太平の眠りを覚ますペリー来航までの260余年の徳川幕府の象徴であったアオイの紋章ではあるが、アオイの持つ歴史と人間とのかかわりは興味深い。
祇園祭、時代祭と共に京都三大祭の一つである下鴨神社、上賀茂神社の例祭。正しくは、賀茂祭には、フタバアオイ(双葉葵)の花や葉を、カツラの葉と一緒に牛車に飾ったり、供御の人たちは冠や烏帽子にアオイの花を挿して、行列を爽やかに美々しく装ったそうです。
地に落ちし葵踏み行く祭りかな 正岡子規
このアオイが、中国から日本に渡来したのは大和時代らしく、清少納言による『枕草子』には、「唐葵、日の影にしたがひてかたぶくこそ、草木といふべくあらぬべなれ」……とあり、同時代の『本草和名』に、”カラアフイ”の名ででています。
私が小学生の頃、親戚の叔父さんがこの花の事をカラオイと呼んでたことを思い出しました。
多分、カラアフイがカラオイに変化したのだろうと思います。
その頃、タチアオイの花びらを、鶏の鶏冠に見立て、顔の鼻から額にかけて貼り付けて、友達と鶏の真似をして「コケコッコー」と言って、遊んでいた記憶があります。とても懐かしい思い出です。
アオイは、時期的に梅雨の入りと同時に咲き始め、梅雨明けの頃に咲き終えるので、紫陽花と並んで梅雨を象徴する花とされてもいますが、私にとっては、ゼニアオイやタチアオイは夏を告げる花という印象が一番です。

