「赤い靴」の話
♪赤い靴はいてた女の子……のモデルとなった女の子は、
アメリカ人の養女になったのだけれど、
結核になってしまい、実際にはアメリカには渡れず、
孤児院に預けられて、9歳で亡くなったそうです。
そのことを、実際の母親は知らず、
渡米したと思いこんだ内容が、この歌になったそうです。
※諸説あり。
なお、NHKの朝ドラ「花子とアン」で有名になった
「赤毛のアン」の翻訳者、村岡花子(村岡はな)は、
その女の子がいた時期に、その孤児院(教会の運営)で、
日曜学校の教師をしていたそうです。
なので、その女の子も、村岡花子が話す物語を
聞いたはずだ、とのことです。
おしまい。