昨日のブログで、今住んでいる町に、もうすぐ20年いることになると書きました。![]()
でも、住んではいないですが、一番最初にこの町に来たのは、1993年でした。
その時『この町には住めない!』と、思ったと書きましたが、
これは極めて個人的な感想ですので、そのことはまた後日書く
として、今日は1993年のオーストラリア事情、特に、私の今住んで
いる町を中心に書こうと思います。![]()
今でこそ、インフレが進み、物価が高いと言われるオーストラリアですが、
1993年の頃は、まだ全然そんなことは無かったです。
まず、車社会のオーストラリアなので、ガソリンは生活必需品。
その頃のガソリン代ですが、1ℓが50セントちょいぐらいでした。
今の3分の1の値段です。
そして、うちの町には、60年代、70年代の車が、バンバン走ってました。
やたら大きいアメ車っぽいのも、たくさんあったな~![]()
日本では見ないボロ車がたくさん走ってました。![]()
でも、それはアメリカでも同じだったので、あまり驚きませんでした。
食べ物は、比較的安かったです。![]()
例えば、ミルク2ℓが2ドルぐらいでした。
(これは今も安いミルクは同じ値段です。 でも、今のほとんどの食べ物の
値段は当時と比べると3倍は値上がりしています)
でも、洋服などは安いと思いませんでした。![]()
センスがあまり良くない(日本の商店街レベル)し、縫製も良くないのに、
値段は、当時の西友やダイエーの洋服の値段。![]()
しいて言えば、サイズが豊富なことだけは有難い(デブな私には)けど、
こんなダサいの着ないわ~!って、レベルだったので、サイズが豊富でも
あまり意味なし。![]()
なので、当時、アメリカやイギリスで、服を買いまくっていた私には、
大変ご不満でございました。![]()
しかし! 家が安かった!![]()
不動産をチェックしていた私は、窓に貼られている不動産の広告を見て
ビックリ!
『0が一個足らんのと違う?![]()
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』
というお値段でした。![]()
例えば、こういう感じのウェザーボードの家 ![]()
(画像はグーグルからお借りしました)
これが、200万円から300万円で売られていました。![]()
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もちろん、うちの田舎の不動産の値段なのですが、こういう家は、
今では、うちの田舎でも最低3000万円はします。
当時、この不動産の広告を見た時に、
『えっ!? 貯金で買えるやん! 買っとく?』
という誘惑が正直あったのですが、
『ここには住めん!』
と、その度に現実を直視して諦めました~ ![]()
今思うと、本当に買っとけば良かった! と、大後悔!![]()
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あと、銀行の普通預金の金利が17%でした!![]()
良く考えると、この頃ぐらいから、日本でもシティバンクなどが、
外貨預金を始めていて、オージードルは利率が良いと言われて
いましたよね。
なるほど、銀行が手数料を取ったとしても、17%も金利があれば、
利息が結構増えていきますよね~
当時のうちの町では、正直、ブランド物を見ることがなかったです。![]()
別に、私はブランド物が好きという分けではないのです。 ただ、
ウィンドウ・ショッピングで、センスの良いものを見たりするのは大好きです。
しかしうちの町には、田舎とはいえ、デパートにすら、シャネルやディオールの
化粧品は無かったし、未だに無いですよ~![]()
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当時は、ディオールやサンローランと言っても、誰も知らなかったと思いますし、
ヴィトン、シャネル、グッチのカバンを持っている人など見たことがなかったです。
(最近はたくさんいらっしゃいますよ~
)
今も、別にブランド物が欲しいということもないので、問題ないのですが、
例えば、オーストラリアの思い出に何か欲しいな~と思った時に、うちの町
では、欲しいものがないのですよ~![]()
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良い意味でも悪い意味でも、当時のこの町は、本当に質素な町でした。![]()
つまり、この町では、その人本来が持っている人間性で、全てが評価された
のですよ~![]()
なんかそれが当時は、資本主義経済なのに、社会主義みたいな感じがしたの
ですよね~ ![]()
そして、当時の煩悩の塊のような私には、とってもつまらない町に映ったの
ですよね~ ![]()
1998年にこの町に住むようになって、薄っぺらい中身の無い私は、
手痛いしっぺ返しを受けて、大慌てすることになるのですが、
それはまた別の機会に書きますね~ ![]()
明日は、1993年頃の、オーストラリアのホスト・ファミリーについて
書きたいと思いま~す! ![]()
