「回想」 その44 | 吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。


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銀行を出た私たちは、ジャンクヤードのある駅の反対側に向かって、歩き始めた。
 

「何がハートの銀行だよ。 ふざけんな!」
 

当時、第一勧業銀行はそういうキャッチフレーズを掲げていて、看板にも♥のマークが付いていたのだが、、それが目に入って癪に触ったのだ。

 

 

 

全く予想外の事態に対する驚き、腹立ち。
 

そしてそれが収まると、、、今度は自分の甘さに対する嫌悪感が、ふつふつと湧いて来る。
 

「次もよろしくー」 などという口約束を鵜呑みにして、大事なことをどんどん先に進めてしまった自分の馬鹿さ加減。
 

良く考えてみれば、それは口約束ですらなく、、融資中の顧客への、ただの 「ご挨拶」 と取るべきだったのだ。



しかし本当に困った。
 

全て段取りは着いてしまったのに、肝心の資金が調達出来ない、、となると?
 

ヤマキビルの契約を破棄して違約金を払い、山尾さんとKくんに詫びを入れて、久米川に戻るか?
 

身から出た錆びとは言え、、それはあまりにまずいが、、。

 

 

遮断機が降りた踏み切りで立ち止まると、右手にある 「金生堂」 が目に入った。
 

『時計、メガネ、宝石』
 

1、2、3階のある、この街にしてはかなり立派な店舗ビルで、、、私が子供の頃には既にそこにあったから、老舗と言っていいのだろう。
 

明るく広々とした一階の店内は、整然と奥まで並んだショーケースの中に、数えきれないほどの腕時計、、壁という壁には掛け時計がビッシリ。
 

何人かの店員さん達がショーケース越しにお客と商談していて、店内が活気に満ちている。
 

 

 

一体、どんな風にして何年くらい頑張ったら、こんな風になれるんだろう?
 

いかに久米川くんだりと言え、駅前にこんな自社ビルを建てるだけで、何億円ものお金が必要な筈、、。
 

たかだか1000万円、いやそれどころか500万円の融資ですら断られる自分には、全く想像もつかない、雲の上の話し。

 

 

「ゴトンゴトンゴトン、、、カンカンカン、、」

 

苛立たしい列車の通過音とけたたましい踏み切りの信号音が止んで遮断機が上がると、一瞬の静寂が訪れ、、、すぐに騒音は、車の排気音に代わった。
 

「西部信用に行ってみようか?」

 

南口のひなびたロータリーに差し掛かった時、、疲れた顔をしたオフクロが言った。
 

「西武信用? んなとこ行ったって仕方ないだろ! 普段の付き合いもないのに。」
 

その小さな信用金庫が近くにあるのは、子供の頃から知っている。

 

でも私にとってアテになる響きは全く無かったし、、、苛々していた私は母親の気持ちに応えるどころか、突っかかるような物言いをした。

幼い頃、父親を知らず母一人子一人で育った私は、いい歳になってもどこか母親に甘えていて、、、それがついつい言葉の端々に出る。

 

「付き合いがないって言うけど、、昔、あんたが貰ったお年玉やなんかは預けたことあったんだよ。」
 

「アハハ。 そんなもん、いくらでもないだろう。 それに、いつの話しですかって、笑われちゃうよ。」
 

そうは言いながらも、結局、私たちは 「西武信用金庫」 に向かった。

 

「話しを聞くだけでも」 とオフクロは譲らなかったし、、それに、偉そうに母親に突っかかる私とて、他に何もすがるものは無かったのだ。

 

 

 

「はいはい、いらっしゃいませ。 どんな件でしょう?」

 

「ハートの銀行」 とは比べ物にならない、こじんまりとした行内に入り、融資の受付けカウンターに掛けると、、「S」 という名札を付けた年配の課長さんが向かい合った。

 

「はい。 融資の件でお聞きしたいのですが、、実は~」

 

私は、自分が地元でアンティーク時計屋をやっていることから始まり、ついさっき、駅の向こうの第一勧業銀行で融資を断られたこと、どうしても500万円が必要なことまで、出来る限り分かりやすく、順を追って話した。

 

話していながら、、、改めて自分が惨めに思えてくる。

 

 

 

「ああ、そうですか。 それじゃ、ちょっとその、決算書を拝見してよろしいですか?」 とSさん。

 

私は、「おやっ」 と思った。

 

今さっき目と鼻の先で、それも返済実績のある銀行に融資を断られたというのに、、、向こうでは、決算書もろくに見てくれなかったのに、、。

 

「S」 さんに決算書を差し出したオフクロの、、、祈るような顔。

 

私も、、、何とか、、何とか、、祈った。


 

 

「ああ、これなら、全然大丈夫ですね。 楽勝ですよ!」

 

決算書を置いて顔を上げた時のSさんの笑顔、その言葉は、、、今でもはっきりと、私の脳裏に焼き付いている。

 

「えっ、、、 本当ですか?! でも勧銀さんでは、ダメだって、、。」

 

「ああ、それは、今流行の 貸し渋り ってヤツですよ。 まあ、勧銀さんもバブルの融資が随分と焦げ付いて、大変みたいですから、、ハハハ。」

 

Sさんは、何でもないことのように言って、明るく笑った。

 

金融機関の人とは思えないほど、良く言えば気さく、悪く言うと軽薄、、、まあ、当世風に言うと 「ノリが軽い」 のだ。

 

 

 

拍子抜けした形になった私には、むしろ気を引き締める必要があった。

 

こんなに簡単に引き受けて、いざ契約となったら、、 「やっぱり今回は、、」 となるのではないか?

 

ぬか喜びさせておいて、最後にがっかりさせるのではないか? と。

 

嬉しさ半分、警戒感半分。

 

しかし、後日改めて融資承認の知らせを受けた私は、、、喜び勇んでSさんのところに向かったのだった。

 

 

 

(後日談)

 

バブル経済崩壊によって大量の不良債権を抱えた第一勧業銀行が、みずほホールディングスの設立により同社の完全子会社化されたのが、平成12年の9月。

私がジャンクヤード本店を吉祥寺に移転し、「マサズ パスタイム」となったのは、確か、同年初旬。

つまり、私が融資の申請をしに訪れた頃、同行は、まさにその移行過程の真っただ中であったと想像される。

 

担当のOさんを恨む気持ちは、今は微塵もない。

今になって思えば、新たな融資を渋る 「貸し渋り」 のみならず、融資中の返済を急がせる 「貸しはがし」 も流行語化する世の中で、、、同行も、不良債権の回収に全力を挙げていた筈。

はっきり言って、ジャンクヤードへの融資どころではなかったのだろう。

 

 

一方で、私が吉祥寺への移転を済ませた頃、母がお礼がてらSさんを訪ねて西武信用に寄ったところ、、、なんと、Sさんは既に退職していたという。

私への融資の段階で、既に退職は予定されていたようだ。

 

ちなみに同僚の方の話しに依ると、退職理由は定年ではなく、、、「所沢で焼き鳥屋をやるため」 

店の名前が分からず訪ねることは叶わなかったが、、、私は、おそらく70過ぎくらいになるであろうSさんが、今でも元気に店を繁盛させていることを、心から願っている。

 

 

 

(続く)

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