3月11日より8ヶ月がたちました。
先週の金曜から、妹と宮城の実家に帰ってきました。
今年は震災もあり何度も帰ってるけど、やっぱり生まれ育ったところはいいな~
紅葉は終わっていたけど、運よくお天気もよくあたたかくて、寒かったのは朝晩だけでした。
そして、今回は初めて被災地を訪れました。
見に行くだけなんてことをしてもいいのか。でも忘れないためにも見ておきたい。
兄に 「ショックを受けるから見ないほうがいい」 と言われた時期もありました。
ずいぶん考えたんですが、妹が2度ほどボランティアに参加して被災者の方とお会いしたときに
「見ていって忘れないでいてほしい」 と言っていたという言葉を聞いて、見に行こう、と思いました。
よく知っている道を海に向けて走り、山を下ったところで、突然、壊れた船が田んぼに見えました。
「え?」と思った瞬間、ここまで津波が押し寄せたことを聞き驚きました。
家の土台だけがいくつもあり、津波の被害がそこにあるけど、海まではまだまだ距離があるのです。
「なんで・・・なんで・・・」
その言葉だけしか発することができませんでした。
子供の頃から家族で何度も遊びにいった志津川、今の南三陸町です。
防災無線に呼びかけた女性職員さんで知られる 南三陸の防災センター跡には、献花台があり
何人もの人が訪れていました。
志津川だといわれなければわからないほど、昔から知っている町と変わり果てていました。
そして、偶然通りかかった、東松島市の野蒜地区
こちらは浸水しているところが凄く多かったです。
そして、建物はかろうじて残っているけど住める状態ではない家が沢山。
その中で、 【住みます野蒜】 と家の前に旗を掲げてるお宅がありました。
がんばれ、なんて軽々しく言えないけど、胸の中が熱くなりました。
ここではいったん車を降りて、母は涙を流しながら海に拝んでいました。
これでも全然片付いたほうらしいです。
兄や妹が見た光景は、もっともっとひどいものだったそうです。
被災地は元通りには何年、いや十何年かかるかわかりませんが、復興にむけて確かに歩きだしてもいます。
お昼を食べに移動した松島は、被害も少なく復興も早かったので、観光客も沢山いました。
お昼を食べた 松島おさかな市場。 海外の観光客の姿も見れて嬉しかったです。
イクラねぎとろ丼は、なんと880円。
写真じゃわからないけど、すんごいボリュームで食べ切れなかった。。
松島の景色を見るなら 奥松島がいいというので、奥松島へ
松島 四大観のひとつ 大高森 からの景色
1kmほど山道を登ったところにあり、急な坂道を登ったので疲れましたが、登った甲斐がありました。
けっこうな山道でしたが、ここにも次々に観光の人たちが訪れていました。
野蒜地区を通ってきたので、自分は観光なんてしていいのかな、という気持にもなったんですが
他にも観光にきている人達を見ると、素直に嬉しくなりました。
被災地をこの目で見たい、と思う方は沢山いると思います。
忘れないようにを見て欲しいですし、同時に観光地を巡って、復興にむけて頑張っている姿も見て欲しい
私はそう思います。
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