モーツァルト 「ピアノ協奏曲 第20番」ニ短調 K.466 | クラシックばっか 時空間

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 今日 2月11日は、モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第20番」ニ短調 K.466 が初演された日である。

 フランスで行われた「交響曲第31番」K.297《パリ》の初演から3年経ってもなかなか条件の良い就職口を見つけらずにいたモーツァルトは、生まれ故郷ザルツブルクで宮廷のオルガニストとして大司教コロレドに仕えていた。1780年、オペラ『イドメネオ』K.366の上演準備のためにミュンヘンに赴くが、コロレドに認められた滞在期間を大幅に伸ばしたため、ザルツブルク大司教コロレドと衝突し、結局、反省の気持ちがないとして解雇されてしまう。

 追い出されるような形で将来性のないザルツブルグを後に、1781年、ウィーンでフリーの音楽家として生活することを決意する。翌年8月には、父親レオポルドの反対を押し切って、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。

 モーツァルトにとってここウィーンでの生活の糧は、裕福な貴族や社交界を対象にしたコンサートが中心であった。彼はピアノの名手ということもあり、18年の間に21曲のピアノ協奏曲を書き上げた。特に本協奏曲が作曲された1784~86年の間は、作曲家・演奏家としての円熟期にあたり、またそれらを発表する良い機会にも恵まれて、音楽家としての生活が順調に思いどおりに運んだ時期であった。

 モーツァルトは、2つの短調のピアノ協奏曲(もう1曲は「第24番」ハ短調)を作曲しているが、彼が短調の曲を書く時、それは彼を取り巻く環境に大きな変化(絶望や苦悩)があったことを意味する。例えば、「ピアノソナタ 第8番」イ短調 K.310 と母親の死の関係ように。
 華やかさが求められた当時の協奏曲とは異なり、それまでの彼の協奏曲には見られない、激しい感情のほとばしりが本曲には感じられる。暗く不安そうな旋律、厳しさと激しさの入り混じった劇的な展開など、理知的な中にも強い内面の表現性を持った作品といえる。モーツアルトに一体何が起こったのだろうか。

   今日ご紹介する「ピアノ協奏曲 第20番」ニ短調は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが初めて書いた短調の協奏曲であり、1785年2月10日に完成された。初演は、翌日の2月11日(今日)、ウィーン市の集会所「メールグルーベ」で予約演奏会の形で行われた。
 第1楽章と第3楽章にはカデンツァの指定があるが、作曲者自身によるカデンツァは残されていない。とくにベートーヴェンによるカデンツァが有名で、演奏会や録音でしばしば演奏されている。

 本楽曲は「急 - 緩 - 急」の3つの楽章からなり、曲の構成は、以下の通りである。

・第1楽章:アレグロ ニ短調 4/4拍子 協奏風ソナタ形式
・第2楽章:ロマンツェ 変ロ長調 2/2拍子 三部形式
・第3楽章:ロンド,アレグロ・アッサイ ニ短調(ニ長調)
      2/2拍子 ロンドソナタ形式


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             (演奏時間:約33分)(弾き振り:内田光子)
■■ 「ピアノ協奏曲 第20番」ニ短調 K.466 □ Mozart: Concerto for piano and Orchestra (d-minor) K.466 - YouTube


□参考動画□(弾き振り:アンドラーシュ・シフ)
             (演奏時間:約32分)

■参考■ 「ピアノ協奏曲 第20番」ニ短調 K.466 □ Mozart Piano Concerto No 20 D minor K 466 - András Schiff - YouTube