アルジェリア「人質事件」の背景にウラン資源利権が絡んでいる | マッド・アマノのパロディー・ブログ

アルジェリア「人質事件」の背景にウラン資源利権が絡んでいる

$マッド・アマノのパロディー・ブログ


ここは地の果てアルジェリア

 アルジェリア南東部イナメナスで起きた“人質事件”で日本人10名が犠牲となり、遺体が帰国したと報じられた。
 日本人にとって大きな衝撃となった事件だが遺体の帰国でなんとなく幕引きとなったような感じがする。恐らく、この事件の報道は先細りとなり人々の記憶も薄れていくのだろう。それでいいのだろうか。
 アルジェリアという国はそもそもフランスの植民地だった。日本人にはあまり馴染みがない国だが私は昔、歌手の青江三奈が歌ってヒットした「カスバの女」を思い出す。
 ♪「涙じゃないのよ 浮気な雨に ちょっぴりこの頬(ほほ)濡らしただけさ ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く 酒場の女のうす情け」(作詞 大高ひさお 作曲 久我山明)。 ハスキーボイスの三奈さんの気だるく切ない歌に当時、多くの男性諸氏は魅了された。フランスの外人部隊兵士とアルジェリアの酒場の女との行きずりの恋を歌ったものだ。聞けば、映画「セーラー服と機関銃」で薬師丸ひろ子演じる星泉も口ずさんでいたそうだ。
 それにしても、歌詞のさわりに「アルジェリア」が登場するのだから驚きだ。それもなんと「地の果てアルジェリア」なのだ。

ウラン争奪戦
 実はアルジェリアは「フランス植民地帝国」と深い関係がある。16世紀から20世紀にかけてフランスは海外に植民地を建設し多民族を支配した。1942年末連合国軍が北アフリカに上陸するとアルジェリアにフランス国民解放委員会が設けられ、アフリカの植民地はド・ゴール仏大統領の自由フランス側に結集するようになった。アルジェリアには150年にわたるフランス支配の間に定住した「ピエ・ノワール」と呼ばれるヨーロッパ系住民が住んでおり、フランスは当初アルジェリアを独立させない方針であったため、アルジェリア戦争は長期化した。フランスは1962年、最終的にアルジェリアを独立させることで決着を着けた。
 アルジェリアをはじめ北アフリカの民衆から見ればフランスの植民地主義こそが悪の象徴なのだ。この事は極東の地の果ての日本人にはなかなか実感が湧かないかも知れない。
 アフリカ大陸そのものがヨーロッパ列強の資源争奪の餌食となったことはよく知られている。ところが、フランスがなぜマリという国に侵略しなければならないのか、その真意を掴んでいる日本人は決して多くないはず。
 そもそも、マリがアルジェリアの隣に位置することさえも知られていないかも知れない。
 ここで忘れてならないのは「アラブの春」だ。「アラブの春」とは2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した前例のない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした争乱の総称を指す。
 しかし、ここで注意しなければならないのはデモや抗議活動の背後に多国籍企業(国際金融マフィア)の存在が見え隠れするということだ。彼らによって活動グループに資金が提供されているとも聞く。
 実はニジェール、マリ、アルジェリアにはウラン資源が豊富でウラン採掘派と天然ガス派の資源争奪紛争が激化している。
 ニジェールという国はアルジェリアとマリに隣接している。 原子力発電所を建設するフランスのアレバ社(本社パリ)は1960年までフランス政府がほぼ完全に所有していた。現在の主たる大株主はロスチャイルド系企業だといわれている。国内に58基の原子炉を有するフランスは過去40年に渡り燃料であるウランをニジェールから供給している。世界最大のウラン供給国の一つであるニジェールは原子力産業にとって、石油産業のサウジアラビアのような存在といわれている。フランスはニジェールのウラン利権確保のためには隣国のマリやアルジェリアなどで台頭する過激派グループの撲滅こそが不可欠なのだ。今回の人質事件の舞台となった天然ガス関連施設を運営する英メジャー(国際石油資本)BP社はウランビジネスを遂行するロスチャイルド系資本によって攻撃のターゲットとされたのでは、という憶測もある。
ところでニジェールの子どもの4人に1人は5歳になる前に死んで行く。国自体が貧困そのものなのだがアレバのような原子力産業などによって資源を採掘され、その結果、ウラン鉱山による住民への深刻な放射能被害をもたらしている。これはオーストラリアのアボリジニやアメリカの先住民族への被害とまったく同じだ。さらに言えば原爆投下の広島・長崎をはじめアメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連、中国などの核実験による少数民族への被曝の問題と共通する。
 アルジェリア人質事件を「テロリストは悪だ」と見なすだけでは事の本質を見失うことになる。
 
本題とは外れるが…。
 「カスバの女」は八代亜紀、前川清、はたまた美輪明宏など多くの歌手によってカバーされている。歌詞によればかつて花の都のパリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」(赤い風車)で人気者の踊り子が、当時、地の果てと言われていたフランスの植民地アルジェリアまで流れて行き、カスバの酒場で外人舞台の兵士相手に身を売るまで落ちぶれてしまった、という悲話なのだ。
 「外人部隊」と言えばゲーリー・クーパーとマリーネ・ディトリッヒ主演のハリウッド映画「モロッコ」(1930年)やジャン・ギャバン主演のフランス映画「望郷」( 1937年)などが我が国でも評判を呼んだ。「カスバの女」はそうした時代の流れを下敷きにして作られたものと言える。
 外人部隊は決して恰好のいいものではなくヨーロッパで食い詰めた人間や犯罪者などが入隊するところというのが相場だった。その意味から仕事にありつけない若者が入隊しイラク、アフガニスタンで命を落とすアメリカ兵にも似ている。
 カスバはアラビア語で「城砦(じょうさい)」という意味。フランスの植民地時代は、アルジェリア人の居住地区になっていた。狭い路地が迷路のように入り組んでいることから犯罪者の隠れ場所にもなっていた。いわゆる“貧民窟”だ。現在のカスバは中に入っても危険な目にあうことはないそうだが最近はテロが起きないとも限らない。
★「カスバの女」を聴くならUta-Netちあきなおみ.webloc