今は未来のためにある。すべては自分の中にある。ここはメンタルセラピストの部屋です -2ページ目

今は未来のためにある。すべては自分の中にある。ここはメンタルセラピストの部屋です

いまこの時は、未来のためにだけある。思い悩むこと多い人は、過去ばかり見ている。NLP+TA+カタカムナ。ホツマツタエなどの古代日本からの言葉の霊力(言霊)を交え、未来を開くメンタルセラピストです。

世の為、人の為になること、善い事をしたいと一生懸命に頑張っても叶えられない。
と言う事はないだろうか?

 でも、それはある意味当たり前のこと。
何故なら、漢字で表してみるとよく分かる。

人の為に善きことと書いて、偽善と読む。

つまり、世の為、人のためと言っても、
真実は、
 自分の為、自己満足の範疇を出ていないと言う事。

つづく
    

石原莞爾という人物がいた。
第二次世界大戦の頃に、
陸軍大将を務めていた人物である。
この人物については、賛否両論いろいろある。

しかし、彼が、
日本人は戦争が出来ない民族である。
戦争をしてはいけない民族である。
との信念を持ち、戦争のいち早い終結のために奔走していた史実は知られていない。

元祖日本人は、縄文人で有り、平和を愛する文化国家を営々と築いて来た民族である。

弥生人の様な、競争社会を苦手とする民族。それが、縄文人で有り、弥生人が多く入って来て、競争によって、退縮していった。

ソース顔の縄文人。
醤油顔の弥生人。

令和になり、穏やかな世界。
縄文の流れがやって来た。
そう評するコエがある。


朝晩寒くなりましたね。
しかし、早朝の寒さは一段と寒いデス。
太陽の力を☀️感じずにはいられません。
日中から日没を受けての寒さは、
暖まった体が徐々に冷えていくので、 
体が供えてくれる?

しかし、早朝の寒さは、いきなり
寒い中に落とされる⁉︎

もうこの時期になると、白い息が
出るほどではないにせよ、凍える程の
寒さだ。

そうなると、日の出じゃなく、
日が昇る事が待ち遠しくなるものですね。

今日も5時に家を出て、その寒さ加減に思わず、また家に入りたいと思って11月6日の朝でした。

太古の時代、人間が本能に沿って
生きていた時は、テレパシーや幽
体離脱などが自由に出来ていたと
言ったら、現代人はどう反応する
だろうか。

縄文時代に生きた人々も、弥生時
代を生きた人々によって、その感
覚が失われていったとしたらどう
だろう。

歴史の教科書に出る、縄文人と弥
生人の顔のイラストを見て貰えれ
ば一目瞭然でる。

両者の間には、全く異なる物事の
考え方があった。

全く知らないもの同士が出会った
なら、
仲良く助け合いながらやっていこ
う。
      という姿勢の縄文人。

に対し、

優劣を決め支配し、組織化する。
      という姿勢の弥生人。

この二つの出会いが、その後の
人間の生態を変えていったと言
える。

現代人は、その弥生人の流れの
もとに続いている。

次回へ         

                                     つづく。

 10月は神無月。出雲では神在月。

また、出雲大社は縁結びの神様。

としても有名である。

 

出雲大社の主祭神は大国主命。

 

夫婦円満、男女の縁結びとして、

夏越の祓えとして茅の輪くぐり、

悪を祓い善を結ぶ神は、

スサノオノミコト(素戔嗚尊)

 

八岐大蛇を退治して、櫛稲田姫

と夫婦となりその家を建てた時に

詠んだ歌(日本最初の和歌とも)

 

「八雲立つ 出雲八重垣 妻込に

八重垣作る その八重垣を」

 

縁結びの神社として、八重垣神社

にお二人は祀られている。

 

この二神の子が、大国主命。

 

さて、現代において、結婚とは、

「一夫一婦制」が当然の事として、

民法に於いても規定されている。

 

 しかし、ほんの数百年前の日本

に於いては、江戸時代の頃まで、

「一夫多妻」が認められていた。

 

その背景は世継ぎ問題があった。

乳幼児の生育率が低く、特に男児

の成長は難が多く、成人を迎える

可能性が低すぎたことによる。

 

  一国一城の主として国を安定さ

せるためにも、世継ぎの有無は重

要であり、女児であっても男児に

恵まれ無かったときの、養子縁組

として婿を迎えるためにも大切で

あった。

 

 ところが、それよりももっと前の

日本は多夫多妻の世の中であった。

いわゆる通い婚が普通であり、女児

が重要な地位を占めていた。

 

そうした夫婦のあり方の歴史を見ても

今とは異なる社会背景があった中、

現在の常識が歴史的には非常識であ

る事は多々ある。

 一夫一婦制は安定した平穏な世界

でのみ成り立つ社会制度であり、

不安定な世の中では、基盤が揺らいで

しまうものなのかも知れない。

 

いま不倫が正面切って堂々と語られ

る社会。それは精神的安定感が万人

に於いて薄れてきたことを表して

いるのかも知れない。

 

通い婚という形体に於いては、選択

の難しい、人間性+経済力+将来性

が見通せない社会に於いて普及した

形であろう。

 

つまりは、不安定性がやはり見られ

た世界(社会)であったと。

  平安時代≠藤原摂関家中心時代

であることから、世の中は「不安の種」

が多々みられたことと思う。

 

 同じ藤原家であっても、いつ裏切

られ頂点から滑り落ちるかわから

ない社会であったと考えられる事

からも明らかである。

 

そうした中、太古の日本に於いて、

歴史的にみて最初に詠まれた歌

(和歌)が、

「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに

 八重垣つくる その八重垣を」

であったなら、その時代、社会は、

一夫一婦が当たり前であった平穏な

世の中であった。と、言うことができ

るのではないだろうか。

 

 その歌が、素戔嗚尊が稲田姫と

夫婦となった喜びの歌として読まれ

た。という事は、素戔嗚尊の治世が

安定、安心を与える平和な秩序ある

国であったことの裏付けとなるので

はないか。

 

そこには、乱暴者として天照大神に

高天原を追い出された姿は無い。

 偽りの神話に真の姿が隠されたこと

を物語っているといえよう。

 

その証として、出雲族の地元、出雲の

国の一宮は出雲大社では無く、

素戔嗚尊を祀る熊野大社であること。

 

 出雲大社の正裏には須佐社が祀

られている。

 

 出雲大社の主祭神、大国主命を

拝むと、必然的に素戔嗚尊(スサノオ

ノミコト)を拝むように配置されている。

 

 出雲大社の神迎祭の折に使われる

”火”は熊野大社(主祭神;スサノオノ

ミコト。スサノオノミコトの眠る社。紀州

熊野にある熊野の大元の祭神社。

島根県出雲市。)にある鑽火殿から毎

年頂いていること。

 

八重垣神社にはスサノオノミコトとクシ

イナダヒメ(櫛稲田姫)が祀られ、出雲

の縁結びの大神とされている。

 

 このふたりの子が大国主命であり、

大国主命が出雲大社の主祭神である。

そして出雲大社は縁結びの神としても

有名であるが、それは神と人とをつなぐ

大業を果たした素戔嗚尊への崇敬の念

が大古より伝わっていることから。

 

 櫛稲田姫と結婚して末永く暮らした

八重垣神社も絡み合ってのものでは

ないだろうか。

 

縁結びは人と人を結び、天と人を結ぶ。

また天と地と人とを結ぶ存在。

それが、神となった為政者、

 

   素戔嗚尊(須佐之男命)

 

である。

 

出雲族の首長であり、日向族を傘下に

迎え、日の本を統治すべく、大和に

中心を移し、そこから全国に足を延ば

した。

 

その中心は出雲であった。

つまり大古代の日本の首都は

出雲の国であり、その長は

スサノオノミコト(素戔嗚尊)。

 

その治世は、心温まるもので在り、

多くの人々から崇敬の念で、

崇められていた。

 

それが、天照大神を凌ぐ、

全国14,234社の神社で素戔嗚尊が

奉祭されている。

 

 

記紀の神話に出て来る素戔嗚尊。
天照大神の弟であり、乱暴者として、高天原を追い出され、出雲の国に辿り着いた。そこで、八岐大蛇を倒し、稲田姫を妻とした。
というお話でした。

しかし、神話の話で和歌が詠まれている。
ここに昔から疑問視していたのですが、神の歌う和歌があるとは!?
人間であればこそ、感動や驚き、哀しみを詩にするだろう。と。
神々の和歌が詠まれている。とは、実在の人物がいた。という事ではないのか?

そうした疑問に色々と読み漁ると、やはり出て来た。

結局は、時の権力者が、自分達の正当性や歴史的経緯背景を持ち、権力者の立場にある。という事を神話や歴史書にしている。

それが700年代の日本で行われた🇯🇵
記紀である。古事記、日本書紀。藤原不比等が国家の歴史書を編纂させた。

そして、藤原家の家祖、中臣。日本に、仏教の導入を擁護した蘇我氏を倒し、その後の仏教擁護派であり、日向族、大和族による日本・大和の国の中心である事に正当性を持たせる事。そして、目の上のコブである出雲族を没落させること。

それが、記紀の中に神話として出雲族の歴史を封じ込めてしまう事であった。

伊奘諾尊、伊弉冉尊の子供であり、天照大神の弟。乱暴者である為に、最後は高天原を追い出された。そして、出雲国に流れていった。そこで、八岐大蛇に生贄に出された、櫛稲田姫を助けようと、八岐大蛇を倒し、櫛稲田姫と夫婦になった。

そうした書き換えられた神話が、今も脈々と受け継がれている。

しかし、真実は地元にふつふつと湧いては消える様に、足跡が🐾🐾🐾あちこちに残されている。


それを実感すべく、彼方此方と歩きます。
そして、紀行文やエッセイの形で残していきたい。

それは、もう一方で、言霊や古代日本のカタチを見いだすことになるのかも知れない。

それが、弥生からの流れ。つまり   縄文時代、この日本は慈愛と平和に満ち溢れた世界だった。

  しかし、弥生時代になり、この世は物欲に溢れ、所有と囲い込みの欲に支配される世の中となって行き、それは現在まで続いている。
 
     何となく知ってはいるが、詳しくは知らない。また、日本史と聞いただけで眠たくなる。そうした人は多いだろう。
    原因は、学校教育に有る。一時ゆとり教育なるものもあったが、押し並べて、歴史教育は事物、年代、人物。主にこれらを暗記するだけのモノになり、無味乾燥の粉を食べさせられた。
    だから面白く無い。眠い。すぐ飽きる。と嫌がられる存在になっている。
 
  ところで、
    縄文時代、素戔嗚尊の元、日本の民は豊かで、心満ち溢れ、足るを知る。そんな生活を送っていた。
  しかし、弥生時代。それは物欲と支配、そのための奪い合い、時に、殺害、占領のそんな世の中に移り変わっていった。
個人の所有が、和をもって尊しとする。という精神に取って代わり始める時代への突入して行く始めの時代が、弥生時代。
 
  そしてそれは、現在まで続いている。
 
  つづく
昨夜降った雨のわおかげなのか?今日はしっかりとした日差しの晴天なのだが、ここ連日続いた、夏日の様な猛暑から一転して、澄み切った心地良い風が吹き続ている。
  何処か日陰に腰を下ろしていたら、寝入ってしまいそうな、そんな快適な日当たりだ。
   流れ行く雲は、一瞬目を離していると、いつのまにか流れ去っている程の速さ。
これぞまさに秋の快晴。と言うお日和だ。

  ところで昨夜は、RGWのアイルランド🇮🇪対ロシア🇷🇺戦の勝利の歓喜に沸くアイルランドの応援団。

23時過ぎに地下鉄海岸線。御崎公園駅🚉から三宮・花時計前駅🚉に向かう電車は、やはり、応援団のお祭騒ぎに包まれた。
  午後9時過ぎに試合を終えたこの時間、もう日本人の応援団や観客の姿は殆ど姿は無く、競技場から、駅までの途上にある飲食を扱うお店は、グリーンのTシャツを羽織ったアイルランドの人達によって埋め尽くされている。

  どの店も大声で喋り、歌い、踊り。兎に角大騒ぎ! 地下鉄の車中も入って来た扉ごとに大盛り上がり。お喋り、踊る者、グループになって歌い出す者あり。と、騒がしい限りだ。

兎に角、みんなで楽しもうと騒がしい。騒がしい。  日本人と全く気質が違う。
おそらく日本人が真似ても、彼らの様な振る舞いにはならないだろう。

  仲間も、知らない者にも、気軽に声をかけ一緒に楽しむ。が、場を移せばシラフにすぐ戻る。いわゆるケースバイケースが出来るが、日本人の場合は、一言で言うと、後を引く。納豆の様に、こなれるほどに後を引くクセがある。

   良しとするか否とするかは人によるが、否とする人をもまきこもうとするところが、他民族と異なる。

  それにしても、体も大きいが、歌声も、会話も大きくて、そこに他に人はいない様な。

  日本人を含め他の乗客も5、6人は居たが、その姿が見えないほどに、小さな車両をグリーン旋風が、吹き荒れ、渦巻いていた。    その渦に触れると、一緒に渦巻きそうになるので、ここは我慢したが、楽しいよりも、面白い光景が見れたと、録画した。

映されていることを知って、「ヘイ!カモン!」みたく手招きしたり、親指を立ててgood ポーズするアメリカ人と違って、ニコリと笑顔を返すだけで、そのままはしゃいでいるのは、アイルランドだから!?

  残念ながら対戦相手のロシア人の姿はとっくに無かったが、彼等だったらどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、興味も湧いたが、まあ勝利に沸く姿の方が良いので、その機会をまた待とう!

  ところで、日本に応援に来ている彼等は、この後どうするのか聞いたてみた。すると、なんと場所を移して朝までみんなで飲むのだとか。そして、次の試合会場の有る福岡県の博多に移動するのだと。

  全員では無いだろうが大会中開催地を巡り日本中を渡り歩くみたいだ。 凄い!!

  滞在期間、費用、宿泊先。初めての国で、地理不案内でも平気で移動できる。ただ、ただ凄いとしか言いようが無い。と同時にそれが出来る羨ましさが湧いてきた。


  生活に汲々せずに、おおらかに生きている姿を見た。
   お金がなければ、働けばいいんだ。
   遊びたければ、楽しめばいいんだ。
  それだけだよ。 みんなそうなんだから!

     ウラヤマシイ!