前回のブログでちょっと書いた、いただいたイチゴが余りに美味しかったので、今回はイチゴづくしのイチゴ談義。一語一句、イチゴに関係している。

 

さっそくイチゴを口にすると、体力が落ち、風邪を引きかけていた僕を生き返らせてくれた。
鼻水は止まり、喉が楽になり、力がみなぎってきた。まさしく、イチゴ、ゴーゴー♪

いただいたイチゴの箱を見ると「一苺一笑」(いちごいちえ)と書いてあった。

一粒の苺であなたを笑顔に、ということだと思う。ほんとうにそうなる。センス抜群!

僕などは「一苺いい知恵」「一苺いっちゃえ」とかが精一杯でお話にならない。

 

イチゴには苦い思い出がある。実家ではイチゴを作っていた。小学校低学年のある日のこと、

おやつに大量のイチゴが出た。おばあちゃんが食え!と言って持ってきたのは、水切りザル一山のイチゴ。今でもその光景を覚えている。パックで7個分以上はあったか。僕はそれを一人で一気に食べた。その後はと言うと・・・のた打ち回る苦しみが待っていた。ゲリラ大活躍もいいところで、あんなに長時間痛みを伴う苦しみは、後にも先にも、あの時一度だけだった。

「一苺一笑」ならぬ「一苺一泣」だった。この場合の「一苺」とは、一山の苺ということで。

 

さらに、いただいたイチゴの箱を見ると、「和田さんちのいちご」と書いてあった。和田さんでセーフと思った。なぜかと言うと、もし、「今井さんちのいちご」だったら、略語で「イマイチ」になってしまうから(妻の旧姓は今井である)。

 

略語と言えば、世間は略語で溢れている。けれども、意味のわからないものも多い。たとえば「モス バーガー」の「モス」が「Mountain Ocean Sun」の略だなんて普通の人は知らない。でも、その暗号的なところがいいのかもしれない。

キリスト教のシンボルの一つに「魚」がある。ギリシャ語の発音で「イクトゥス」となる。これは「イエス・キリスト、神の子、救い主」のそれぞれの頭文字をつなげた略語ともなる。魚のステッカーを車に貼っていたら、クリスチャンであることが多い。

個人的にはキリスト教のシンボルを「イチゴ」にしてほしいと思っている。「イエスが流した血をご覧!」と言うことで。「イチゴ」という言葉の由来も、血または緋の色が関係しているらしいので、ちょうどいい。僕はこれからイチゴをシンボルとして使おうかなぁ。イチゴ、ゴーゴー♪

 

「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」

                                            マタイ26章28節

「血を流すことがなければ、罪の赦しはないのです。」ヘブル9章22節

「あなたがたが・・・贖い出されたのは・・・傷も汚れもない子羊のようなキリストの尊い血に

 よったのです。」第一ペテロ1章18,19節