最近読んだ心理学関連の話。

心理学の研究チームの人間が、電力会社だかガス会社だかの職員を装って、
エネルギー消費量削減の方法を模索しているから、
その調査の一環として実際にエネルギーを減らす様な生活に協力頂けないか?
と、ランダムに選んだ一般家庭を訪れる。
依頼に対し承諾を得られた人たちのグループと
さらにその取り組みを地元の新聞に協力者として名前も出して掲載することにも
承諾を得られた人たちのグループ。
この2つのグループ間ので、ある一定期間が経過した後、
実際のエネルギー使用量に違いが見られか?
結果は、単に協力を承諾した人よりも、さらに新聞掲載まで行った人の方が、
優位にエネルギー使用量の減少が見られた。

さらに、別の実験。
ある商品の説明を聞いてもらい、その商品の購入に意欲的かどうかを
記入形式で表明させる(アンケート用紙は他人には見えない形で回収)、
もしくは、一緒に説明を聞いていたみんなの前で口頭で表明させる。
購入に意欲的だったということを記入形式で表明していた人と、人前で表明していた人とでは、
その後、実際に自発的に購入に至った割合は、人前で意思表明していた人の方が優位に高かった。

この二つの実験結果から考察されることは、
人は何かを決意し、それを自分の中だけでとどめるだけよりも、
他人に宣言した方が実際に行動するものだということ。


たとえば禁煙とかダイエットとか、
今度こそとつよーく決心したはずなのに、失敗を繰り返す。
で、決意が強い勢いで周りに宣言すると、
がんばっているのを見つけてくれれば褒めてくれるかもしれないし、
さぼっていれば叱咤されるかもしれないしで、いずれにしても激励になる。
周りがそんな宣言をしたことすらとっくに忘れていたとしても、
成功したら誇らしく思えるだろうし、失敗したら恥しいんだろうしと、
自分の中でもそう言う叱咤激励と同様の作用は起きるんだろうかね。

てなことは、心理学云々ということなしに、多くの人か実際に経験されているでしょう。
『有言実行』というヤツですな。

これはもともとあった『不言実行』をもじった最近の言葉ですよね。
(近頃では不言実行より有言実行の方を見聞きしますが、
広辞苑に『不言実行』は載ってはいるが、『有言実行』は載っていないよ。)

この有言実行効果を期待して、「○○試験に合格するべく勉強するからっ!」と
宣言するのは、確かにおとな受験生の目標成就にも有効な方法でしょう。
しかし、問題は、だれに、どう宣言しておこうかということになってきます。


おーっと、今日も時間いっぱいとなりました。続きはまた次回以降の更新にて。

ことしもあとすこーし。
1時間1時間を丁寧に過ごして、新たらしい年を向かえましょ。
まずは、今日一日ファイトだ、おー!

自分にミドルネームをつけるとしたら? ブログネタ:自分にミドルネームをつけるとしたら? 参加中
本文はここから

久々にブログネタのお題から、書いてみましょうか。
てなわけで、おそらく今日も勉強ネタじゃないのであしからず。

ところで今何かと話題のタイガー・ウッズ氏。
彼のタイガーという名前はファーストネームじゃなくて、実はミドルネーム。
(ちなみにファーストネームはエルドリック)
軍人だった父親の友人にちなんで、
そもそも幼少の頃からのニックネームとしてタイガーと呼ばれていた。
で、プロに転向した21歳のころ、このニックネームを
正式にミドルネームとして正式に採用したとのこと。

うーん、たしかに巷で話題になってるように超肉食系男子の彼には、
タイガー(虎)のイメージにぴったりね。ガルルゥ。自分で付けただけある。
まさに名は体を表すを地でいってみたかったの?
これを機にlynx(ヤマネコ)にミドルネームを改名する?
links(海辺のゴルフ場のこと)と同音だし。

いや、OX(去勢した雄牛)に取り替えるぐらいじゃないとダメかな?

実際、ミドルネームとは、その人の最も特徴的な性質という意味でも用いられる。
たとえば、今年の夏GAP(だったと思う)ベビー服のTシャツのプリントで
「“CUTE”is my middle name」てのを見たんだけど、
つまり、“私ったら、まじでかわいい!”って書いてるのを
自分がかわいいかどうか分かってるとは
到底思えないバブバブいってる赤ちゃんが着るから、
おもしろいっていう意図だったのだろうね。
(そんないちいちTシャツのロゴにいみねーかもだけど)

・・・っていう、またまたや単なる雑談。


ミドルネームを付けるとしたら何がいい?のお題に全然答えてないですね。
私は周りから見たらお馬鹿な人生らしいから、スザンヌでも
まぁ実際、ココオレっすぅって感じの連続だから、浜田ブリトニーでも
ミドルネームはなんでもいいっす。
(雑な結論だなぁ。おいおい。)

おっとぉ、今日も制限時間となりました。
さて、今日は月曜日。新しい週のスタート。
今日も元気で行ってらっしゃい。
前回の記事でジョン・レノンのことに触れましたが、
ジョン・レノン記念館が閉館の危機だそうで、
でどこにあるのかっていえば・・・、さいたまだそうで。ふーん。

ところでジョンレ・レノンとオノ・ヨーコさんといえば、
頭に浮かぶフレーズはやっぱり『Love and Peace』でしょうね。
で、わたくし、ラブとピースについてぼーんやりと考えてみました。
(そんな暇あったら、勉強に励めって?ごもっとも。)

ラブ(愛)っていろんな形があるじゃないですか、
何が対象か?とかどんな風に?とかだけでざっと思いつくだけでも、
家族愛、夫婦愛、親子愛、兄弟愛、師弟愛、愛国、友愛、愛妻、愛人、恋愛、同性愛、
自愛、慈愛、純愛、敬愛、溺愛、寵愛、親愛、博愛・・・などなどいろいろ。

恋愛ひとつ上げてみても、ひとりの男性を巡って競合する場合をのぞけば、
あなたの思うところの理想の形と、私のそれとは違うとしても、何も問題はない。
むしろ、人の愛の形に立ち入って自分の価値観を押しつけてる人をみると辟易しますわ。
その自分は絶対に正しいって感覚、どこから来るんだ。あほか。

ところで、ラブの方はこれだけ多彩なのに、ピース(平和)の方といったらどうでしょう?

和平は、平和の同義語?類義語?
うーん、全然ラブみたいにいろんなピースを表す単語がみつからない。
じゃ、英語でやってみようか。
law and order?seculity?
うーん、法の下の秩序とか安全保障とか
そう突然個人じゃどうしようもないレベル話じゃなくて。
では、no conflict?no war? no trouble?
うーん、○○じゃないことっていう表現じゃななくて、もっとズバリの言葉はないの?

で、結局、ラブとちがってピースは全然レパートリーがないなぁと改めて思ったり。

それは、きっと私たちにとってピースどうでもいいことだからではなく、
むしろその逆にすごく大事なのに、究極のピースの形はたったひとつだからなんじゃないかな?
と、思ってみたり。

それは全人類にとって究極の幸福のはずなのに、
人類誕生以来、本当の意味でこののピースを手に入れたことは未だかつて無い。
それは成しがたく、もし達成されたとしても数人の邪悪な行動ですら簡単に崩壊しうる。

簡単に『Love and Peace』という風にピースがラブと並列に置かれるのはなんでだろ?

沢山の色んなラブをシェアしてようやっとピースがやってくる。
いまだ本当のピースを手にしてなくとも、
すでにそんなピースを手にしたかのように私たちが振る舞えば、
今度は、自ずといろんなラブで世界が満ち満ちる。
そう言う意味で『love and Peace』は密接に関連してるって事でしょうかね。

それにしても世界が究極平和な状態ってどんななの?

それはジョン・レノンが『imagine』のなかで描いている世界に近いんでしょうかね。
そんなことで、こんだけぐだぐだ文章書いて、勉強から逃げてるみたいで、
まさにYou may say Im a dreamerってところでしょうか。
そんでもって、この記事を勉強をおろそかにしてあなたが読んでいるとしたら、
But Im not only oneってことでしょ?)



さて、昨日、今年のノーベル平和賞授賞式がオスロで開かれたって。
受賞者はバラク・オバマさん。言わずと知れたアメリカ合衆国現職大統領。
ほー。

おーっと、制限時間いっぱい。今日はこの辺で。
では、明日もがんばりましょ。
今日も勉強に関係ない話でこざいまする。あしからず。
さて、もう12月ですから、あちらもこちらもクリスマスムードですねぇ。
で、クリスマスシーズンともなるとラジオから流れるクリスマスソングは
ムードをもりあげますなぁ。

クリスマスに関連した賛美歌のみならず、
大抵の大御所ミュージシャンにはそれぞれクリスマスソングをつくってるわけで、
時代を越えた定番ソングともなってくると、
もう1日に何度となく耳にする。

で、気になるのがポール・マッカートニーのクリスマスソング。
メロディーやら、アレンジやらが、ざっくりしてんなーって。
うーん?半日で作ったんか!って感じなんだもん。


さてさて、もうひとり、ビートルズといえジョン・レノンでしょうか。
彼のクリスマスソングはなんかもっと荘厳なかんじでいいのぉ。
クリスマスソングに限れば、ジョン・レノン圧勝?

ところで、本日12月8日は、ジョン・レノンの命日。
住んでいたダコタハウスから出てきたところを撃たれた。

そんでもって、ダコタハウスからすぐのセントラルパークの一角に
ビートルズの名曲、『stroberry fields forever』にちなんで、
ストロベリーフィールドと名付けられた場所があるちゃー、ある。
でも、殺伐としたあまりにもちんまりした草っぱなもんで、
あんまり期待していくとがっかりでやんす。
stroberry fieldsはリパプールに昔あった孤児院のことらしいと後から知って、
『そうだよね。あれを見て、フォーエバーはないよなぁ』と妙に納得したのでした。
(つまりイギリスの孤児院の名前→ビートルズの曲名→セントラルパーク内の草っぱらの順番)

・・・っていう、単なる雑談。


さーて、風がマジで冷たくなってきましたし、やたら行事も多い師走です。
風邪など引かずに(引いちゃった方は早めに治そ。)
今週もいっちょがんばりましょ!おーっ!
勝間和代さんのすすめる「三毒追放」、
つまり「怒らない。妬まない。愚痴らない。」というやつ。

三毒とは、そもそもは仏教用語で
智慧の現れの妨げとなる「貪・瞋・癡」を指し、
よって克服すべき煩悩のことで、
その概念はかなり古くから存在する。

ところがこの「貪・瞋・癡」を「怒り、妬み、愚痴」と解釈するのは、
正しい仏教的解釈と言えない、などと言う異論もちらほら。

仏典の解釈として正しいか否かは私には分からないが、
「仏教で言うところの」という表現を外せば、
勝間さんのいう「怒らない。妬まない。愚痴らない。」を
心がけて生活しましょうということには、異論はそれほどないだろう。

特に怒りっていうのは、正当に怒っても構わないような錯覚に陥りやすい。
「あいつに金を盗られました」とカンカンに怒り狂っている人に、
僧侶いわく「怒るのは筋違い。お金を取られてしまった自分が悪いのだよ。
なぜかといえば・・・。」なーんて寓話があったような、なかったような。

そんなの現代社会じゃほとんど通用しない考え方だけれど、
お金を取られても怒っちゃいけないっていうくらいだから、
日々、感じる怒りなんて、もっともっと、ちっこいことばっかり。
まだまだ修行が足りないようです。はい。

ちょっと寂しいぞとか、むなしいぞってときは、
それはそのままそっとしておいて(ムリに強がったりしないで)、
ゆっくりホットココアでも飲んで(夏はアイス、いや冬でもアイス)
とっととその日は眠ってしまう。
そうすると翌日には結構元気になっておりまする。

ところがやっかいなのは怒りなんだよね。
ホットココアやらアイスやらじゃ、そう簡単に鎮火しない。

ここ最近こんな時どうするといいか?と探しておりました。

考えるとか分析するって、いつもは大事な問題解決能力なはずなのに、
この場合はまったく逆。

怒りを解析して、そこに正当性を探していって、
まっとうな怒ってもいい理由が見いだせたとして、
それが私を怒りから解放してくれますか?
いやいや、正当に怒ってよいとなれば、さらに怒りは増幅してゆく。
そして今度は増幅した怒りに相当する新たな理由が欲しくなり、
さらに解析し・・・と、堂々巡り。
解放されるどころが、怒りさらにがんじがらめになるのがオチ。

で、「こんな時どうしたらいいのか分からない」の結論としては、
はい、今日のタイトル。
笑えばいいと思うよ。」(ってあの有名な台詞ね。状況は違えど)
あったまくるなぁと思ったら、そこから離れる。(それは現実逃避とはならない。)
そしてケラケラと笑えるお気に入りのDVDでも見るべし。

考えること分析することがかならずしも問題解決にならないという珍しいパターンだなぁ。
考えない分析しないでいられることがむしろ知恵って、他になにかある?

間違った正義感とでもいいましょうか、
それは単なる無知やら、傲慢やらから来ているのに、
勝手に正義ぶって怒っている人ってっけこういるでしょ?
テレビのコメンテーターのなかにちらほら、あと職場のお局やら。
そういうのがほんとに嫌だなと思ってるのに、
怒りコントロールは未だだめやんす。にんげんだもの、しゃーないな。

今日もほんとうに全然どうでもいい話です。
勉強ネタでないのであしからず。

アダム・ランバート(Adam Lambert)って
プロゴルファーの石川遼くんに似てません?
いわゆる他人の空似ってやつです。



アダム・ランバートって誰って?
こんなのとか↓(曲は50秒あたりからスタート)


こんなのとか↓
さて、先日過去問とかを分冊化してしまうという話をしてましたが、
あくまで分解するのは、演習系の教材のドリルや過去問などですよ。
アトラス系とか辞書系の本は、解体小冊子化はお勧めしません。
分解してしまうことでその教材の持つ、包括的に知識が整理できるという
特徴が損なわれる場合があります。

分解して小冊子化することの意義は前回記事で触れましたが、
この同じアイロン技を使うのだけど、表紙ははずさないで、
巻末の解答パートだけを分冊化するとか(問題と答えをそれぞれひらいて同時に眺められる)
巻末の広告部分を引き抜いてスリム化して保存するとか(NHkの語学テキストとか)
応用編もお試しあれ。

バラす前にやっておくこと
◎製本が糊綴じタイプなことを確認。(糸綴じタイプやステイプル綴じの場合は無効な技です)
◎バラした後にバインディングするためのファイルを予め用意する。
◎小冊子に穴を開けてファイリングするつもりなら、
その厚みに対応するパンチャーのことまで考えておく。
(私は図書館のカウンターにおいてある分厚いのも穴あけできるのがあるので、
それを使わせてもらっている。)
◎アイロンと何でもいいから当て布を用意。(よけいな糊がアイロンに付着しないように)

前置きが超長くなってしまったけれど、次は実際のバラし方。
1。アイロンを熱くしておく。
温度設定はマックスでおそらくOK。
紙自体はこの程度の熱を長時間当て続けるわけないからいいんだけれど、
スチームは切っておく、スチームで紙がゴボゴボになることもあるから。
(紙はOKでも、インク等によっては熱で変色といった変性する場合もあり得るから、
それはそれで注意)

2。背表紙をアイロンで熱するのだが、その際の注意点とコツとしては、
一度に背表紙全体を熱しようとせず、どちらかの端から熱してゆく。
直接アイロンを当てず、必ずアイロンと背表紙の間にあて布を使う。
溶けてはみ出してきた糊がアイロンに付着するのを防ぐため。
もしも、ついてしまった場合は、すぐにぬらしたタオルなどで拭き取ること。
(次にアイロンがけしたときに別の衣服に糊が着いてしまいますよ。)

3。加熱され糊が溶けた状態を利用して少しずつ表紙をはがしたり、
分割したい部分を引き抜いてゆく。
4。2と3を繰り返して、お好きなようにバラバラにどうぞ。
加熱が不十分だったり、冷めてきてしまうとまた糊は硬くなってしまいますが、
製本に使われている糊の熱可塑性を利用しているだけですから、
何度も部分的に熱しては溶かして引っぱがすってだけのことです。はい。

溶けたとき汁っぽい糊、ゴムっぽい糊など様々ですが、
一度要領をつかむと解体作業自体が楽しくなってきて、
ついつい他にも分解出来るのはないかな?とやたらバラしたくなるんだなぁ、これが。
(ピアスホールを開けると、ついついもう一つ開けようかなぁと思う、あの感じね。)
で、始めに申し上げたように、
その教材は内容の正確から言って分解の意義があるのか?
分解した後のファイリングはどうするのか?
小冊子の穴開けのことはどうするのか?
といったことを事前に考えておくのは、勢いて意味なく分解する歯止めになります。

さて、いつものごとく、これだけのことでだらだらと書いてしまいました。
最後に、ご自身の教材の分解についてはご自身の責任で行ってくださいませ。
ブログをやってる目的は? ブログネタ:ブログをやってる目的は? 参加中
本文はここから

今日は、勉強ネタじゃないのであしからず。
(テキスト分割法はまた今度)

以前も私なりのブログを書く意義については、過去に何度か触れてきたけれど、
→(07/10/04,  07/10/24,  07/10/28, 09/04/02

ちょっと前からブログネタも利用して、ブログを更新するようになりました。
私にはブログネタも利用する意義があったなぁと感じてます。

与えられたお題をきっかけに
そういえば日頃から、感じていることなんだけど、
積極的にブログに書くほどでもないかなぁなんて思っていることを
ブログネタのお題を使って、うまく引き出せる気がする。

たとえば、
暗記するなら、〔睡眠前に入力→睡眠中に定着→起きたら暗記の励起〕 
っていうのがいいらしいよということをわざわざ記事にするほどでもないなぁと思ってたけど、
「寝る前、何してますか?」というブログネタで、
「寝る前、暗記のゴールデンタイムを満喫してます。なぜゴールデンタイムかというと・・・」
という形で、記事に出来たということがある。

基本、自分のためのブログなんだし、
読者数やコメントが少なくても、私は全然気にならないんだけれど、
アメーバさんからブログネタの評価が返ってくると、これが結構うれしい。
さらに金星とか銀星の評価だと小躍りして喜んでおりまする。
自宅以外で勉強する機会も多いかと思います。
勉強することに自分を追い込むために、図書館に行ったり、
または予備校の授業や自習室を利用したりなど。

大学受験やその他難関試験の勉強だと試験は何科目もあるから、
自宅外で勉強するとなると、結構な荷物の量になる。
それが毎日ともなると結構、大変。

1つの教科の勉強に飽きてしまう前に次の科目の勉強に取りかかる・・・。
そうやって科目をローテンションしていくのは、
勉強のモチベーションを維持するのに有効だから、
図書館に家から持って行く教材の数は減らしたくない。

過去問といった演習系の教材は、
たとえば10年分とか一冊に収められていても、
今日1日の勉強に関連するのは、試験直前の追い込み期をのぞけば、
ほんの1年分ぐらいだったりするので、
今日は解けるわけもない9年分の頁を持ちあるくことになる。

そこで、こういうのはどうでしょう?、
演習系の教材はバラバラにしてまう。

こういった教材はたいてい糸綴じタイプの製本でない糊綴じタイプだと思うので、
アイロンで背表紙を熱すれば、糊が解けて表紙がはずせる。
こんな感じ(写真)↓
$Keep Trying !-テキスト分解
表紙がはずせたら、あとは持ち歩くのに適当な単位に割いて、小冊子化すればいい。
外出するときは、今日勉強する分と目次パートなどだけ持って行く。
小冊子化しても穴をあけて、一冊のファイルに収納しておけば紛失せず、収納もすっきり。

過去問などを分割するメリットとして、持ち運びの軽量化に加えて、もう一点。

心理的な事なのですが、
過去問に初めて手にしたとき、その物理的な厚みと重量にびびっちゃうことありませんか?
(その方がむしろ燃えるけどって人は、・・・それはよかったですねぇ。)
ちらっとのぞいてもちっとも解けそうな問題ないし、
これを一通り解いただけじゃダメで、
結局、本番までに3巡繰り返して解くとかって、ムリっぽい?って
心が折れそうに私はなる。

そこで小冊子化して、今やる部分にだけ集中することにする。
大きい目標も細分化して、小さいステップを積み重ねて・・・なんて、
よく自己啓発系の本にありそうな手法ですが、
それをまさに物理的にやるのです。

で、一巡目の演習が終わった時に、小冊子を全部重ねて、
いやー、こんなに分厚いのを1巡目やり遂げたよぉ!と
ニマニマしてください。
その時は、その厚みがかえって充実感となりますぞ。
2巡目からは1通りやっているわけだから、もう怖くないでしょう。

まぁ、アイロンで熱してバラすってのは、そんなにマイナーな方法でもないので、
方法を詳しく解説するほどでも無いかもしれませんが、
次回は一応バラす方法とコツをお話しします。

では、今日も元気で行ってらっしゃい。