何回もの不幸の連続の中で | 教師の転職相談室

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-「教師の仕事はもう嫌だ」と思った時に読むブログ-

こんにちは!
「人生は、そして運命は、自分で作り出すことができる」

-日本から教師の自殺・うつ・過労死をなくす活動家-
教職歴25年、教師の転職コンサルタント/教師専門のキャリア・コーチ藤井秀一です。


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これまでも何度か触れてきましたが・・・

 

2007 年の正月、私は妻を胃がんで亡くしました。
 

前年の夏に倒れ、38 歳にしてわずか 4 か月で他界してしまったのです。

 

夫婦で子どもの将来を相談する時間はまったく足りていませんでした。

 

その時、一人息子はまだ 8 歳で、小学 2 年生・・・
 

教師だった私の帰宅時刻は、夜 9 時や 10 時を過ぎるのが当たり前でした。
 

母親を亡くしたばかりの彼を、そんな時間までとても一人にはしておけません。

 

やむを得ず、私は息子を連れて、自分が生まれ育った東京・向島の実家に戻りました。
 

まだ半分以上ローンが残っている川崎のマンションを放置して。
 

「今後」 を考えることさえできず、頭の中は真っ白けの状態でした。



 

 

私の両親が間近でサポートしてくれたので、彼はスレることなく育ちました。
 

しかし妻の死から 2 年半後、今度は私の母が肺がんにかかりました。
 

右肺の切除・摘出という大きな手術を伴う、大変な治療となりました。

 

私には、妻が倒れる以前から、ある考えが頭の中にありました。
 

「一つの学校ではなく、教育界全体のサポートができる仕事をしたい」
 

母ががんにかかった時、私は自分の未来設計を、重い気持ちで真剣に考え始めました。

 

ある年、自分の中の矛盾に耐え切れなくなって、3 日間の休みを取りました。
 

海が見える横浜のホテルにこもり、自分の将来について集中して考えました。
 

「生徒は裏切りたくない、だが、今の場所は自分には狭すぎる」 との苦悩を抱えて。

 

仕事への熱意と集中力の低下を日に日に強く感じ始めて苦しんでいたのです。
 

当事は毎朝の出勤さえ苦行のように感じていました。
 

でも結局、その 3 日間の思考では、何の結論も得られませんでした。

 

そして、あの忌まわしい東日本大震災のあった年・・・
 

年末近くなって、今度は 93 歳の祖母が突然倒れ、寝たきりの痴呆になりました。

 

心臓病の父と肺がんの母が祖母を介護する様子を見て、私は退職の決意を固めます。
 

「自宅を離れて毎日出勤するのは危険」 と判断したためです。
 

祖母の寿命が近いことは明白でしたし、その時には再就職もできると信じていました。



 

 

まもなく祖母が亡くなり、私は社会復帰のために再就職の活動を始めました。
 

狭い一つの学校の中ではなく、日本全体の教育に関われる仕事を探しました。
 

教育機関の業務改善や募集戦略、キャリア教育などの支援に従事したかったのです。

 

でも、支援機関で私を待っていたのは、信じられないパワハラ指導員でした。
 

「ああぁ、学校の先生ですかぁ・・・・」
 

彼はニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、教師を侮辱する暴言を発したのです。

 

私はただ驚き、研修会社でのインターン経験や、学校改革の成果を説明しました。
 

しかしそれでも、さらに驚かされる失礼な発言が上乗せされました。

 

彼がなぜ教師を侮蔑するのか、その理由が私にはまったくわかりませんでした。
 

今にして思えば、当時の私はキャリア転換についてまったくの 「無知」 でした。

 

その後も会話がかみ合わず、軽蔑と思える発言を何度も繰り返し聞かされました。
 

他には失礼な指導員はいませんでしたが、教職の内容の理解までは難しいようでした。

 

この時に知ったのは、教職の職務の本質は他の業界の人には理解しにくいということ。
 

企業向けに 「教職の経験を翻訳して書類に書く」 ことが必要だと気付きます。
 

これは転職エージェントも同じで、半年間、対応そのものを放置され続けました。



 

 

50 歳位を目安に起業を考えていましたが、やむを得ず、前倒しでの人生プラン変更。
 

起業後はキャリア教育や、学校の問題解決のサポートに携わることとなります。
 

その活動の中で、キャリア形成のための気付きがたくさん得られました。

 

しかしそれと同時に、教育界の悲惨な現実にも気付くこととなります。
 

関わったある学校で先生の自殺がありました。
 

精神疾患で休職する先生も後を絶たない状況です。

 

「学校以外にも、いくらでも自分らしく生きられる場所はある」
 

「時代に即したパワーを手に入れて、また教育界に戻ってもよいのでは」
 

そう考えて、個別支援のため、キャリアカウンセリングの資格を取得しました。

 

その頃はまだ、教育界ではキャリアカウンセリングへの理解が乏しい状況でした。
 

なかなかお客様と出会えず、自殺を意識し続けた時期もあります。
 

「自分は社会から必要とされていないのだろうか」 と・・・

 

当時の私には、ビジネス運営の知識が決定的に不足していたのだと今では思います。
 

今のビジネスの仕組みを作るまでは、何十回もの試行錯誤がありました。
 

しかしそれは、「うまくいかない」 行動のレパートリーを知る学びの道ともなりました。

 

ちょっと長くなりましたね。
 

こんな不幸の連続の中で、なぜ私がつぶれてしまわなかったのか・・・
 

次回はその理由をお話ししてみたいと思います。

 

 

私は教職歴 25 年の国家資格キャリアコンサルタント。
 

先生方の悩み解決のため、内容を選ばずサポートを展開しています。

 

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