更新が遅れててすみません。


母の部屋から出てきたものシリーズ

久々の登場、あのケイコ伯母からの手紙です。



例によって母のゴミ屋敷を片していると、見覚えがある筆跡の書き付けが見つかりました。ケイコ伯母の字です。



ヒロシ伯父が亡くなった頃の日付が書いてありました。


どうやら、ヒロシ伯父が残した銀行預金の相続のことらしい。



とある地方銀行の相続関係の書類に、各口座に残されていた金額が列挙されている。合計数百万円ほど。


そして、ケイコ伯母が鉛筆でメモ書きしている。


この金額のうち、〇〇万円(総額の8割くらい)は自分が受け取ることとしたいので、了承しろ、銀行のモリタさんもそう言ってました、と書いてある。



銀行員にそんなことを言える権利がある?

そこがそもそも疑問だけれど。


結構驚きました。



そして、また長い手紙が添えられていたのです。



自分は、(独身だった)ヒロシ の面倒を長年見てきた。近所の蕎麦屋から蕎麦の出前をとった時には、自分の財布からお金を出してご馳走してやっていた。あの店からよく出前に来ていた太った店員に聞いてくれれば、自分がお金を出していたことを知っているはずだ。ヒロシが個人的にお金を貸していた人のところへは、自分が請われるままに車を出してやって取り立てに行っていたのだ。ヒロシは免許を持っていなかったから、自分がヒロシの足となってやっていたのだ、などとくどくどくどくどと便箋5枚くらいに渡って書いてあった。(要するに、ヒロシがこのようにお金を残せたのは、自分のこのような献身的な貢献のおかげなのだから、自分がその多くを受け取ることができるはずなのだ、という意味らしい。)





余談だが、母を含め、母の兄弟妹たちの文章はとてもくどくどくどくどくどくどと長い。そして読みにくい。母の兄から届いたやはりくどくどと長ったらしい手紙についても今後、ブログに書いてみようと思います。



モリタ、という銀行員にも、この話をきっとくどくどくどくどと話したんだろうな、蛇みたいに執念深く、長ったらしいけれど要領を得ない話に辟易して、多めにもらっていいんじゃないですか、と苦し紛れに口にしたのではないか、むしろ気の毒だったのかもしれない、と感じました。




長くなったので続きます。