昨日の早朝に、曽祖母は100年ほどの人生を終えました。
大往生です。



昨日からは、
次から次へと、曽祖母のお友達が訪れて、皆が曽祖母の思い出を話しながら、
時には 思わず泣き笑いしてしまうような…



元気な時からずっと、
曽祖母の周りには、いつも自然と人が集まってきて、お茶とお菓子をつまみながら、笑い声がたえませんでした。






嫌いな人がいなかった曽祖母。







「仲良くしない時間は、もったいねぇよ」と





どんな人の
どんな所を目の当たりにしても、

いつも 力強く、
そして当たり前に
温かく考えてくれた




本当に素晴らしい方でした。





両親方とも祖母のいなかった家庭で育った私は、初めて体験する…
年輩の祖母との交流に、いつも心から驚いていました。



例えば、
曽祖母に何か声を掛けてもらっても、当たり前のように そっけない返事をする男の子には、


「男は無口くらいが、いい」


と、茶目っ気たっぷりでペロッと舌を出しながら、優しい眼差しで見てあげていたり。。。


言葉数が足りなくて、曽祖母には理解できない時があっても、




「あの子は、頭がいい。
何かちゃんと、考えているんだろうな。」





すべてが
そんな風に肯定的で、




「○ ○さんは、そうゆう性分なんだな」




と、何でも許してあげる曽祖母の姿は、



~しなければダメ、とか
もっと~しないさい、とか




そんなことばかり
社会や学校生活で、体験してきた


自信を失いかけていた、その頃の私にとっては、


すべてがカルチャーショックでした。
(ただ、その時は訳も分からず、驚いてばかりいましたが)





血のつながりなんて、
曽祖母には、全然関係なく




どこまでも深く、そして
どこまでも温かく愛してくれた曽祖母。




皆が、曽祖母に集まってくるのは




曽祖母と一緒だと
いつも笑えて楽しい♫
からなのですが、



何だがいつも
チョッピリ自分を好きになれたり、




あぁ、自分でよかった。。と
安心できたり、




当たり前のように
まるで、
息を吐いたら、
また 吸うくらいの自然で、



誰しもが、愛を感じ


そして、
誰しもが、自分や周りの人のことまで




誇りに感じる…



そんな

曽祖母の芯からの強さや、
大きさにあったのだと思います。




仲の良かった曽祖父に
30年前に先立たれ、

いつも

曽祖父の自慢話をしてくれた曽祖母。





これからは、あちらの世界で



きっとまた

ラブラブで
大活躍なんだろうなぁ!と…



やっぱり泣き笑いに、なってしまいますね。