昭和53年4月。

ボクの東京生活は始まった。

下宿先は、若林。

四畳半一間の部屋をボクは借りた。

家賃、18000円。

仕送り70000円の中からボクはそれを支払った。

共同利用の炊事場とトイレ。

風呂もなく、近所の銭湯に歩いて通う。そんな環境だった。

それでもボクにとって下宿は、小さなお城だった。

誰にも干渉されない、一人きりの部屋。

そしてそこを飛び出したら、外は花の東京。心躍る世界が広がっていた。


若林で見た空


電車に乗る暮らしも、ボクにとって初めての経験だった。

学校に向かうにも電車。

遊びに行くにも電車。東京とは、なんと便利なところなのだろう。感激に涙がちょちょぎれた。

下宿は、ボクを入れて3人が暮らしていた。

いや本当は4人だったのだけど、そのもう一人が全く交流がないからどんな人かわからなかった。

(だから、その人は置いといて・・・)。

3人は、3人とも違う大学の学生だった。ただ、不思議なことにこの3人。

皆同じ4月からの入学生だった。学校は違えど、学年は「同期」。

そんなわけで、ボクらはすぐに仲良くなった。

一人は熊本県玉名市出身。

一人は岩手県大船渡市出身。

そしてボクは静岡県静岡市出身だった。

東北と中部と九州の融合。いや、友好。初めてできた、遠き地で生まれ育った友だちに、ボクはズンズン心を拓いていった。

学生時代は、何の躊躇もなく互いに友情という契約を交わすことができる。

ボクは彼らと、大人に向かう準備を一緒に始めた。


あぁ、それは。

キャンディーズが微笑みを返し、かもめが翔んでいった頃のことだった。