こんばんは、不動産芸人のぺんとはうす・世良です
毎日更新28日目、めざせ10000日
さて、今日も不動産トップ営業マンから芸人になるまでを書いていきたいと思います。
昨日の続きになるので、よかったらこちらを先にお読みください。
「不動産トップ営業マンから芸人になるまで」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12591605480.html
さて、僕に厳しくも真正面から指導し続けてくださった上司が異動になりました。
いま考えれば、たしかに愛はありましたが、行動と言動は完全にパワハラ野郎の上司です。
何度も都営三田線のホームから蹴り落としてやろうかと思った上司です。
豆腐の角に頭ぶつけた挙句に暴漢にめった刺しにされてしまえと思った上司です。
それはそれは突然の知らせで、あっさりとした異動でした。
僕がいた会社だけかもしれませんが、異動辞令が出たら、もう次の日から別の営業所に完全に移動します。
担当物件などは、すべて元の営業所に残すので、数時間ですべての物件・顧客を他の営業マンに引き継がなくてはいけません。
異動の辞令が出ると、その日の営業所は本当にバタバタになります。
しかも、異動の辞令は前触れもなく突然やってくるのです。
僕が外出中に、上司に異動の通達があったのを覚えています。
そのときは僕は電車に乗っていて、携帯電話に上司から電話がかかってきました。
「世良、お前にいいニュースを届けてやろう。」
「いま、電車です、すみません。」
「俺、異動になったわ。」
とにかくびっくりしました。
「ひゃっ、はっ、はっ、ひぃ!」
みたいな言葉を返していたと思います。
電車の中なので大声で驚きを表現できないし、ただ驚きはすごいし、喜びもハンパないし、それを一番表現できるのが、「ひゃっ、はっ、はっ、ひぃ!」だったんだと思います。
「なんだ、悲しんでくれているのか?」
と言われましたが、まったく悲しんではいませんでした。
みなさんも、電話口から「ひゃっ、はっ、はっ、ひぃ!」が聞こえてきたら、向こうは大変に喜んでいますので、それを察せるようになりましょう。
ちなみにこれは、送別会のときの写真です。
僕がとにかく嬉しそうです。
次の日には、僕がいる営業所の所長は、別の人に変わっていました。
とにかくフランクで、冗談好きで、なんでも相談しやすい人でした。
この人なら、芸人になるために会社をやめたいと思っていることも言いやすいぞ・・・!と思いましたが、同時に他のことも思いました。
この人の下なら、もっとこの会社で仕事を続けた方が楽だし、芸人になるよりもいいかもしれない・・・!
やっぱり、いまの順風満帆なサラリーマン生活を捨てるのはやめようかな、と思ったりもしました。
でもお笑い芸人になる夢は諦めたくない、僕の人生でお笑い芸人になるラストチャンスな気がする、そんな思いもありました。
すごく葛藤が続く中でしたが、急に言って急にやめるのだけは一番良くないので、事前に相談だけはしておこうと決めました。
ある日、意を決して、相談があるのですがお時間よろしいでしょうか、と新しい上司を別室に呼び出しました。
心臓はバクバクです。
お笑い芸人になるために会社をやめるなんて言ったら、なんて言われるのか、まったく検討がつかなかったです。
怒られるかもしれない。ふざけるなと一蹴されるかもしれない。
とにかく、緊張していたのを覚えています。
「そんなに改まって、どうした?」
と別室に入るなり聞かれたので、僕は勇気を振り絞って言いました。
「僕、この会社をやめて、芸人になろうと思っています!」
「あ、それ聞いてるよ。」
え?
・・・営業所内に裏切り者がいる!
前の上司にも新しい上司にも全くそんな素振りは見せていませんでしたが、同僚にだけは密かに相談していたのです。
同僚のみなさんは、すごく親身になってくれていて、僕の夢を応援してくれる人、もったいないから今の会社で続けなよと言ってくれる人、とにかくみなさん温かったです。
そんな温かい同僚の中に、密告者がいたのです。
ただ、そんな密告者のおかげで、僕の人生をかけた大相談は、あっさりすぎるくらいあっさりと終わりました。
ちなみにその後のやりとりですが、
「僕、この会社をやめて、芸人になろうと思っています!」
「あ、それ聞いてるよ。」
「えぇ!?そうなんですか!?」
「〇〇と○○もやめるらしいんだよ。」
「えぇ!?そうなんですか!?」
「世良もやめちゃったら営業マンが2人になっちゃうよ。」
「えぇ!?そうなんですか!?」
僕は、えぇ!?そうなんですか!?しか言えてなかったです。
とにかくその時言われたのは、できればうちの会社で続けて欲しいし、その方が絶対人生安定すると思うけど、世良が真剣に夢を追いかけるのであれば俺はその夢を応援するよとのことでした。
その上で、営業所の所長よりも、もっと上のブロック長や本部長という役職の方々からの引き止めが大変だろうと言われました。
なんかめんどくさいなぁ・・・と思ったのを覚えています。
実際にそれからは、他の営業所のほとんど絡んだことない所長からの引き止めの電話、ブロック長からの引き止めの電話、ブロック長からの引き止めの会食会、部長からの引き止めの電話、部長からの引き止めの懇談会、営業サポートの部署の部長からの引き止めの懇談会、覚えている限りでもこれだけの数の直接の引き止めがありました。
間接的なものを合わせると、もっともっと数は増えます。
ありがたくも、それほどたくさんの方から引き止めて頂きました。
それでも、後輩が真剣に語ってくれたお笑い芸人への熱い決意が忘れられなくて、自分は芸人になると決めて、引き止めをすべて断りました。
そんなある日、僕と一緒に芸人になると言ってくれた後輩から電話がありました。
「世良さんすみません、車で事故っちゃって・・・」
「まじか!?大丈夫か!?」
「怪我とかはないんですけど、車の修理費で吉本の養成所の入学金払えなくなったんで、芸人なるのやめたいです。」
「殺すぞ!」
車の事故から無傷の生還を果たした人間に対して、絶対に言ってはいけない言葉を吐いてしまったのを覚えています。
ただ、ここまで来てそれはないだろう、となったのを覚えています。
とにかく僕は激昂しました。
最終的には、いろいろ紆余曲折あって、やっぱり一緒に芸人を目指そうということになりました。
でも、いま思えば、僕の前の相方はこのときからこういうやつだったのです。
勝手に自分で結論を出してから、突然報告をするのです。
事前の相談をしてこないのです。
芸歴3年目の夏もそうでした。
「僕、講談師になります!」
殺すぞ!です。
いつか彼が本当に殺されないか心配です。
さて、そんな感じで、会社をやめて芸人になる準備を着々と進めていっている僕でしたが、前の上司には報告ができないままでいました。
それを考えると、あんまり前の相方のことを悪く言えないですね、すみません。
ちょっと長くなりすぎたので、明日また書きます!
明日完結させます!明日のブログで会社やめます!
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