この世界は愛で溢れている
  • 30Nov
    • カフェを辞めることになりました。

      今回、2つの報告があります。今日は1つ目のことを書きたいと思います。信じられないことが起こりました。私は、カフェをやめます。もう関わることはありません。どうして?と聞かれれば本当に話すことがたくさんあるし、話し切れないと思う。それに、私が話したら、私の話を聞いた人に、私を正当化しているみたいで嫌だ。誰が悪い訳でもないし、誰のせいでもない。どうか、それを分かって欲しい。でも、私は黙って、ただ投げ出した、と言いたくない。もうこの決断は、何週間前になされたことだけれど、本当にどうなるかわからなかったから最後の最後まで、私は何も言わなかった。それは、私なりの責任であったり、残された人の為を思っての行動でした。そして今、なんだか覚悟が出来たので、伝えたいと思う。今回、このカフェに、たくさんの人が関わるようになった。でも、当初は、彼さんと私と私の家族だけ、そして、少しのアルバイト、それだけでやっていく予定だった。でも気づけば、色んな人が関わっていた。私はその全てを、受け入れた。それは、もし上手く行けば、良いことでもあったと思う。たくさんの人に助けてもらいたくさんの人に協力してもらうのは私のカフェが愛されていく証拠だから。それが愛する人の決断でもあったし、今思えば、私は、下心もあった。何の経歴もない私は、多少なりとも不安があった。でも、既に成功している人、名のある人と一緒にやれば、安泰なんじゃないか、上手くいくんじゃないか、そんなことを少しでも思っていたと思う。でも、そう思えたのは初めだけで、すぐに違和感を感じた。そんなことをやっているうちに、うちのカフェは、うちのものじゃなくなっていった。うちの会社の理念は、うちの会社だけで収まらなくなった。要は、誰かに食われる、ような感覚がした。本来、ビジネスというのは、お金を払う側と、貰う側で、winwinのはずなのに、それだけでは収まらない。そのには必ず、力の大きいものと、力の小さいものが存在して、大きい方がコントロールをするようになる。私は、そんな社会にしたくないと思ってそんな組織を作りたくないと思って自分の会社を作ったのに、それじゃあまるで、他と何ら変わらない。私はどこかで「おかしい」と気づいた。そして、それを伝えてみた。「私たちはそれで上手くいくかもしれない。売上は上がるかもしれない。でも、そんなの、私たちか本当にやりたいことじゃない。私たちがこの会社を作った時、何を思ったのか、思い出してほしい。何のためにこのカフェをしようと思ったのか、思い出してほしい。」そうに言ったら、「今は我慢をして欲しい。あと少しの辛抱だから。」そればかり。そして、「オープンをしたら、好きなようにしていい。あと数年経てば、全て君のものだ。」そういうことじゃない。本当にそういうことじゃない。本当に何も分かっていない。「目を覚ましてほしい」そうに言ったら、「それは君の方だ」と言われた。もうそういうことはやめようって、そう決意してこの会社を作ったのに、それじゃあ、なんの意味もない。私は、初めから最後まで、何の偽りもなく、何の淀みもなく、何の嘘もない会社とお店を作りたかった。そうじゃなきゃここまできた意味がない。そうじゃなきゃ私は心からお客さんを呼べない。そうに言うと、大人は言う「ビジネスを知らない」「想いだけじゃ会社はやれない」「時には巻かれることも必要だ」「それの何が悪い。君の欲しいものはちゃんと手に入る」「経営者は孤独だ」本気でそんなことを思っているのかと思った。「だから、何?」としか思えなかったのは、もしそうだとしても、私たちはその選択をしてはいけない気がした。もしそれが真実なのであれば、初めからやってはいけない気がした。そう言えば、口を揃えてこうに言う、「これはお店のためなんだ」「そして、それは君のためでもあるんだよ」でもね、私には分かる。そんなの、全然カフェのためじゃない。それは、「あなた自身のため」でしょう。あなたが、そうしなきゃ怖いから、あなたが、真実を信じられないから、あなたが、ずっと嘘をついてきたから、それを私や、私の会社に押し付けるのをやめほしい。私やこのカフェを使って、感情消化をしないでほしい。それが見えて見えてしょうがない。それは、あなたの都合でしょう。大人のどの意見も、そうにしか思えなかった。もちろん全ての人じゃない。だってその他の人間は、見て見ぬふりをするのが得意だから。こんな言い方をすると、まるで、その人たちが悪いと言いたいように思われるかもしれない。でも、そう言いたいわけじゃない。そう伝わってしまったら、それはそれでとても悲しい。私のわがままかもしれない。見て見ぬふりをするのも、また誰かのための愛かもしれない。自分に嘘をついて生きるのも、また誰かのための愛かもしれない。みんなそれぞれ、守るべきものがある。今回の出来事は、私が私の考えを貫いた。私自身を守った。みんなも同じように、みんな自身を守った。その結果でしかない。みんな一生懸命生きている。そこに、正解も不正解もないし、誰が悪い、誰のせい、などもない。みんながそれぞれ、好きなように結果を出しただけ。今回私は、とてもとても大きなものを失ったと思う。愛する人たちと、我が子のようなお店と、その未来です。でも、私にとって、私以上に大切なものなどこの世になかったのです。私は本当に自惚れていると思う。私はどれだけ自分が合っていると思っているんだろうと、自分でも思う。何の経歴もない、何にも成功していない私が、何千、何億と稼いでいると大人に、本当に何を言っているんだろうと思う。でも母が最後に言ってくれた。「結局、一番年下で、一番経験のないあなたが最後まで一番純粋だった。」私は涙が止まらなかった。私はあのカフェから手を引くけれど、あのカフェは予定通りオープンします。私は、あのお店をずっと愛しています。まるで、私の、我が子のように思う。だから、離れるのがすごく寂しい。毎日涙が出るほど悲しいんです。私は最後まであのお店を手離したくなかった。どんな状況であっても、守っていくつもりだった。それはまるで離婚をして、子供を取られた気分。本当に面白いと思う。名前も、ロゴも、内装も、全てを決めた張本人が、これからは一切関わらないなんて。だけど、上手くいくことを祈っています。カフェはもう命を宿っています。もう生きています。このカフェ自体に、嘘や偽りなんて一つもないです。みんな一生懸命にやった結果です。そして、その空間は何の淀みもなく透き通っている。あのお店は、上手く行けば、たくさんの人を幸せにしていきます。私は、あのカフェを、あの人たちに任せたんじゃない。あのカフェが、あの人たちを守ってくれる、そんな気がしたんです。触れることはできずとも、これからも、一緒に生きていきます。どうか、応援していてください。見守っていてください。今回のこの記事は、私の中での事実であり私の気持ちでしかありません。他の人の中には、また別のその人の事実と気持ちがあります。実際、これだけじゃ収まらないほど紆余曲折ありました。それをどうか理解して頂けると嬉しいです。

  • 08Nov
    • その悩み、どうやって乗り越える?

      全てが選択でしかないな、って思うのです。 クライアントさんはもちろん私に周りにいる人の色々な悩みを聞いていて気づいたことがありました。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧悩んでいる人に共通すること。それは、「選択ベタ」。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私がいつも悩みを解決するときの方法はとにかく自分の答えにたどり着くまで選択していくこと。だから、誰かの相談に乗る時はどんどん質問をしていって選択をさせて、その人の着地点まで持っていく。よーく考えてみたら、きっと、悩んでいる人はその選択の方法を知らないんだって思った。自分に選択肢があることさえ気づいていない人もいるほどだから。多くの人が、「ここからもう動けない」「もうなすすべがない」そんな風に勘違いしてる。だから、その場に立ち止まって悩んでしまうんだと思う。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ まず、自分がどこに立っているのかを知ること。そして、自分がより望むことを知ること。そして、今の自分にできることを知ること。そうやっていくと今の自分にある選択肢が見えてきてその選択肢の中から自分が一番いいと思ったものを選択すればいいだけなんです。だから、よく「悩みを乗り越える」っていうけれど乗り越えるものじゃなくて「選択して、答えを見つけていくもの」なんだと思う。だから私にとって悩みを解決することはそんなに難しいことじゃなかった。だって、無理をしてまで乗り越える必要なんてなくてただ、今の私の手元にある選択肢の中から一番私が望むものを選ぶだけだから。      cafe Mikoto 美命

  • 06Nov
    • 病気だからこそ得られた人生(困難は結果じゃない)

      健康であるに越したことはないけれど、実際、病気になってみて悪かったことってそんなにないんです。これを言うのは少し不謹慎かもしれないけれど…私は本当に、病気になって良かったって思っているんです。でもそれって、私の人生の全てを、全体として捉えた時の感想なんです。もちろん、検査や手術は痛いし終わりが見えないストレスもあるし不安や憤りも感じるし持病の喘息の発作は最近もっと悪化して、とてつもなく辛くて大好きな歌も歌えないし最近なんて、咳が止まらずにまともに話すことすらできない。でも、そうだったとしても、全部ひっくるめて全てこれで良かったなと思える自分がいるんです。こんなことを言ってしまうともう誰からも心配されないんじゃないかと思う時もあるんです。だって、そんなことを言っていたってやっぱり、心配されるのはすごく嬉しいから。「大丈夫?」「大変だったね」「頑張ってね」「応援してるよ」そんな言葉をかけて貰えた時、私の心は本当に癒されます。守られていて、愛されていると思えます。どんなに幸せな時でも、どんなに大丈夫な時でも、やっぱり、愛の言葉を貰う時、いつでも涙が出るんです。だから、私は実感しています。元気だからって「あの人は助けなんて必要ないわ」上手くいっているからって「あの人は応援する必要はないよね」そんな風に思うのは、悲しいことなんだと。相手がどんな状況であっても応援したいと思えるか助けたいと思えるか結局はそこなんだな、と思うのです。私は、本当に辛い時にしか「辛い」と言わないし本当に悲しい時にしか「悲しい」と言わない。そして、今、辛くも悲しくもないから弱音を吐かない。例え病気であったとしても。たくさんの人に心配して貰えたら応援して貰えたらそれはそれで嬉しいことだけれどでもその為に「可哀想な自分」を装うなんてなんて自分に失礼なんだろうと思うから。私の家族やパートナーや数少ない信頼できる友人は、私がいくら笑顔でいても心配してくれる。私がいくら大丈夫と言っても助けてくれる。私がいくら満足だと言っても与えてくれる。「これだな」って思うのです。本当に大切な人って、相手がどんな状況であっても愛を与え続けたいんです。たくさんの人に心配してもらうことはとても嬉しいし勇気が湧きます。でもね、他人に心配されるより、まず、自分が自分を心配してあげる。私にはその役目がある。私が、病んだ自分と一緒になって、私の身体と心を顧みず、「可愛そうなフリをしていたら」一体誰が本当の私を助けてしてくれるの?一番最後に私を助けられるのはやっぱり私しかいないのだから。私はいつまでも私にエールを送り続ける。今までもそうやって、生きてきたんだ。昔言われたことがある。学生時代、怪我をした友人に「でも、それもきっといい経験になる。いつか、あなたの力になる。」そうに言ったら、「怪我なんてしない方がいいに決まってるじゃない。」そうに怒られました。周りにいた友人も頷いていた。「あれ?私は彼女のためになることを言ってあげたかっただけなのに、傷つけてしまったかな。」そんなことを思って反省したのをとてもよく覚えている。でもね、今なら自信を持って本当にそうだと言えるんです。(今ならそんなことは他人に言いません。)でも私の中では自信を持ってそうに言える。だからこうやって私のスペースを使って発信していく。私たちの経験の全てに、意味がある。私たちはそこから何かを学ぶきっかけを与えてもらった。そして、困難さえも「今とは違う未来に進むために思いっきり舵を切る!」私にとってはそんなイメージなのです。病気だからこそ得られる日々を送っている。病気だからこそ得られる愛を感じている。病気だからこそ得られる未来が見えてくる。とても分かりやすく言っただけで、正しくは、「病気だから」じゃない。私が進むべき未来がもう存在していて、病気は、そのために用意された出来事でしかない。困難な出来後は結果じゃない。私たちが進むべき未来へたどり着くための路線変更でしかない。cafe Mikoto 美命

  • 05Nov
    • 今日の私のために出来ること(手術をしました)

      10月30日に子宮頚がんの手術をしました。牛乳と私。実は新しいブログになってからこのことについて書く必要はないのかな?と考えていたのですが、以前から応援してくださる方やクライアントさんから「その後どうですか?」というメッセージだったり「無理をせずに頑張ってくださいね」と言ってくださることが多くてそれに、こんなコメントを受けました。「子宮頚がんはどうなったの?子供産めないの?wざまあみろ」(よく分からないけれどこんな感じ)笑ってしまいました。それを見たとき、「あ、きっと伝えていきなさいと言われているんだな」と思ったのです。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧正直、自分の考えや生き方を伝えていくことは好きだけれど自分が大変だったことを伝えることにどうしても意味を感じられなかったんです。だって、何かを乗り越えた経験なら多くの人とって意味があるけれど、ただ私が「悲しかった」「辛かった」そんな話をみんなは必要としているのかなって、思っていたから。それでも、誰かの役に立つと信じて今回も綴っていきたいと思います。(きっと長くなるので少しずつ書いていく)୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧今は術後の発熱に苦しんでいましたがやっと36度まで下がったところです。実はこれ手術よりも辛かったかもしれない。頭痛とだるさと、何より、何も仕事ができないことが一番辛かった。動こうと思っても、動けない。気持ちは元気なのに、身体が重い。カフェオープンまでにやることはまだまだ残っているのに足止めをされている気分です…。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私の手術は比較的に簡単なもので、術後すぐに退院できました。結論から言うと、子供は問題なく産めるし性交渉も変わらずできます。←正直、他の人と何ら変わらなくなった。違うことは、検査に行くことくらい。みんなが心配して下さっているより全然軽度なものかもれません。会社関係の人に病気のことを伝えるととってもびっくりされるのですが、私は笑顔で「でも死ぬわけではないのでね、」と答えています。そうすると、唖然とされますが。本当にそう思っているんです。もちろん悪化をすれば死ぬ確率はあるけれど、でもそれって、みんな同じなんです。明日死ぬかもしれないのはみんな同じです。だから、私はそんなことに悩む必要はないと思ってる。痛みとか、辛さとか、今私の体が感じていることに向き合う必要はある。だってそれは、私の体が私に示す、唯一の方法だから。私はそれに気づいて、ケアをしてあげなくちゃいけない。私の今の一番の仕事は、私の体の声を聞いてケアをしてあげること。でもね、(病気のせいで)いつか死ぬかもしれない子供ができないかもしれない身体が動けなくなるかもしれないそんな「かもしれない」ことを心配する必要なんてない。まだトライもしていないことにまだ来てもいない未来のことに心配する時間があるのなら今できることを精一杯する。実際、病気でなくても子供ができない人はいる。だから、私が不妊の可能性はゼロではないけれど、でも、もしそうだと分かった時も、私たち夫婦はその時にできる精一杯のことをやっていくしかないのだと思う。今できる精一杯のことを自分のためにしてあげること。私たちが今日できることはそれだけです。明日、来週、来月、来年、どうなっているか心配する時間があったら今の自分の100%の力で、自分のために、今できることをしてあげる。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私は今日、ずっとベッドの上にいた。仕事も手をつけられず数時間おきに体温計を計っては彼に報告たったそれだけの1日だった。でも今日も、できる100%の力で精一杯生きた。だから、今日という日に後悔がない。今日も、好きな人に好きと言えた。今日も、愛する家族に会えた。今日も、自分の体を使って自分を表現できた。今の私にとって、それ以上に必要なことはありません。cafe Mikoto 美命

  • 03Nov
    • 私の幸せは、手で触れることができる。

      大事なのは、過去や未来よりも今、この瞬間に幸せと思えるかどうか。今の選択をするときに、未来のことなんて考えなくていい。もちろん、未来に希望を持つことは大事。未来を見越して考えることも大事。でも、私は、明日の自分のために今日の自分を苦しませる選択を絶対にしない。というより、出来ない。だってここで我慢すればきっと・・・とか少し無理をすればきっと・・・とかそのきっとくる未来は、いつの話?と思ってしまうから。だから、生きている中で「きっとこの選択をしたらもっと豊かになるかもしれない」「これを逃したらすごく勿体ない」そんな選択に迫られたことが何度もあったけれど、私はいつも、「未来の私が幸せかどうか」よりも「今の私がそれを選びたいのか」をよく考えてきた。そして、未来のことなんて考えず、今の私が幸せだと思える選択をしてきた。だからいつも幸福感を感じることができたし、その選択は間違っていなかったと思える。だって、もし今日それを選択したら明日(未来)の私が幸せだってどうやって保証できるの?でも、今の自分が幸せかどうかは保証なんてしなくても、ちゃんと、この体で、この心でちゃんと、今、感じることができる。今すぐ確認できる。今ここで、感じることができる。私の幸せは、いつだって目の前にある。いつだって触れることができる。だって、今の私が、今の私のために選んであげた幸せだから。誰の目も気にしなくていい。誰も私の選択を否定しないから。誰のことも考えなくていい。まず私が幸せになることが愛する人たちへの恩返しだと思うから。本当に苦しいことをやめる。本当に望んでいないことを拒否する。せっかくここまでやってきたんだからって耐える必要はない。せっかくのチャンスなんだからって勿体ぶる必要もない。本当に嫌ならば、今すぐにやめる。今すぐに立ち去る。今すぐに縁を切る。それでいい。いつか触れられると信じて、触れられない幸せを選択し続ける人生を、今すぐやめること。それが、今自分のためにできる一番の選択。cafe Mikoto 美命

  • 02Nov
    • 手を抜くというスキル(完璧を目指す私の話)

      何かを作り上げたい時に私はどうしても完璧を求めがちだけれど(もちろん、完璧を目指してきたからこそ今があるのだけれど)でも、もし、完璧を目指すことが自分の足を引っ張ってしまうのならば、「手を抜く」ということも私たちには必要だと思うのです。でも、完璧を目指す人にとってそれってとっても難しいことだと思う。私自身がそうだったので、とてもよく分かる。でもね、完璧を目指してばかりいると人は必ず壁に当たるのです。だって、私たちには限界というものがあるから。時間、体力、心の余裕全てにおいて限界がある。だから、完璧をずっと目指す人はきっと苦労して生きているはず。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧以前、私のパートナーから素敵な話を聞きました。それは、「何かを選ぶ時、一番じゃなくていい。二番や三番でいい。きっとその二番や三番は、いつか一番を買えるものを作り出す。」と。とても素敵だと思った。ずっと二番や三番のまま、そう思うのは辛いけれどこれがいつか一番に変えてくれる。私が目指すものを作ってくれる。そう思えたら、完璧でないものを選択することさえ完璧を目指すための選択になる。それの何がいいかって、時間を無駄にしないことだって思ったの。だから、私は即その考えを採用した。それって、完璧を求める人にとって、ある種の潤滑油のようなものだとも思ったの。完璧を目指しすぎて立ち止まっている時間を今できるものを活用して完璧を目指す時間に変えるという手もあるのだと。その瞬間は、「手を抜いた」と思うかもしれないけれどそれはいずれ、自分が目指すものに変化するかもしれない。私は今、全ての選択をそう信じて決めている。cafe Mikoto 美命

  • 01Nov
    • 自分の意思を伝えることを怖がらない

      例えば、自分の意見を言う時に、「こうに言ったら嫌われるだろうな」とか「こんな事を人に言ったら引かれるな」とかそんな風に怖気付いた時、多くの人は、本心を言わずに人に好かれるようなことを言ったり人の意見に合わせたりするのだと思う。でも、それって逆だと思うのです。これは私が実際にしていることなのだけれどまず、「人に言えないようなこと」を自分の意思・本心・本音にしないこと。「え?どういうこと?」って思うかもしれない。だって、本心って自分の中から湧き出てくるものでコントロールできるものではないし、だからこそ、他人や常識とのギャップに苦しむわけで・・・。それも、十分に分かるのです。でもね、そういう人の「誰にも言えなかった」本心を聞いてみると全然おかしくなかったりする。「え?普通のことじゃない?」とか「それをずっと言えなかったの?」とびっくりしちゃうほど。だから、私は思ったのです。私たちが「他人に本音を言えない」と思うのは自分の本音が他人とズレているからとか自分の意思が常識から外れているからとかそんな事が理由なのではなくて、まずその人の根底の中に「私は他の人に理解してもらえない」「私は多くの人と共感できない人間」という思い込みがあるのだと。だから、まるでその本心・本音がいけないことや罪のような考え方を持っている。そして、理解できない伝え方をする。理解できない人にわざわざ伝えようとする。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧全ての人の異なる意思は、その人の大事なアイデンティティでしかありません。あなたの意思は、誰のことも傷つけないし誰のことも否定もしません。誰にも非難されることはありません。意思って必ず理由があるんです。必ず、自分にとってメリットがあるんです。自分の本音や本心が誰かとギャップを感じた時、私たちが一番にしなければいけないことは自分の本音や本心を隠すことではなくて、その理由と自分へのメリットを探してあげることです。そして、決して共感できなくてもいいからその理由とメリットを話せる人に聞いてもらうこと。できれば、分かってもらうこと。自分の想いをシェアできる人を作ること。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私は、社会や常識から随分外れた生き方をしているという自覚があるけれど、でも、むしろそれを、伝えることが自分の仕事でもあると思っている。だから、常識の中で生きている年上の方にも怖気付かずに、「自分の気持ち」を伝える。「きっとこの人と意見が合わないだろうな」と瞬時に分かったとしても。その理由も、きちんと添えて。そうすると、何が伝わるかっていうと、私の情熱が伝わるんです。意思や本音や本心を伝え合う行為ってその、熱量の熱さとか、重さとか、そういうものをシェアをするためだと思っているから。だから、どんな人でも、私の話を真剣に聞いてくれる。だって、みんな、最終的に「相手がどんなことを考えているか」を知りたいわけじゃない。「相手がどれだけの熱量をかけて自分と向き合ってくれているか」を見ているのだから。だから私は「あ、この人には伝わらないかも」と分かったら、すぐに自分の意見を言うことやめる。でも、その代わり、私の熱量とそこに対する想いを伝えることにシフト変更する。それを言われて、否定する人はいないはずだから。そうすると、どんなに正反対の意見でも、話を聞いてくれたりするものだから。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧自分の意思に自信がないのなら、自信がないままにしておかないこと。どうやったら自信を持って自分の意思を表現できるのか自分とミーティングをする必要がある。意思って何で出来ているか、知っている?今日まで生きてきた自分が自分が幸せになるために作り上げてくれたものでしょう。私たちが意思を伝える時に一番伝わって欲しいこと。それは、「私ってこんなことを考えているんだよ」ってことじゃない。「私、こんなに一生懸命生きてきたんだよ」だから、意思を伝えることを恐れないで。ずっと、あなたの生きてきたその証を伝えていって。cafe Mikoto 美命

  • 25Oct
    • 私の夢が叶う時

      お久しぶりです。cafe Mikoto 代表の みことです。カフェオープンに向けてブログを新しく開設しました。これからはお店のことについても書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。☺️一つ目の記事、何を書いたらいいか、とても悩みました。それでも、「ブログはいつでも書ける」「私の想いはいつでも届けられる」そうに思ったので、今回は初めて読んでくださる方へ向けてこれから私たちが始める事業について書いていきたいと思います。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私たちの会社の名前は「MIKOTO」です。これは私が付けた名前で、「命」からきています。我が社は、今年「cafe MIikoto」をオープンします。私たちの会社は最近できたばかりのまだまだ小さな会社です。私と私の家族、そして、少ない従業員とアルバイトのみです。私は以前から会社を経営することを目標としていまいた。でも、カフェをしたいなんて、これまで一度も思ったことなどありませんでした。もちろん、私の家族も、同じです。私はコーヒーや料理の知識もありません。もちろん飲食店経営など全くの無知です。そんな私たちがなぜカフェを始めようと思ったのか、それには、大きな情熱と希望がありました。私たちは決して、カフェを開きたかったわけではないのです。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私は元々、心理カウンセラーとして活動していました。そして、会社を作り、自分のサロン(スペース)を持つことを次の目標としていました。そんな中、私は、私のクライアントさんが私のサロンへ来ては帰っていく様子を何度も想像し、ふと思ったのです。「もっと、みんなが集まれるような、みんなが帰ってきたくなるような、ホームのようなスペースが欲しい」カウンセリングに来る人だけが立ち寄り、カウンセリングが終わったら帰っていく。それだけじゃ、なんだか物足りない!決してカウンセリングなどしなくても私の元へ訪れて、できるだけ多くの人に癒されて欲しい。それが・・・私が何をやっているとか私がどんな想いでやっているだとか私が何者であるだとかそんなことを知らない人でさえもただ、「カフェがあるから寄ってみよう」そんな軽い気持ちで訪れてくれた人さえも知らないうちに癒されて欲しい・・・そして、知らないうちに、また訪れたくなって欲しい・・・そんな存在であり、そんな空間を作りたかったのです。それでも、何もかも初めてのことだらけで、何もかも膨大にお金がかかる中で、「別にカフェじゃなくてもいいんじゃないか」そんな言葉も、何度か役員から漏れたのです。それでも、「いや、絶対にカフェがいい。(一定数の人が集まれる)スペースがなくちゃ意味がない。」私はそう言って引き下がらなかった。だって、そうじゃなきゃ、お客さんが「意味もなく」訪れることができない。コーヒー、一杯でもいい。誰かが訪れる理由をできるだけ多く作りたかった。「どのようなご用件ですか?」と聞く必要のない、自由に、自然に訪れることのできるそんな場所を作りたかった。それは、愛に溢れた場所。命が行き交う場所。生きていると実感できる場所。私たちにはそんな場所が作れる。そう、思ったのです。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧私たちの会社は、飲食店経営を目的とした会社ではないしカフェを作る会社でもありません。「人と人とが繋がり命が集まる場所を作りそこで、エネルギーの循環がされ多くの人が癒されていく」そんな空間や機会を作る会社それが、私の会社です。そしてそんな会社が、たまたまカフェを運営することになった。それだけです。でも私たちは今、それだけのことに命をかけて、取り組んでいます。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧よく考えてみたのです。私は何のためにカウンセラーになりたかったのか私は何のためにスペースを作りたかったのか私は何のためにこの仕事をしたかったのか全て、「人と人とが繋がり命が集まる場所を作りそこで、エネルギーの循環がされ多くの人が癒されていく」そんな空間や機会を作るこのためだったのです。そのために、私が全ての人にカウンセラーであることを知ってもらう必要はないし、私が自己満足で会社を作る必要もなかったのです。その方法は、何だってよかったのです。私の夢がまた一つ叶う時、多くの人が幸せになる。そう信じて、私が今出来る100%のことを、この世界へ表現していくんだ。だって、誰かの夢は必ず誰かを救うから。私たちはそのためにたくさんの夢を見る。ずっと願っていた夢が叶っても、満足できずにまた次の夢を見てしまうのは、それは、ただ貪欲なだけではなく、誰かがまた私たちの夢に救われるのを待っているから。私たちには誰かを救う力がある。私たちには誰かを愛する力がある。私たちには誰かを生かす力がある。そのために、いつまでも夢を見る。そのために、自分の夢を信じて生きていく。