日本の社会起業家の定義 | 生まれゆく光の中で〜陸前高田市広田町で「今」を大切に生きる〜

生まれゆく光の中で〜陸前高田市広田町で「今」を大切に生きる〜

新社会人、真の自由人を目指して。
サッカーを通してのカンボジア支援、休学してカナダ・ブラジル生活、
社会起業大学での日々、そして震災支援活動、起業という23年間とこれから。
思った事、感じた事を残しておく。
大切なものを大切にしながら生きていく為に。

おはようございます!
みっちーです!

最近はなかなかブログかけてませんでしたー。
いやー大変大変。しっかりかかなければ!

ちょっと最近の疑問。

社会起業大学での学習を通して、日本の社会起業家の定義に大いに疑問を感じる。

社会起業大学で学ぶ社会起業とは、
「自身の原体験に基づき問題意識を設定する。」
「それの解決のために方法を考える。」というものである。
「問題は、基本的には通常のサービスから漏れてしまう人たちに
対してのもので、ニッチ市場のもの」

しかし、この方法だと当事者が少ないがために共感を呼べず、
経済性の限界がくる。

共感を呼ぶためには、この明確な問題意識を打ち出し、
露出させることによってできる。

しかし実状、なかなかアピールがうまくいかなく、共感がよべない。
経済的に困窮してしまう。


一方私が考える社会起業家とは、
「自分の好きな事、楽しいことを通じて社会貢献を行う。」
「方法論ありき(私の場合はサッカーを通じて)の問題意識設定」である。
中田英寿の活動は後者に当てはまる。
しかし、社会起業大学にて「方法論ありきでは共感を呼べないので、
しっかりと問題意識を設定すべきである。」とご指導を受ける。

実状、中田氏の活動は多くの人々に影響を与えた。
また自身の活動である学生団体WorldFutも2年間の活動を通して、
確実に影響力を増している。

つまり大前提として、
「問題意識を設定しないと共感が呼べない。」
という部分がおかしいのではないかと感じる。

自分自身ここについてもう少し
深めていきたいなぁって思う。

から懸賞論文はここらへんからせめてみまーす!

それではまた!

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