昨日の「きこえカフェ」のテーマは「職場にまつわる何でもトーク」でした。
今回は心理学専門の大学院生も入り、若年世代、中年世代の話も入って結構、充実していたと思います。
職場のことでやはり共感が持てたのは、耳が悪いとわかっていてもすぐにみんな自分のことを忘れて、仕事やその他の自由なおしゃべりを楽しんでいるという話でした。
また大学で講義保障を受けていても、やはりそれだけでは済まない生きづらさを抱えているという話も出て来ました。
先月からは心療耳科の先生も参加しているのですが、患者さんが「被害妄想ではないか?」という話も出て来ました。
確かに・・・被害妄想にはなりたくなりまする。。。
だってみんな何をしゃべっているのかわからないし、障害のある自分のことをどう思われているのかもはっきりとはわからないからです。
そういえばOwl(アウル)も相手かまわず自由な雰囲気で話し続ける勉強会には閉口していて、「もうええ加減にせぇーよー!」と初めて言ってしまったことがあります。(2年間の我慢でした!)
で、結局、その自由なおしゃべりは無くなり、次回からルールに沿って勉強会が行われることになりました。
しかしこれが一般企業や役所などのちゃんとした職場になると、たった一人の社員の為にそこまでご丁寧なことはしてくれません。
もちろん職場によりますが、まだまだ合理的配慮は雲の上の存在です。
聴覚障害者の雇用といえば、「障害者雇用促進法がなく、手に職をつけて就職していた時代」「障害者雇用促進法が成立して大企業や役所に就職ができるようにはなったものの配慮がなかった時代」「障害者差別解消法、合理的配慮が成立した今の時代」の3つに分かれると思います。
しかし今の時代になってもは合理的配慮は名前だけの存在に近いと思います。
ある会社の入っているビルにエレベーターがなく、客は3階まで階段で上がるしかないという状況があるのですが、「それでは車いすの人は利用できないではないか!」と言ったら「そういうところなんです。」だそうです。
あっ、そう!
これをいちいち障害者差別に値する、法律違反だなどと騒いだところでどうにもならない現実があります。
しかしそのどうにもならない現実を変えていった時代もあるのです。
昔の聴覚障害者は車の運転免許がとれなかったのですが、今は運動を起こしてとれるようになりました。
こういった昔の歴史を探ってみるのも面白いかもしれません。
長い長い時代の積み重ねの中で今の時代があるのです。
そういえばOwlの行員時代はお隣の銀行で聴覚障害者の裁判がありましたね。
入社時に必要な時は通訳を付けることを約束していたにもかかわらず入社後は何の配慮もなかった、また昇格や昇給に必要な試験や研修への申込を拒否されて精神的苦痛を受けたとして、会社を相手どり約700万円の損害賠償を求めました。
最終的には解決金120万円と平等な昇格機会の保障を盛り込んで和解しました。
この裁判は女性が起こしただけに勇気ある人で話題になりましたね。