が9時半から23時。

そんな空気の中、それを延々と続けるわけです。

いつデビューできるかわからない中

外に出ることもできずデビューするまでです。

 

 

それに耐えられたものだけがデビューし

華やかなリング上に立つことができるのです。

私が入門したときはテストを受けた人数が100名近くで合格したのが4名。

うち二人は入門後まもなく辞めています。

 

 

一人が夜逃げ・・・

一人は厳しい練習中に倒れ救急車で運ばれそのまま帰ってこず・・・

残ったのは私と現在も活躍中の後藤洋洋央紀選手です。

 

正に地獄の日々の始まりです・・・・

 

新弟子たちのデビューまでの閉ざされた新日本プロレス道場での古典的トレーニング

地獄の日々が始まったわけですが

どんなトレーニングをしていたかというと

「ザ・古典的トレーニング」

でした。

 

うさぎ跳びに腕立て伏せといった感じです。

基本的に新弟子のトレーニングはとにかくキツい!!

徹底的にしごかれるのです。

 

 

私が新弟子時代の若手のコーチは「木戸修」さんで

まさに「ザ・古典的トレーニング」といった方でした。

※木戸さんといえばプロレスの神様と言われている

「カール・ゴッチ」のアメリカの「カール・ゴッチ道場」

の門を叩き、ゴッチから直接レスリング技術を学び

ゴッチに「ムスコ」「私の領域に一番近づいた男」

とまで言わせた人物であります。

 

 

「カール・ゴッチ」といえばマシントレーニングによる

「見せる筋肉づくり」を嫌い、古典的なトレーニングを重視する方でした。

 

【ある日のトレーニングメニュー1】

≫午前

・5キロのダンベルを持ってヒンズースクワット1000回

・5キロのダンベルを持ってジャンピングスクワット50回×5セット

・レスラー式プッシュアップ50回×5セット

・ノーマルプッシュアップ50回×5セット

・リングから上半身を出した背筋50回×3セット

・トランプ・・・トランプを一枚ずつめくっていきでた数を

スクワットや腕立て伏せをトランプがなくなるまで行う。

 

・ロープのぼり 3往復×3セット

・コシティ

・タイヤ押し

・ブリッジ5分×3セット

・ブリッジワーク

・ロープワーク

・息上げ10本

・受け身

・スパーリング

 

≫午後

・ウエイトトレーニングの自主トレ60分

・レスリングなどの技術練習 

 

 

【ある日のトレーニングメニュー2】

≫午前

・近所の長くて急な階段ダッシュ10往復

・近所のかなり急な坂道を坂道ダッシュ10本

・多摩川に移動して土手でジャンピングスクワット50回からの50メートルダッシュなど色々なバリエーションからのダッシュ20本

・60分のランニング

・スクワット1000回

・縄跳び5分5セット

・アヒル歩き

・先輩についてウエイトトレーニング 約30分

・ブリッジワーク

・受け身

・スパーリング

 

≫午後

・ウエイトトレーニングの自主トレ60分

・スパーリング

 

 

真夏になると道場は閉めきり40度までに上がります。

その中で水は一切飲んではいけないという

メチャクチャ体に悪いしきたり 笑

現代では考えられないトレーニングといったところですね。

脱水症状で倒れても当然のような気もしますが

ギリギリのところで、師匠アニマル浜口さん譲りの気合い頑張っていました。

 

 

さらに、トレーニング中は

座ることも許されず

中腰で膝に手をつくことすら許されず

腰に手をあてることすら許されない

 

 

今考えるとよくやっていたなと思ってしまいます。(苦笑)

肉体面はもちろん精神的に相当鍛えらます。

それが毎日続くんです。

 

 

23時にようやく解放され自由の身に!!

翌日の朝9時半までが唯一の至福の時です。

しかし!!寝たらすぐに朝が来てしまいます・・・

また厳しい練習が始まるわけですから

寝るのが惜しくて惜しくて・・・

 

 

疲れているのになかなか寝れないのです・・・

寝付けないわけではありません(笑)

小さい子供が眠いのを我慢しながら

起きて遊んでいるのと同じ感じでしょうか(笑)

 

 

プロレス古典的トレーニング種目のご紹介

当時のトレーニングメニューを分析すると、正に基礎トレ!!

精神修行!!

といったところですね。

 

 

 

・「ヒンズースクワット」

レスラートレーニングの代名詞ともいえる「スクワット」

詳しく言うとレスラーが行うスクワットは「ヒンズースクワット」

と言って大きく腕を振り、反動をつけて、スピーディに行います。

 

 

しゃがんだ時にはかかとも浮かせ、つま先一点立ちになるので

バランスも必要であり膝もかなり前に出るので通常のスクワットとは大きく違います。

 

最高回数は3000回!!

3時間かかりました。苦笑

 

 

・「ジャンピング・スクワット」 

これもまたレスラートレーニングの代名詞です。

その場でジャンプしてスクワットでなく前後にジャンプ

しながらの独特なスクワットです。

 

 

ヒンズースクワットと同様で着地の時にかかとを

つかないのでバランス力も養われます。

 

 

専門的に言うと「プライオメトリクストレーニング」です。

筋収縮速度をアップさせるための、エクササイズです。

プロレスラーには100キロくらいある大きくて重い体を

俊敏に動かす必要があります。

 

 

単に外見だけの大きい筋肉ではなく

瞬発力、スピード、動作バランスなども必要なわけです。

そのためのエクササイズとなっていたのがジャンピング・スクワットだったと考えていいでしょう。

つまり、「使える筋肉」を作り上げることができるのです。

 

※スクワット系の運動ではダンベルを両手に持ってやることも多かったです。

ほぼ自重トレーニングにもかかわらず、太ももは階段の上り下りが

しんどいくらいの激しい筋肉痛が毎日。

そして、筋肉痛があろうとも毎日スクワットを行います。

結果、当時の脚の太さは半端なかったですね。

 

トレーニングの原理原則をぶち壊していましたね(苦笑)

低重量、高回数、回復期間なし

筋肥大が半端なかったです。

 

 

「レスラー・プッシュアップ」レスラートレーニングの代名

これはダイナミックストレッチといっていいですよね。

ウォーミングアップに適しています。

試合前など会場で行っている選手も多いですから

理に適っているといっていっていいですよね。

 

・「コシティ」

※出典:中西さんTwitter

 

プロレスの神様といわれるカール・ゴッチから

アントニオ猪木さんに伝えられ

新日本プロレスの道場での伝統的なトレーニングの一つとなっています。

 

わかりやすく言うと重さ10キロのこん棒を両手に2本持ち

そのまま肩の上まで担ぎ上げて前後左右にグイグイと色々な動きで振り回します。

分かりやすくないですよね・・・笑

 

 

これがまた大変でベンチプレスを余裕で100キロ上げれる人でも

なかなかこれはできないんです。

効果としては

 

肩関節の柔軟性アップ

可動域アップ

握力強化

体幹筋群を使いながらの上半身のコントロール

 

 

となかなか理にかなったエクササイズのように感じます。

 

 

タイヤ押し

スープレックス系の技を行う際、綺麗なブリッジは必要不可欠です。

胸郭の柔軟性獲得のためのストレッチになっていました。

私の得意技の一つもブリッジを効かせた

ジャーマンスープレックスでした。

 

 

ロープのぼり

※出典:Tarzan

 

これはレスリングや柔道のトレー―ニングでも古典的に行われているトレーニングですよね。

競技の特性上、相手と組むのでつかんだら離さない握力、ひきつける力が重要になってくるのでその力を養うのにはもってこいのトレーニングです。

 

 

レスラ―にいたってはかなりの100キロくらい体重があるので

腕の力だけで上るのは容易ではないのでかなりの高強度なエクササイズです。

 

 

トランプ 

トランプを一枚ずつめくっていきでた数をスクワットや腕立て伏せを

トランプがなくなるまで行うわけですが、いかにも昭和といった伝統的なトレーニングです。

 

 

スタミナアップと精神修行でしょう。

真夏には40度を超える道場でこれを永遠に行うのですから精神修行という他ありません(笑)

 

ロープ引き

写真では手をつかんで引き合っていますが、ロープを引き合ったりもします。ロープのぼり同様引き付ける筋力の強化ですね。

 

 

息上げ

約1分間を指示通りに全力で動き続けます。

例えば腕立てと言われたら高速で動きを繰り返し

腹筋と言われたら高速で動きを繰り返していきます。

心拍数がかなり上がるので心肺機能の向上に高い効果があります。

 

 

プロレスは試合時間が長く相手と組んでいることも多く

力が入った状態が長時間続くためこのトレーニングで心肺機能を

強くしておくことが必須です。

すぐにスタミナ切れを起こしてしまい動けなくなってしまいますからね。

 

HIITってやつですね。

 

恐怖の!?「ブリッジワーク、受け身、スパーリング」

この辺はレスリングに必要な体の動きを習得するためのエクササイズです。

とにかくきついの一言(笑)

 

ブリッジにしても全身を使います。

5分間という時間が長い長い・・・

さらに人をお腹に乗せながら

ブリッジしながらベンチプレス

と訳が分かりません・・・笑

後半にやるこのブリッジ本当にキツかったな~笑

 

 

受け身にしても基礎トレが終わった後半行いますから

体はフラフラでうまく取れなかったり・・・

うまく取れないということは痛いですね(笑)

うまく取れるまで終わらないので想像以上にキツいの一言・・・

 

 

スパーリングにしても体の使い方や相手の体のコントロールの仕方を学んでいきますが

相手がレスリング・柔道で全日本選手権で優勝していたり

オリンピック強化選手だったりの100キロ以上ある先輩レスラーです。

 

 

スポーツバックボーンが全くなかった雑草の私なんて

全く歯が立たないわけです。

さらに疲れ切った中でのスパーリングですから

ぼろ雑巾のように扱われ酷いものでした。

 

恐怖のイジメ技!?「ラッパ」

業界用語で「ラッパ」というものがあります。

スパーリング中こんな状況だと疲れて動けなくなってしまいます。

すると先輩レスラーは100キロの巨体で私の顔面に覆いかぶさってくるんです。

息ができなくて窒息状態になるので暴れるわけです。

 

 

窒息しそうになると少し体をずらして逃げさせ空気を入れさせる。

その時の空気の入る音がラッパの音に似ているから「ラッパ」

といわれるようになったらしいです。

これを延々と繰り返して強制的に動かされ続けるわけです。

 

 

まさに地獄・・・

まあ「イジメ技」ってやつですね(笑)

今思えば、そう言った事を乗り切ったからこそ

精神的力が養われたんだと思います。

レスラーには強靭な精神力が必要ですからね!!

 

レスラーを目指している人に耳寄りな情報!?

こんな感じで新弟子時代は自重トレーニングがメインになってきます。

ということは入門当時は体重が軽い方が有利なんです!!

頑張って体をデカくして入門するとこの基礎トレでやられてしまいます。

細身だった私にはよかったんですね(笑)

 

 

 

というお役立ち情報!?が出たところで

結構な長文になりましたが

本日はここまで!!

 

次回もお楽しみに~

 

 

 

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と言う事で予告をさせていただいたところで

話は少し変わります。

  

 

本日のお話は

【売れるパーソナルトレーナーになるための勝利の法則とは!?】

 

 

実は、私はプロレスラーを辞めた直後は飲食店を開こうと飲食店で料理、経営の勉強を約5年間くらいやっていた時期がありました・・・

当時はなんの経営知識もなく、ただ何となく「スポーツ居酒屋」をやりたいと思っていたんです。

 

 

飲食店経営は誰もが手を出しやすく始めやすいので、競争率も激しく閉店率も高いです。

閉店率は1年目で約3割。 2年目になると約5割が閉店し、3年目では7割にも達する。

と言われています。

 

 

今ならその原因がよくわかります。

 

結局オープンする前にしっかりとしたマーケティングをせず、私のように「こんなお店をやりたい」と言う自分の想いだけでしっかりとした準備もなく始めてしまうからなんです。

 

 

「マーケティング」とは簡単に言ったら「売れるための市場調査」と言う事ですね。

言い方変えたら「失敗しないための市場調査」

 

 

この市場調査ってものは中々難しいもので、この市場調査を完璧にできて、それに応じた商品作りができれば勝ったも同然と言っても過言ではないくらい重要な部分です。

 

 

当時、私が知り合った五反田で居酒屋をされていたある方。

会う度に飲食店経営を辞めることをススメてきました😅

この方の持論はこうです。

 

 

お客が増えないから1人1人のお客様を大事にたいと思って、次から次へと出てくる要望を聞いるんだけど、それに応えるのが大変で仕方ない・・・

要求もエスカレートしてきりがない・・・

経営も苦しい・・・

割りに合わない・・・

居酒屋なんて大変だから辞めたほうがいい

 

 

ある意味マーケティングのやり過ぎですね😅

ちょうどよい塩梅というのが難しいですよね

重要なのは

 

マーケティング(お客様が求める物)

×

自分の強み

×

心の底からやりたい事である

 

どれか一つでも欠けると失敗してしまいます。

 

先程例に出した居酒屋さんのケースの場合「自分の強み」がそこに掛け合わされていなかったから経営が苦しかったんですね。

 

 

また、トレーナーで多いのは逆のパターン。

 

 

マーケティングができていなくて、自分の強みばかりを一方的に押し出していく。

要するに「お客様の声=お客様が欲しいもの」を聞いていない商品ですからお客様は買ってくれません。

 

 

私の師匠は億を稼ぎながらも未だに現場に出て、お客様の声を拾うマーケティングを行っています。

 

 

それだけマーケティングというのは大事で、先ほどの方程式になっていなければ売れるパーソナルトレーナーにはなれない!と言う事ですね。

 

 

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では、この2つのやり方をパーソナルトレーナー経営に特化した形で、そのやり方を詳しくご案内しています!!

 

 

是非ご登録下さい!!

 

 

因みに

 

『私がなぜデビュー3ヶ月の下っ端レスラーで最弱だったにもかかわらず、視聴者投票で1位を獲得して年間最大興行「東京ドーム大会」に出場することができたのか?』

 

その裏側もお話ししております!!

 

お楽しみに~♪

 

 

新日本プロレスに入門できるまでに4年間かかっているのですが

なぜこんなに時間がかかったのか?

そして、なぜ甘ったれでチビのクソガキが

 新日本プロレスの入門テストに合格することができたのか?

  

  

そして、ここでも壁があったというところまでが前回までの流れです。

 

イタイイタイ症候群発症!?

性格が完璧主義過ぎて、少しでも体が手負いの状態ではダメだと思っていたんです・・・

どういうことか?

柔道時代の古傷の手首・膝の痛みでトレーニングが思うようにできず4年間一歩が踏み出せなかったんです。

しかし、その痛みは実はたいしたことなかったんです。なんというか・・・神経質すぎただけなんです(苦笑)

 

 

どこの病院に行っても治ることのなかったこのイタイイタイ病を治してくれた命の恩人がいます!!

その方は、今は亡日体大運動処方研究室の堀井昭先生!!

先生との出会いは一冊の本がきっかけでした。

 

 

先生の著書「スポーツ障害の克服」という分厚いマニアックな専門書です。

1冊8,000円!!中々のお値段ですね。当時の私からしたら大金ですね!!笑

 

 

私のこのイタイイタイ病を治してくれるのはこの確かいないと思い、藁をもつかむ思いで日体大に電話をして強引にアポを取りつけ見ていただくことができました。

 

 

少し話がそれますが、運動処方研究室があるのは世田谷の桜新町でした。

用事がない限り、行くことがなかなかない桜新町でしたが、プロレスデビューして間もなく、天龍源一郎さんの付き人をすることになり、デビュー後初勝利したときにお祝をしていただいたのが、桜新町の天龍さんのお店のお寿司屋さんでした。桜新町つながりで感慨深いものがあったことを覚えています・・・

 

 

診ていただいたことがきっかけで、私の感じていた痛みが神経質になりすぎていただけの痛みだったことが分かり、吹っ切れたのはそれからだったんです!!

堀井先生には感謝してもしきれません。

先生がいなかったら今の自分がいないと思えるくらいの存在ですね。

 

 

と同時に今思えば私の行動力にも頭が上がらないですね(笑)

 

 

私がパーソナルトレーナーをやることになったきっかけはプロレスラーデビューする前にあった

実は新日本プロレス入門前からゴールドジムでパーソナルトレーニングを2年近く受けていたんです。

約20年前の話ですから、パーソナルトレーニングの先駆けですよね。

ゴールドジム内に貼ってあるパーソナルトレーナーの紹介から直接トレーナーの方へ電話をしてお願いしたことをよく覚えています。

 

 

そのパーソナルトレーナーの方がたまたまアントニオ猪木さんとゆかりのある方で、とてもよくしていただきました。

プロレスを止めた後、パーソナルトレーナーをやることを相談させていただいたのもこの方でした。

 

 

そんなこんなでアニマル浜口ジムでのトレーニングを行いながらパーソナルトレーニングも受けながら新日本プロレス入門テストに受かるべくトレーニングの日々に明け暮れていたんです。

 

受けるつもりのなかった入門テスト!?で受かっちゃった・・・

↑本邦初公開の20歳の時の写真。まさに「イモ」笑

 

当時まだまだ修行が足りないと思い年に1回の新日本プロレスの入門テストでしたが、1年後にと考えていました。浜口ジムでのほぼほぼ同期だった、現在も現役で頑張っているKAI選手に受けることを進められました。

このタイミングで受けるつもりはなかったのですが、翌年の本番に向けて予行練習しておこう!!

くらいの軽い気持ちで受けたのが気負わづにできたところだったんでしょうね・・・

 

 

なんと準備不足にもかかわらず受かってしまったんです!!

その年の入門テストでは数十人受けて結果は4人合格。

その翌年は新弟子をほとんどとらない方針だったので1年後に受けていたら合格できていなかったでしょうね・・・

 

 

タイミングってあるんですね・・・

 

入門してからが地獄の始まり・・・

合格で喜んでいられません、入門してからデビューするまでがもっと大変なんです!!

新日本プロレスは業界一のメジャー団体。そして、厳しさも業界一なんです。

黒い物でも先輩が白といったら白というのは当たり前

 

デビューするまで外出禁止!!

 

これが何よりきついんです・・・

私のように何のスポーツ実績もないような人間はエリートと違いデビューするまでに時間がかかるんです。

 

エリート→半年くらい

スポーツ実績ない→1年くらい

 

実際デビューするまでにかかった期間は約1年間・・・

1年間外出禁止ですよ・・・

しかも、当時の寮長の計らいで!?デビューしたにもかかわらず、3か月延長!!!

先輩によるしごき!?は厳しかったな~笑

 

 

不退転の覚悟で新日本プロレス入門

さて話は戻ります。

私は上京したときにこう決めて出てきました

 

「新日本プロレスでプロレスラーとしてデビューするまでは実家新潟には帰らない!!」

 

新日本プロレスから入門テストの合否が手紙で届くのですが合格通知を見た瞬間は嬉しくて”天にも昇る”気持ちだったことを今でも鮮明に覚えています。

しかし、それは本の一瞬。

そのあとに入門して量に入り厳しい練習生生活が始まることを考えたら一瞬にして身が引き締まってきました。

 

 

当時やってたアルバイトは1か月後には辞めさせていただき直ぐに新日本プロレス合宿所に入寮。

11月くらいに合格が決まり12月には入門したことを覚えています。

4月を待って入寮するケースが多いようですが私は覚悟を決め、直ぐに入寮しました。

 

後はないという覚悟で、当時住んでいたアパートのまだまだ使える家財道具、テレビから色々な物全てを廃棄業者に持っていってもらい、まさにカバン1つの状態で世田谷野毛の道場に向かいました。

 

 

夜逃げする者あり・・・

病院に運ばれ帰って来なかったものあり・・・

脱落者続出!?

入門できても1人残ればよい方といわれるくらい厳しい新日本プロレスで安沢はどんな生活を送り、生き残りデビューまでこぎつけたのか?

 

次回は新日本プロレスでの生活の全貌をお届けいたします!!

 

どうも!パーソナルトレーナー専門ブランディング経営コンサルタント安沢です!

 

■集客ができる

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こんなパーソナルトレーナーを沢山育成したいと思っています!!

 

 

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強さへの憧れのきっかけは実はプロレスではなかった!?

「モンキータンブリン」により「変わり者」へと変貌を遂げるきっかけとなったのが前回までの流れです。

 

中学校時代は健全な生徒を装って3年間過ごしてきたつもりです(笑)

勉強の方も小学6年生の時にワースト3からベスト3に上がったことをきっかけに

塾に通う用になったりで勉強も頑張るようになってきていましたね。

 

 

運動はなんと野球部!?

「あれ?柔道などの格闘技をやっていなかったの?」

と突っ込まれることが多いのですが、格闘技を始めたのは高校からなんです。

ただし、この中学生時代に運命を変える出会いがブラウン管を通してあったんです・・・

 

それは

 

「金曜ロードショー」

 

ご存知でしょうか?

知っている、人知らない人と年代によって分かれると思いますが、映画専門の番組です。

その時に見たアクション映画がきっかけで強さへの憧れがどんどん強まっていきます。

プロレス自体は小学生のころから見ていましたが、プロレスラーの強さとはまた違った感じでしたね

 

あるハリウッドスターがきっかけで・・・その名前は・・・

その映画名は・・・

 

「死の標的」

 

 

って引っ張りすぎですね(苦笑)

 

主人公の俳優名は

 

「スティーブン・セガール」

 

彼の映画はB級映画だ!と言われる由縁は・・・

見た人なら分かると思いますが何しろ強すぎる!

子供ながらに彼のリアルなアクションにくぎ付けになったんです。

そんな中学生時代を終え、高校受験を迎えます。

 

変わり者に拍車がかかった高校時代

そういえば、大きな声では言えませんが高校受験の前にある大きな問題!?

を起こしてしまって親にも心配をかけてしまいましたね。

想像にお任せします(笑)

う~ん・・・中学時代も一波乱ありでしたね(苦笑)

 

 

そんなこんなでも何とか地元で上位の高校に進学することができ親も一安心。

さて、この高校時代が「変わり者」拍車がかかってしまうわけなんですが・・・

もともと内向的で恥ずかしがり屋!?だったこともあり

中学校までの仲間と離れた高校では友達を作れず一匹狼を貫いて3年間を過ごすことになるんです・・・

 

人生で最も苦痛だった!?1匹狼を貫いた3年間

皆で協力するような運動会などイベントごとはサボりまくり(苦笑)

昼食も1人!?常に1人行動を貫きます!!笑

そして、部活動は入部せずに町の武道館で行われていた

大学生の柔道部の稽古に仲間に入れてもらっていました。

 

 

私の高校には柔道部がなかったです。

高校入学時はプロレスラーになろうなんて思っていなかったことが分かりますね。

その町の武道館で別の学校の柔道部の先生との出会いがありまして

その高校への柔道部へ通うことを誘われたんです。

 

それからは、自分の高校が終わるとまたまた1人!で別の高校まで行って柔道をやる。

そして帰ってきたら食事もせずに村に体育館に、その足で出掛けて筋トレをやる。

そんな日々を過ごしていました。

 

とにかく1匹狼が苦痛で仕方なかった高校の3年間でしたね・・・苦笑

 

運命の分かれ道!!親、先生と進路でおおもめ!?

私は進路を大学に行くわけでも、職につくわけでもなく

プロレスラーになるという道を選んだんですが

先生には大反対を食らい

親には・・・何も言われず!?

 

 

親は一度決めたら曲げないと言う私の性格を知っていましたので

反対も賛成もせず。

のような感じでしたね(苦笑)

その後は鞄1つで上京することになるのですが・・・

 

鞄1つで甘えったれのクソガキが上京

 

甘えったれのクソガキで育てられた「変わり者」だったので大変でした

当時で言う「フリーター」ってものをやりながら

(皿洗いから色々なことやりましたね・・・)

プロレスラーを目指すことになるんですが

私が目指していたのが業界でもトップのメジャー団体

 

「新日本プロレス」

 

「新日本プロレス」と言ったらアントニオ猪木さんが作った会社ですね

オリンピック出場者、全国大会での格闘技優勝者などエリートが集まる団体です

そして、入門規定は一応180㎝以上。

私の身長は175㎝。

 

例外もあったので頑張れば伸長の足りない分は補えると思っていました(笑)

そして、私には何のスポーツ実績もなかったので

そんな自分がプロレスラーになる一番の近道は

「アニマル浜口ジム」で鍛錬を積むことだ思い

 

約4年間?だったかな?通うことになります。

「気合いだー!!」

のアニマル浜口さんですね。

私の師匠でもあります。

 

浜口京子さんとも一緒にトレーニングをしていました。

懐かしい記憶がよみがえってきますね・・・

 

 

当時の1日は朝6時から15時までホテルのレストランで調理のアルバイト

15時~17時まで買い出し&3日分の料理をまとめて作る

17時~22時までランニング&筋トレ

 

 

筋トレはゴールドジムやレスリングクラブにも

通って掛け持ちしていたのでとにかくストイックでしたね~

そして帰ってきてから食事をしながら洗濯機をまわす

寝るのは1時くらいででしたね。

 

 

毎日ヘトヘトでしたが若さで何とか乗り切っていましたね(笑)

新日本プロレスに入門できるまでに4年間かかっているのですが

なぜこんなに時間がかかったのか?

そして、なぜ甘ったれでチビのクソガキが

 

新日本プロレスの入門テストに合格することができたのか?

 

 

ここでも壁があったわけですが何とか道を切り開いていったんです。

 

それはまた次回に・・・

 

 

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めちゃくちゃ環境の良い場所で生まれた子供時代

新潟県刈羽村という

海、山、川と自然に恵まれた

ど田舎で生まれました。

 

 

家族構成は自動車部品を作る会社に勤務するサラリーマンの父と専業主婦の母の長男として誕生し両親と弟の4人暮らし。

 

 

子供時代はやんちゃすぎて!?

親の手を煩わせていましたね・・・

想像に容易いと思いますが(苦笑)

 

 

例えば・・・

小学生時代、学校のガラスを割ったり、友達をケガさせたり・・・

そして、勉強は学年でワースト3に入る学力!

ここまでは想像通りかもしれませんが、なんと予想外の出来事が!?

 

 

小学校6年で唯一好きだった理科のテストで学年でベスト3入りを果たすんです!!

ワーストからベストに逆転!!

 

 

クラスでみんなの前で先生に発表されたの嬉しかったな~

今でもその光景が鮮明に脳裏に表れてきます。

 

今の私を作る核となる部分は小学生時代の ”あること” がきっかけだった

私の小学校では「マーチングバンド」という歩きながら楽器の演奏するものを全生徒がやることになっていました。

運動会などのイベント時に発表します。

問題は何の楽器を任されるのか!

という点なんです。

かっこいいのは、指揮者やトランペットなどですかね

そのほかにもドラム、トロンボーン、フルート、チューバなどなど・・・

私はどの楽器に選ばれたと思います?

 

 

ぜーーーーったいに担当になりたくなかったものになってしまったんです!?

 

その名も

 

「モンキータンブリン」

 

皆さん知っていますか?

これです↓

 

ドラム、トロンボーン、フルート、チューバなどなどかっこいい楽器と比べると・・・

子供ながらに「モンキータンブリン」ってめちゃくちゃダサかったんです。

この楽器を担当することが、今の安沢という人間の核になる部分を作ったと言っても過言ではありません!!(笑)

 

 

ドラム、トランペットなどの楽器は、それぞれ5人くらいは担当者がいたんですが

モンキータンブリンだけは1人なんです!!

しかも!!

 

ソロの部分があるので

 

サボれない!

 

目立つ!

 

なんといっても、あの「モンキー」という響き・・・あの容姿・・・

子供ながらに恥ずかしさの境地だったんです。

担当を発表された日、親に言う事ができませんでした。

まさか私が「モンキータンブリン」の担当になるなんて・・・

 

 

って感じですかね(笑)

 

モンキータンブリンが○○という人間形成をされた!?

単刀直入に「変わり者」という人間形成をされたわけです!

このエピソード10年前に母校の「教えて先輩」の講義で話したな・・・(笑)

それ以降は嫌々マーチングバンドの練習をすることになるのですがそんな態度で練習しているものですから、あるある話で体育の怖い先生にボコられまして(苦笑)

 

 

そんなこんなで何とか小学校卒業。

当時を振り返ると「モンキータンブリン」の担当になったことが

 

人と違うことに快楽を得る

 

につながっているんですよね。

日本の教育が関係していると言われていますが

日本人は「みな一緒」に安心感を得る傾向があると思います。

逆に、みなと違う事には不快を感じたり、悩んだりする傾向がありますよね。

 

 

私はみなと同じが大嫌いで

みなと違うと安心感

を得ます。

 

「ブランディング」においてとても大事なことを「モンキータンブリン」から学んでいた!?

これってパーソナルトレーニングでも、何のビジネスでもそうですが

「目立ってなんぼ」「人と違うことをしてなんぼ」の世界ですから

みなと違うことをしていく発想がとても大事になってくるんですよね。

この「モンキータンブリン」によって作られた「変わり者」という性格

 

高校時代にはさらに拍車がかかることになり・・・

みなの反対を押し切って、ある道へ進むことを決断することにつながるんです。

 

続く・・・