森口奈緒美さん。
自閉症の当事者で、日本で初めて当事者が手記を書いて話題になった人だ。
その本がこれ。
自閉症の方独特の言葉遊び。
クスッと笑いながらも、なるほど!と感心する。
この本も、我が家の本棚に10年以上は埋もれていた。
その間に、続編も出ていた。
さすがだ。
この2冊を一気に読み進めた。
というより、次が気になり止められなかった。
幼少期の記述では、自閉症者特有の感覚を彩り豊かに表現している。
音が蝶々のように飛んできて音楽になるとか、自分の世界のなかは虹のマーブルのようだとか。
一方で、電車に乗ると不規則に動く数々の物体(人間)に恐怖を感じるとか、「親」という概念がなかったなどとも書かれている。
なるほど、自閉症の人には、世界がこうやって見えているんだ。
しかし、途中からは、壮絶ないじめの記録と化す。
友達はもとより、先生からも叱責や嫌がらせを受ける。
私の心は、ザワザワと音を立てていた。
読んでいる間中ずっと。
それは、いじめが生々しく書かれていることだけが原因ではない。
私にも自閉症の弟がいるからだ。
(森口さんとは違い知的障がいもあるが)
弟と森口さんがダブる。
私が森口さんと同学年だから、7歳下の弟もほぼ同じ時代を生きてきた。
森口さんの本を読みながら、私の頭をぐるぐる回る弟の一言があった。
「何やで 先生は 叩きなさる?」
今なら、体罰だ!と全国ニュースになる。
しかし、その時代はそれが当たり前だった。
誰が悪いわけでもない。
障がい者自身の努力によって障がいを克服し、健常者に近づく。
個性よりも集団。
いじめられる側にも原因がある。
そんなことが信じられていた時代。
先生も必死だったに違いない。
何とかこの子を普通の子と同じようにしたい、そう思っていたのだろう。
当時は、まだ自閉症という言葉さえほとんど知られていなかった。
内向的な性格とか、今で言う引きこもりと勘違いされる。
パニックを起こせば、わがままだと言われる。
親の愛情不足だとか育て方の問題とも言われていた。
そんな時代。
あれから、30年、40年の歳月が流れた。
障がいのある方への支援は充実してきている。
もし、森口さんや私の弟が、今の時代に生まれていたら・・・もう少し生きやすかったのではないか、家族ももう少し楽に生きられたのではないか・・・そう思ったりはするが、そんなことを言っていても仕方ない。
今を生きる。
今を生きている。
森口さんは、うつ、自殺企図、精神錯乱などの二次障がいと闘いながらも、現在は、自閉症の理解啓発のために当事者活動を続けている。
障がいのある人もない人も、全ての人が自分らしく幸せに生きられる社会になることを、願ってやまない。
パッソ岐阜校 はやの