吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。


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2階の工房ができて、2年が経っていた。
 

その間、相変わらず百貨店や地方の催事の出店は続いていたが、週末の露天の骨董市は辞められるようになり、そのせいか店の馴染み客は増えてくれた。
 

おかげで支払いの緊張状態はいくらか緩和して、、30半ばになった私はようやく実家を離れ、店の裏手のアパートで、気ままな独り暮らしを始めたのだった。
 

 

 

そんなある日、顔馴染みの同業者ダニーさんこと岩田さんが岐阜から上京し、アーバンアンティークスのIさんと一緒にジャンクヤードに来店。
 

岩田さんとはIさんに誘われて名古屋骨董祭に出店するようになって以来、数年来のお付き合いだが、そもそものきっかけは、東京から出店したIさんと私が肩を並べて店を出していたところ、時計や西洋アンティークに興味のあった岩田さんが暇な時間にちょいちょい立ち寄るようになり、それ以降、名古屋骨董祭の度に世間話をしたり食事に行ったりするようになったというものだった。
 

独特の抑揚のついた名古屋言葉で、話しも面白い。
 

語尾に 「~だに」 と付くのが面白くて、、、私とIさんとの間では(密かに)、ダニーさんで通っていた。
 

岩田さんは、基本的に和食器や刀剣、その他掛け軸や仏などいわゆる『和物』が専門の骨董商なのだが、昔から時計や機械物も好きなようで、ジャンクヤードの工房の旋盤や機械類を長いこと興味深そうに見ている。

 

そして一段落ついた頃お茶にすると、、、こんな風に話し出した。
 

 

 

「ボクは元々こういう機械ものがすごく好きなんだに。 昔はよーく壊れた掛け時計なんか買ってきちゃあ、自分で直して油くれてさ。
それを大須あたりの骨董市に持ってくと、どえりゃー売れたよ。 そのせいか、うちの次男も小さい頃から本当に時計や機械類が好きでなぁ。 ボクがその辺にほかってる壊れた腕時計なんかみんな自分で直しちゃあ学校に着けてったりしてたに。
まあ、今は母親の実家の建設屋で現場監督みたいなことしとるがぁ、、最近になって、田舎を出て時計屋やりたい言い出しとる。
まあボクも名古屋あたりに知っとる時計屋はいくらもあるんだが、、ここと較べたらやっぱり田舎の時計屋だ、機材や施設がこんなに充実しとらんに。
まあ、あれなら直に腕を上げるのは間違いない。
手先はどえりゃー器用だし、ボクと同じで至って真面目な男だに(笑)。
まあそんなことでうちの次男を、、一つ中島さんのとこで面倒見てもらえんかね?」



一瞬驚き、、正直、困った。
 

このところ少し落ち着いてきたとは言え、、まだまだお金に余裕は無いのだ。
 

次男坊の年を聞くと、まだ23才になったところだと言う。

 

そりゃあ、時計好きな活きのいい若者が店に加わるのは良いことだが、、ちゃんと給料を払えるのか?
 

「いいよー」 などと軽い感じで返事をして万一お金に行き詰まっても、、仕事を辞めてわざわざ岐阜から上京した知り合いの息子さんを、易々と追い返すわけにはいかないのだ。

 

 

 

「お話しは分かりました。 確かにそんな感じの息子さんなら仕事になるかもしれませんね。 ただ、何しろ今聞いたばかりの話しですし、、、このところ数年人が増えたり店が広がったりしたところで、恥ずかしながら、ちゃんとした給料が払えるかどうかも分からないんです。 良かったら、取り敢えず来月の名古屋骨董祭まで考えさせてもらえませんか。」

 

「うん。 それでええよ」 と言って、、その日、岩田さんは岐阜に帰って行った。

 

 

 

 

翌月の名古屋骨董祭の前夜、私と Iさんは名古屋に向かって、Iさんのタウンエースで東名高速道路を走っていた。

 

運転する私のすぐ後ろまで、2人分の荷物でパンパン。

 

いつもと同じ旅ガラスのような2人組の道中の話題は、もっぱら岩田さんの次男坊のことだった。

 

 

 

「Iさん、どんなもんですかねぇ。 確かにいい話しだとは思うんですけど、聞けば、結構な給料をもらってる建設屋を辞めて上京するって話しみたいですしね、、、。 そこまでしてもし万が一ダメだった時は、岩田さんとも相当気まずくなりますよね、。」

 

「ああ、そうだな。 確かにそういう意味では、全くの他人じゃないだけに、難しいところがあるよな。」

 

「そうなんですよ。 まあ、岩田さんも今回骨董祭に次男坊も顔を出させるって言ってたから、、、取り敢えず、本人と会って話し

てみてからですかね。」

 

「まあな。 最終的には、本人次第だろうな。」

 

 

 

骨董祭は、結構な賑わいだった。

 

最近では人出も大分まばらになってしまったと聞くが、、、その当時はまだ、やれ 「一千万円の茶道具が売れた」 だの 「国宝級の刀が売れた」 だの勢いのいい話しが聞こえて来ることもあり、私とI さんのブースにも買い買わないは別として(笑)、いつもお客さんがたかっているような状態だった。

 

そして開場してからしばしの喧騒が静まり、少し向かいのブースが見通せるようになった頃、、、「初めまして。 岩田です。」

 

ちょっと茶髪・ロン毛の若者が、恥ずかしそうに立っている。

 

「ああ。 君が岩田君ね。 中島です。 いつもお岩田さんにはお世話になってます。」

 

「あ、、いえ、、はい。 」

 

 

 

一見、澁谷あたりに居そうな、今時の若者風。

 

もっともまだ30半ばだった私とは、たった一回りの違いということになるが、、。

 

しかし、あまりペラペラと喋る感じではなく、むしろかなり口下手のようで、、、そこんところは親父さんとは正反対か。

 

話しとも言えない話しをいくらかしたところに、、店を弟さんに任せた岩田さんが、助け舟を出しにやって来た。

 

「ははは、なんだ葬式みたいに静かになっちゃって。 まあ、恵那(岐阜)の山ん中から出て来とるもんで、まんだ緊張しちゃっとるに。 そんでも勝久は真面目だし根性もあるに、中島さん、心配いらんよ」

 

 

 

父親としても、一生懸命なのだろう。

 

でも、それだけでもないような気がした。

 

岩田さんの言葉には、、自分や本人の為だけに勧めているんじゃない、あんたの為にも絶対にいいよ、というような、強い自信を感じたのだ。

 

確かに肝心の本人は口下手で、いくらも話しはしなかった。

 

でも何となく、、どういう訳だが、何となくイケる気がしたのだ。

 

 

 

2日後の東京への帰り道。

 

Iさんの大型商品がいくらか売れて、タウンエースの後部座席には少しだけ余裕が出来ている。

 

私もそれなりに時計が売れて、、安堵の帰途。

 

長野の飯田に差し掛かった頃、、ふと心が決まった

 

よし、やろう。  もしダメだったら、アパートを返しちゃえばいいや!

 

アパートを返して実家に戻れば、、浮いた分で何とか払えるだろ。

 

元から実家暮らしだったと思えば、それで済むことだ。

 

 

「I さん、俺、決めましたよ。 やってみようと思います。」

 

「そうか。 まあ色んなことがあるだろうけど、君がイケると踏んだんなら大丈夫だろ。 頑張ってな!」

 

 

今ではこの道20年、パスタイム最古参の名時計士になった岩田は、、こんな風にしてジャンクヤードにやって来ることになったのだった。

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

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