自由な発想のチュン君を見ていると
“学ぶ”ってなんだろう?
“勉強”って何だろうって 考えさせられる。
彼は 日本では学習障害という診断名がつく。
でも 学習ができない訳ではない。
簡単に言えば
私たちが習った方法や理屈では 理解ができない事がある…とか
そんな感じ…じゃないかと思う。
それって 分かる気がする。 私も覚えがある。
私は 数学が好きだった。
計算は 嫌いだったけど(今も
)
文章問題とか 複雑な図形の面積や容積を求めるとか
めちゃくちゃ 楽しかった。
推理小説みたいだと思った。
絶対 犯人を見つけてやる!!
って感じ。
しかし 学年が上がるにつれ 複雑になってくると
取り合えず 覚えとけ!的な 公式が多くなる。
なぜ その公式が成り立つのか ほとんど説明もないままに。
例えば 球の表面積は 4πr 2 覚えとけよ~みたいな…。
何で?
と聞いても とにかく覚えてれば試験は合格!みたいな感じで。
すると 少しずつ 数学が面白くなくなってくるのだ…
だって 犯人探しは 意味不明な公式とやらが やってくれる。
探偵 miwa なんか お呼びじゃないのだ。
← 誰?
結局 球体の表面積に ついては 当時の家庭教師が
理解力の低い 私に ミカンの絵を描きながら 丁寧に教えてくれて、謎が解けた。
ものすごく感動した。
しかし 感動した分 そんな短い公式で表現するのが 勿体なくなった。←何故そっち?
しかも 公式になる前の 長い長い 計算式を しっかりと確実に自分の物にしたうえで
公式を使ってあげても良いと考えていた。← 何故 上から目線?
(私は かなり 変わった子だった…らしい…
)
だから 球の表面積の問題が出ても 公式を使わなかった。
1歩 1歩 犯人に近づく為の 長い長い 計算式を書いていった。
頭の中に ミカンの皮をイメージしながら。
とても 楽しかった。
しかし 当然 テストなどの場合 その1問に 結構 時間がかかっていたので
他の問題に手が回らず 点数は取れない事に。
(本人は 結構 満足していたりする…
)
そんな事が 重なると 数学全般の成績なんて ガタ落ちだ。
まったく… 限度を知らない 頑固な お子様だ。![]()
もう 今では 球体の表面積の求め方どころか
数字を見ただけで爆睡してしまうようになったが![]()
私は あの時 確実に“学んで”いたのだと思う。
他の子とは こだわる部分が違ったけど
学ぶペースも違ったし
テストの点数も成績も どんどん下がっていったけど![]()
私は 勉強が大好きだった。
でも それが個性であり それが 学ぶ という事で
みんな 大なり小なり ある事ではないだろうか?
子ども達の持つ 豊かな才能を画一的な教育や受験というもので
逆に潰してしまっているのではないだろうか?
子は宝
である。
この国の 宝
である。
そして その宝が 次の日本を作る。
私たちは その宝に支えてもらう日がやってくる。
しかし その前に その宝をどんなふうに磨いて行くのかは
私たちに課せられた 大きな大きな 責任である。
そして その為には
今まで 常識だと思っていた事を
根底から覆さなければ ならないのかもしれない。