近鉄バファローズがパ・リーグで初優勝を飾ったのは、1979年10月16日、近鉄球団が誕生して30年を迎えた年だった。
当時のパ・リーグは前期と後期に分かれていて、それぞれで優勝したチームがプレーオフを行い、リーグ優勝が決まっていた。
「万年最下位」の時代から始まった近鉄球団の歴史、後期優勝はあっても、パ・リーグ優勝はなかった。
この年の前期に優勝した近鉄バファローズは、後期優勝の阪急ブレーブスとパ・リーグ優勝をかけてプレーオフ(5試合制)で闘った。

本拠地であった藤井寺球場に、当時はナイター設備がなく、ナイターで使用していた日生球場はグラウンド、スタンド共狭いことから、近鉄がホームとなる第1、2戦は大阪球場で行われた。
大阪球場で連勝し王手をかけて、西宮球場に乗り込んだ。
そしてプレーオフ3連勝で、念願のパ・リーグ初優勝を成し遂げたのであった!!



かつては阪急で指揮をとっていた西本幸雄監督が、鈴木啓示、梨田昌崇(当時名)佐々木恭介や、仰木彬コーチなどを従えて「猛牛軍団」を初のリーグ優勝に導いた。

そして大飛躍を成し遂げ、初優勝に貢献した一人の若者がいた。

奈良の智弁学園から近鉄に入団し2年目を迎えた、山口哲治である。

1年目は一軍登板はなかったが、2年目は先発も抑えもこなし、最優秀防御率のタイトルを獲得した。
そしてプレーオフでは、3試合続けてクローザーを務め、プレーオフのMVPに輝いた。

当時59歳の西本監督に20歳の山口投手。祝勝会で西本監督が「こんな息子が欲しいね」と喜んでいた。

近鉄バファローズの初優勝!!それは山口哲治投手、一世一代の大活躍であった。(現在は楽天のスコアラーを務めておられる)
私はこの年の8月、山口投手が日生球場で先発登板し、完投勝利を収めた試合が、生まれて初めてのプロ野球観戦だった。