「未来の可能性」
どんな子でもたくさんの可能性を秘めています。
なんだってやれる可能性を秘めています。
どんな子でも。
「え、私には無理ー」
「いや、うちの子には無理ー」
なんていう言葉がもし心の中に出てきていたら、
「無理」
と決めたのは誰ですか
……紛れもなく自分なんですよね
何か新しいことに挑戦しようとするとき、ついついネガティヴに、「無理かなー」なんて心配が出てきてしまったりします。
でも、最近は思うんです。
「無理かなー」と思って最初から何も挑戦しないで後悔するのは嫌だと。
人生一度きりですからね
やってみて無理だったらそれでもいいかって思うんです。
ダメかどうかはやってみないとわからないから。
やってみて、「違うな」と思ったら、またそこで考えればいいだけ。
何かをやってみたっていう経験は必ず自分の中に残るから、無駄ということは絶対ないんですよね
子供たちなんて、まだまだこれから人生の扉をたくさん開いていく可能性に満ちた子たちです。
無理なことなんて、絶対ないはずなんです
なんだってやれる可能性があります
大切なのは、
その子の周りにいる大人が、その子の可能性に気づいてあげられているかということ。
可能性を心から信じて見守ってあげられるかということ。
今見つけてあげられていなくても、
信じて見守ろうという姿勢かどうかということ。
その姿勢があれば必ずその子の中にはたくさんの光が眠っているので、気づいてあげられるはずです。
光は溢れるくらい眠っているはずなので、見守っていれば、いつか絶対湧き出てきます。
大人が無理だと思っていたら、その子自身も無理なんだと洗脳されてしまいます。
子供達は大人をよく見ています。
今まで1000人以上の学生と関わってきました。
その中で思うんです。
子供達は、大人の思う以上に、とても敏感にとても繊細に、そしてとても厳しく鋭い視線で大人を観察しています。
大人も子供も関係なく、
人として尊敬できる人には、まっすぐに返します。
尊敬できない人には、絶対心はついていきません。
心はついていかなくても、それを大っぴらに出さずに、大人に遠慮して態度には出しません。
子供って、大人の思う以上に、
とても繊細でとても偉大だなって思います。
世の中が、純粋でまっすぐな子供達の光を消さないでいてくれる社会であることを切に心から願います。
同時に、自分もいつまでも子供のときのように、人や物事に対してまっすぐに向き合える心をもっていたいなと思います。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました