人生はガチャポンだという人がいる。
その多くが運に左右され、そして最後は圧倒的な資本力をもった人間が幸せを手に入れる。
まさに人生を凝縮した遊び、ガチャポン。
それは昔、おもちゃ屋さんの前に多く見られた。
おもちゃ屋さんの店先のガチャポンと、駄菓子屋さんの店先のガチャポンは、ボクらにとってハートマークな遊びだった。
記憶に残るガチャポンは、しぞーかの繁華街である呉服町にある鈴屋というおもちゃ屋さんの前にあった。
そのガチャポンの中には、本当に火がつくというちっちゃなちっちゃなライターが入っていた。
「う~む、欲しい」。そう思うけど、ガチャポン機本体をのぞいてみるとライターは全体のおもちゃの中でかなり高い場所に位置していた。つまり、しばらくはお金を入れても出てこない。
アホで勉強のできないボクでも、その点は計算できた。まだ、このガチャポンにお金をつぎ込むのはやめよう。
次の土曜日鈴やの前に見に行くと、かなり中のおもちゃが減っていた。けど、ライターはまだまだ高い場所に位置していた。
今のライターの位置とボクの資本力の関係で考えてみるに、まだまだライターを手に入れることはできない。もうしばらく様子を見よう。その日もおとなしくボクは家に帰った。
そして次の週の土曜日。
鈴屋の前のガチャポンを見に行くと、なんと!!
もうライターは出口のすぐ近くにあるではないか・・・でも。
それでもかなりの量の10円玉を必要とする。なにしろ当時の10円のガチャポンのカプセルの玉はちっちゃかったから、ガチャガチャ機械本体の中には、夥しい数のカプセルが未だ詰まっていたのだ。
思わずガチャガチャの機械を揺らし始めるGIN少年。
しかし、なかなかライターは動かない。
ピンボールだったら一発TILTな揺さぶりをして、なおかつその日お財布の中の10円玉を全部駆使しても、ライターは残念なことに手に入らなかった。
仕方ない。お小遣いをためて来週また来るか。
そう思い、次の週。鈴屋のガチャポンを見に行ってボクはひっくり返った。
ガチャポンの中身が満タンに詰まっていてのだ。しかも、ライターはそのてっぺんに乗っけられていた。
その日小学生のボクは、悲しみのふちでむせび泣いたのは言うまでもない・・・。