ARASHI EXHIBITION "JOURNEY"
嵐を旅する展覧会



2つ目の記事です。




こちらの記事では
レポとかでなくただの感想と、重めの嵐への思いを書きました。


もはや感想という名のもとで、嵐への思いをありったけのせました。





あ、こちらもネタバレとか気にせず書いてるので、
というより、ネタバレを気にしてたら何も書けなくなってしまうので。


ネタバレが嫌な方は見ないほうがいいです。















嵐にとっての20年。
嵐にとってはどうだったんですかね。



私は、

「晴れた日だけじゃなかった20年。
でも振り返れば絶景です。」

という最初の言葉が、全てなんだと思いました。



翔くんが、
「20年のタイミングじゃないと出来なかったかもしれないですね。10年までの蓄積って、その量ではこれだけの展示は出来なかったので。
そこから10年経って、 この20年っていうタイミングでこそ、初めて出来る展示なのかなと思いますよね。」
とおっしゃっていましたが、

私はこの20年というよりも、
10周年を迎えた後の
この10年の嵐の"時間の使い方"が、その前の10年よりも明確で、
そんな時間を5人で積み重ねてきた嵐だから、初めて出来る展示なのだと思いました。




晴れた日だけではなかった20年。

どれもが絶景だと思えるようになったのはこの10年位の話だと思っています。

もっと言えば、ここ2~3年の話だと思っています。



[大人になったから。]

["たくさんの人と時間を過ごすこと"ができたから。]


でも多分、それだけが理由で絶景だと思えるようになったわけではないのだと思います。




嵐は、この展覧会で
例えば、オリコン年間ランキングの表彰状を置かなかった。
ゴールドディスク大賞のトロフィーを置かなかった。
初ドームも初国立も、この展覧会で特筆していない。


嵐の20年を振り返るのであれば、これらの要素は必要な要素なはずなのに。



晴れた日だけではなかった時間が、"絶景"になったのは、この数字や記録が大きな理由ではないんだと思います。



展覧会にあるものと言えば、
コンサート衣装や嵐画伯の絵、楽屋の写真、やりすぎちゃった家族。


個人ブースでは
各々が「これが見たいかな」「こうしたら楽しいかな」を極め、
リハーサルメモや自宅再現をする。


ここにおける二宮くんの"賞のモノ"は、
先に述べた嵐の賞="数字"における記録とは少し違っていて。

なぜこれを置いたかって、
日本アカデミー賞も報知映画賞も、自分1人ではなくて嵐の二宮和也としてみんながいたから取れたんだよ、っていうことの表れだと思うんですよ。

何より、数字や記録を大事にしている人なら、
トロフィーは誰にも触られたくないよね。多分。







嵐は、一緒に楽しんでくれるファンがいたからここまで楽しくやってこれたのではないでしょうか。


自分たちが楽しいと思える時間を
共有してはまたみんなで楽しむことができたから。


これが、晴れた日だけではなかった景色も、"絶景だった"と言えるようになった理由だと思うんです。




楽屋に密着して撮影をしてもらうなんて、
別にしなくてもいいことだと思うんです。

"裏"の、何も考えなくていい時間に
"表"を気にしてでも撮ってもらっていたのは、
この時間をいつかファンと共有できるかもしれないから、という思いがあったからだと思うんですよ。

それがなかったとしても、
"裏"のその時間がそもそも楽しくないと撮るなんてことにつながらないと思うんですよ。


その"裏"も5人で楽しく過ごせたのは、
"表"でこうしてファンが支えたからなんだと思うんです。


それを、この5人は知ってるんだな、と。


私はこの展覧会に行って思いました。



この展覧会は、
20年経って、どんな景色も絶景にしてきた人たちの展覧会でした。



振り返れば、どんな景色も絶景だから。

どんな景色も絶景だと言えるようになったから。


だから、このタイミングでやる展覧会はこの形だったんだなって。



楽しいことを楽しいよね、って言える時間があることが
嵐にとって大きな意味があって。



その「楽しいよね」の時間の共有。
我々との共有。


その形が、コンサートという生モノではなくて、展覧会という形だっただけ。




どこを切り取ってもいつもの嵐。
どこまでも嵐らしいなと思いました。





だって、この展覧会、やりすぎちゃった家族がいるんですよ?

しかも入ってすぐにあの家族ですよ?

おふざけもいいところですよね!(超褒めてる)







嵐の20年を"知る"展覧会ではない。

嵐の20年を今、"旅する"展覧会なのです。




その旅は、楽しいに決まってるんです。

だって、今までずっと楽しかったから。

最高だったから。

絶景だったから。






語弊があるかもしれないけれど、
別に年数だけで言えば10年のタイミングでも、15年のタイミングでも、いつでも良かったと思うの。


ただ、嵐の今まで見てきた景色が、
今までの晴れの日も雨の日も曇りの日も含む全ての日が、
全ての景色が、絶景だと思えるようになった20周年を迎える今だから。


だからこのような展覧会だった。

私はそう思いました。





私はこれからも、5人と同じ景色を見ていたいです。






5人が、5人でいる時間を大切にしてきたことがよく伝わる展覧会でした。


5人の、ファンの方々への思いを大切にしてきたことが伝わる展覧会でした。




ありがとう。

ありがとうございます。




どんな言葉よりも今はこれがぴったり。



ありがとう。


これからも笑顔でいようね。


楽しかったです。