先週の木曜日も
「Umekiki木曜Marche(マルシェ)」
(@グランフロント大阪)
に行ってきました。
(コロナ前は一か所にまとまっての
出店でしたが、今は分散出店に。)
目的は、母の三回忌のお供えに、
和歌山の岡庄みかん畑さんの
「みかん娘」ちゃんたちを
買わせて頂こうと思って。(^^)/
母は生前、
「みかん娘」ちゃんたちをことのほか愛し、
お歳暮にも必ず頼んでいたからです。
そんな「みかん娘」ちゃんたちの
生みの親というか育ての親である
園主の岩﨑さんは、
マルシェに出店される中で
「みかんってモノじゃない」
ことに気づかれたんです。
今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
あなたに感謝ですっ!
マルシェの場所は、
グランフロント大阪南館のB1の通路。
北館へ、或いは大阪駅方面へ行く人々が
足早に通り抜ける場所です。
(この写真を見て頂くと、
通路のど真ん中ってことが
お分かり頂けると思います。)
目的地へ行く足は
どうしても急ぎ足になり、
顔つきもどちらかといえば無表情。
時間を気にしながら、
サッサカサッサカ。
岩﨑さん(岩ちゃん)に指摘されて
気づいたんですが、確かにそんな感じ。
自分も“サッサカ組”だったので、(^^;)
言われて初めてそうだなぁ・・・と。
でもそんな“サッサカ人”たちも
試食用のみかんを手渡されると、
ニコっとしたり、
「わっ!みかんや~」とか
「ありがとう~」って、
表情が緩むんですって。
(この写真みたいに、
光≒みかんを見てニッコリ。)
最前まで難しい顔してても
自分の手に小ぶりなみかん娘ちゃんが
乗った途端、ホコっとしたお顔になる。
岩ちゃんはそれを見てて、
「“みかん”って、
人の気持ちを和らげてくれる
凄い力があるんじゃないかな。
みかんに触れると、
家族でテレビを観ながらの
ゆったりとした時間だったり、
何気なく傍らにみかんがある、
その方と誰かの、
それぞれの和やかな想い出が、
お顔の表情を
緩ませてくれているのかも」
と思われた。
(ひょっとしたら猫もいたかもしれない。)
そして、
「もし、そうであったら、
毎週木曜日に
マルシェに行って、
みかんを通じて
誰かの橋渡しが
できているとしたら。
ただ、モノを売る、
だけじゃないことが
できているかもしれないな」。
物言わぬみかん、
ありふれてどこにでもあるみかん。
でも、モノとしての姿の奥に、
それが手から手へと渡っていく様に、
コトであったり体験であったりが
ある。
なんかね、すごいなって思った。
農家としてたくさんの収量を誇ったり、
大きな売上を上げる方は
多々いらっしゃるけど、
「自分は“もの”を
売ってるんじゃない」
って思える人は
どれくらいだろう
どんよりした空が続くことも多い
冬空に、太陽の色を凝縮したみかん。
かつて江戸時代の鍛冶屋さん達が
大切にしたという「ふいご祭り」には、
仕事道具や火の神さまへの感謝として
欠かせなかったみかん。※
※そこから「紀伊国屋文左衛門」の
物語が生まれました。
私はもちろん講談で聞きました。(^^)/
“それ”があることで、
人々の間に
どんな“化学変化”を
起こしたのか、
起こしてきたのか。
どんなビジネスもそこへ
“返って”いくことで、
商品の扱い方も、
お客様への対応も、
お客様との関係も、
全く変わってくる
んじゃないかなって思った。
ご訪問ありがとうございました。m(_ _)m
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