ご無沙汰しています。
不定期更新の私のブログを読みに来ていただき本当に有り難く思っています(uωu*)
ずっと読んでくださっている読者様には、今までにお話ししたことも含まれることがあるかと思います。ご了承下さい。
2000年 ミレニアムベビーと言われた20世紀最後の年に生まれた長男
翌年 テレビで9.11をライブ映像で見ることに…それからはあらゆる自然災害の平成だったような気がします
私は今、長年勤めた会社を辞め、発達障がいを持つ子どもとその家族を少しでも支えることの出来る人間になれるよう勉強中です。
2歳で、広凡性発達障害を考慮 知的指数70
で、診断を受けた長男
あれから、16年が経ち、昨日から行われている大学センター試験には挑んでいます。
言葉の発達が見られ、会話が出来ると思っていたものはオウム返しで、泣き出したらチアノーゼが起きるほど激しく泣ききり、
本格的に預けることになった保育所で長男と私は辛い1年間を過ごしました。
幸い4歳4月から、別の保育園に転入することが出来、副園長をはじめとする先生方の温かい保育と支援の元で、
長男もかわいい笑顔で毎日びっくりエピソードを繰り広げながら、のびのびと過ごし、初めは1級下のクラスから始めた園生活も、途中から同じ歳の子たちと、過ごせるようになり、卒園時には
「生き物博士になる~♪」
が、長男の夢となりました
こんなに成長できて、本当に良かったと安心して普通入学した小学校では、予想を遥かに上回る不適合で、沢山の先生方を大変な目に合わせることになってしまいました。
この頃までの事を長男はあまり覚えていません。
本人もそれだけ混乱の毎日の中にいたのだな…と今さらになって思います
小学2年生から、ソーシャルスキルトレーニングと学習の遅れを出さないための個別学習のため、支援クラスに移行しました。
目標は自立した大人になるために、高校進学と大学進学を目指し、個性の強い長男でも仕事に着けるよう得意分野の生き物の勉強が出来ること。
自分の好きな分野をどのように、人のためになることと繋げていくことが出来るか?
とにかく、中学校では、普通クラスに
高校は進学高校に
好きなことを仕事にいかすのために大学進学
が大きな道筋で
だけど、五分と席に座ること、教室からの脱走しないことを目標にしなければいけなかった小学1年生には、大学を受験できる高校生になるために数えきれないほどの問題と解決を繰り返しましたよ(((^_^;)
長男は今、センター試験の真っ最中で、まだ、大学に行けると確定したわけでもなく、問題がなくなったわけでもないのですが、ふと、よく、ここまでこれたなぁと…
長男を今まで育てるにあたり、2つ大きな節があります。
1つは初めて発達障がい関連の講演会に参加したときの、
「ごめんね。これが僕なんだ」
という、言葉を見た瞬間
ごめんねなんて言わせない。長男は長男のまま育てばいい。長男が長男らしく大人になれるように私も勉強しよう!長男と歩んでいこう!と思ったこと。
もうひとつは小学4年生くらい
放課後学校外で遊んでくれる友達のうちへ遊びに行ったら、先にきていた近所の子どもが
「うぇ!◯◯だ!きも!」
と、長男を見るなり言ったので、いつもは遊んでくれる友達が、
「今日は遊べん」と、追い返されて帰ってきて、長男が帰るなり私のところに来て、足元の床に崩れ落ち泣き崩れ
「僕はお友だちがいないのに◯◯くんしか遊んでくれないのに、もう遊んでくれるお友だちはいなくなった」
私の胸は、焼けるように突き刺さる悲痛な叫びと涙、長男が長男であっても友だちでいてくれる子を守ってあげたい。
沢山の支えと理解者が増えるに連れて、多くはないけど友達が出来て、環境が変わっても、誰かしら、理解者や支援者引き継がれて、長男は成長し、乗り越え、また、新しい世界に進むことが出来て…
どれだけの人たちに支えられて生きているんだろう。
とりあえずは、どうか、センターで結果を出して合格することが出来ることが、平成最後の望みです。
いつも、応援し支え、励まし、そして、長男の成長が目標で夢であると言ってくださった方々、ありがとうございます。
平成最後によい報告が出来ること祈って頂けると心強いです(uωu*)
皆様の平成も次もよい節目であることをお祈りいたします。
あなたの平成ラストにやり残したことは?