おしのさんの東京生活~50代の津軽海峡越え

楽しんで たのしんで。

笑って わらって。

だいじょうぶ。

道産子半世紀 ひょんな事から上京。

色んな事を生み出す『おしのさん工房』始まります。


うつ病克服は。罪悪感捨てます!だった!

テーマ:
間違えて 書き終えてないブログを公開して

しまった。

改めて 仕切り直しです。

よかったら 是非どうぞお読みください。




8ヶ月前に 東京に引っ越しして来たら

北海道の港町に 住んでる次男が

2ヶ月経った頃 ひょこっと東京に

遊びに 来た。

きけば こちらに転勤願いを 出そうか

迷っていると 言う。

次男が北海道の港町から まもなく

千葉県に 移動になった。


次男も 関東の人に なったのだ。



彼とは 父の葬儀以来 4年会って

なかった。

ラインはすれども 姿は見ず。

彼は大きな製鉄所の下請け会社で 

肉体労働者と なっていた。


4年振りの再会が 羽田空港なんて

北海道の親子が 東京の

うだるような暑さの中で

会うのだ。


2ヶ月頃は 私もまだ 仕事に慣れないで

頭が ぐらぐらして いた。


でも

散々 心配と迷惑をかけた私は 次男に

母として気丈に 接したかった。



筋肉で引き締まった体の次男は たくましく

いつまにか

私の背丈を 頭一つ越していた。

腕やら胸やら 知らない大人の男だった。



幼い頃の彼の顔を 重ねるのは失礼のように

思えた。

つららを雪山に登って 背伸びして取ってた

やんちゃな息子を 探そうと顔を見たが

少し窪んだ目と 無精髭に圧倒され

うまく顔を 見ることが出来なかった。



大人になったのだ。と 思えば思うほど

何か とてもさみしかった。



もっと あの頃 あぁしてあげれば 

よかったのだ。。

もっと あの頃。

それでも ここまで育ったのだ。


そんな事を ぼっおっと考えてしまう。



次男は 10月に転勤になり

1月にも そして2月の昨日も遊びに来た。



私の個性的な所が そっくり似てしまった

次男は 少し生きずらそうだった。

脱げば 全身タトゥーだらけだったし

ピアスも二十歳の頃は 歳の数だけ

穴を開ける。と 言っていた。



製鉄所勤務は 不思議と真面目に続けて

いた。

幾つも資格を 持ってはクレーン車やら

何やら動かしていた。


それでも ずっと絵を 描いては

たまに何枚も その絵の写メをラインで

送って来た。



安定した仕事を 一方で求め

一方では 不安定なアートの世界を渇望

していた。


それは 私の若い頃に 似ていて

見ていて 心のどこかが 痛くなった。



よらば大樹の影 なのだ。

長いものには 巻かれて生きろ。

芸術などやって 食べて行けるのか?


アートの世界に 行きたがった私に

私の親は そう言った。


そして それに反発しては 実力不足の

私は 渋々ながら従って生きていた。




次男には そう言いたくなかった。

かといって アートの世界で生きれとも

言えなかった。



「イラストとか タトゥーの彫り師とか

 そんな事だけで 生きて行けるなんて

 なかなかね。」


美しいタトゥーの彫られた腕の先に

タバコをくゆらせ 独り言のように言う。


福利厚生や 安定した休日やある程度

保証された会社に 居る今を 捨てるのは

怖いだろう。


それは よくわかる話しだ。



昨日の土曜日に 彼は千葉から車で

やって来た。  

近くの街で 北海道の港町の同僚が 遥々

来て会うと 言う。



夜勤明けの疲れた顔で 今日は以外と寒い

ね。と出掛ける時に ジャンパーの

ファスナーを 上げる。


この顔は 疲れた顔だな。と 懐かしく

感じる。


いってらしゃい。何年かぶりに その

言葉を かける。


帰宅は何時になるか わからない。

予想通り 彼はその日は 帰って来なかっ

た。

私は 2時半頃まで待っていたが

朝まで飲むのだろう。と 布団に入っ

た。
 


翌朝 やっぱり疲れた顔で 疲れたと

言い息子は 帰って来た。


少し興奮して 元々居た北海道の港町の

下請け会社が 大企業に吸収されて
 
大企業の社員となる話しが 進んでいる。

と 早口に話し出した。


「そうなったら北海道に 帰るよ。」


私は ふーん。とか ほぉー。とか

聞いていた。

北海道に帰るよ。かぁ。

そうなったら。かぁ。


少し寝ると言って 次男は別部屋で

眠っていた。

そうなるか。

ならないか。  

なんて 先の事は 誰にもかわらない

ものさね。


そう したい。と 思っても

そう ならない。時が ある。

そう したい。と 思って

そう 成ることもある。


先の事なんて 誰にもわからないよ。



もちろん意志は 大切だけど

時として コツコツと努力しながら

待つ忍耐力や 持久力や

それに何より 本当は。。


 ふわっと そこに運んでくれる。



『お計らい』と 言うか

『流れ』と 言うか

『お導き』と 言うか

人の力では無い 何かが働く時が ある。


人の力や努力や意志や それらの

『お計らい』が

合わさった時 運命は動くと

私は これまでの人生でそう思う。


神なのか 仏なのか。

わからないけれど 人智を越えた力だ。




何でも人の 強引な力だけでは

うまく行かないのでは ないかな。


振りかえってみても 進む時は

ぐんぐんと 何かの流れに乗っていたように

思う。


その時は むしろその流れに身を任せ

流されるまま スイスイ運ぶ。


そして そうなってみて初めて

そこかしこに 『たまたま』が 落ちて

いたりする。


たまたま ここに住んだらとか

たまたま ここの店を見つけてとか

たまたま 入った美容室がとか。



だから 次男の顔を見ても

本当に北海道に 帰るのかい?!とは

言わなかったし 言えなかった。



ただ。

一番やりたいことは 何なの?とは

聞いておいてあげた。



次の日 食事を二人でして

帰りの車の中で そうだ。日用品を買って

あげよう。と思った。


男の一人暮らしだ。

洗剤やらティッシュやら シャンプー等

休みの日そんな物を 買いに行くのは

面倒だろう。


どうせ車で 来ているのだ。



ドラッグストアに誘うと 次男は嬉しそうに

ついてきて あれやこれやカゴに入れた。


ティッシュ売り場で どれがいい?と

箱の山で 一瞬 顔が見えなくなった。


ドラえもんの絵のついたティッシュを

見つけた私は 大きな声で


「ドラえもんあるよー!」と


言ってしまった。


まるで小学生の息子に 言うみたいに。



髭面の 背の高い青年がぬっと顔を出し


「ドラえもんは いいわ。。」


と 答えた。



あぁ。そうか。

これが 息子だった。



笑。



「そうか。そうだよね。」


私は少し恥ずかしくなって答えた。



もう ドラえもんの歳じゃないか。



頭ひとつ 大きな息子の後ろ姿に


どこに行っても お前は大丈夫。



私は ここに居るから いつでも



おいで。と 思った。


そして

そう ちゃんと堂々と

息子の顔を見て 言おうと思った。





息子の大好きなクレイジーケンバンド

けんさんと 私の生まれた昭和のスター。














   












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