前回の90歳で亡くなられた女性の戦争体験談後半です。

 

東京大空襲の記憶~後半~

 

長女の私が弟と妹の手をしっかり握って逃げることになりました。弟と妹は『恐い、恐い』と言って泣き出し、恐怖で体中が総毛立ち、歯がガチガチとなって止まりませんでした。

 

さて、洋服を着られるだけ重ね着して走り出したのですが、逃げると言っても周り中が火の海で、どこへ逃げていいか分からないのです。

 

周り中の家が全部燃えている中を走るので、熱くて熱くて体が焼けそうでした。途中、防火用水がありましたので、弟と妹にたっぷり水をかけました。自分も水をかぶってから、人にぶつかりながら無我夢中で走りました。

 

 そこへまた後方からB29がやって来て、見る間に『シュルシュルシュルザアー』という夕立のような音を引いて焼夷弾がばらまかれました。あたりはたちまち炎に包まれました。

 

B29は慌てて逃げ回る大勢の人を見下ろして、悠々と何機も去って行くのが見えました。巨大な機体がピカピカに輝いていました。地上では大きな火の粉が、熱風と黒煙が渦巻く中を追っかけて来ます。体にかけた水はたちまち蒸発してしまいました。

 

 ・・・どうにか逃げ回っているうちに夜が明けて来ました。その頃火がやっと下火になったので火を避けながら熱い地面の上を歩いて家に帰りました。

 

私の家も焼け落ちてしまい辺りは見渡す限り焼け野原でした。朝になってもまだ燃えているところもあり目が煙りにやられて痛くてたまりませんでした。

 

それから焼け残った学校へ行くと無事に母と会うことができました。大変うれしかったです。しかし、前日の9日に受験のため学童疎開から戻って来た同級生が、この夜、両親、妹と一緒に焼け死んでしまいました。

 

 こうして9日夜半から夜明けにかけて、人口密集地の本所・深川・浅草方面を集中的に焼夷弾によって爆撃したB29は325機だったそうです。死んだ人は10万人以上。家を失った人100万人以上だったとのことです。

 

 これが東京大空襲です。私たち6年生は卒業式もないまま、バラバラになりました。

 

このような空襲は3月10日以前及び以後、何度も繰り返されました。東京だけではありません。戦争末期の1年2ヶ月間に日本中は353回の空襲で200以上の都市や町が焼かれたのです。

 

 

 

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