陽射しが春めいて参りました。
皆様お元気ですか。
こちらも
原因不明の発病から
またしても原因不明の自然治癒(たぶん)
により
車椅子生活も思い出へとかわりました次第です。
さて。。。
何度かチラつかせて参りました
ワタクシゴト
ちょっと好きなのキン肉マン旋風。
随分と以前
家族が観ているテレビ番組で
~なんとキン肉マンは作者が小学生の時に作った漫画なのです~
と、司会者が言う。
すると会場から
~えぇ!!~
とザワメキガ起こる。
そのシーンを観ながら呆気にとられました。
司会者の誘導尋問的な言葉に
驚かないと悪いだろう、というような会場の反応もあっただろうけれども
何が~えぇ!!~なのか不思議だった。
ワタシはドジで強いつもりキン肉マン♪
おならで空を飛ぶスーパーヒーロー
どこの大人にその発想があっただろうか?
むしろ小学生ののびのびした感性によって
生まれでたキャラクターそのもの、と言う方が自然ではないだろうか。
たまたま観た番組がハズレだったというか、
あ、そうそう
~ワタシこう見えて○○なんですぅ~
~見たまんまなんですけど~
というような会話が、出来そうでできないのと同じ様なもので
対応するほうが困ってしまう事例のひとつに過ぎないのだろうけどね。
子供はアホで、何も知らなくて、だから大人が教えてやっているんだ、というような
発想が隠喩的に含まれているから、ワタクシはあの手のものが苦手です。
新生児室は
天才の集まりだと言い切れると思う。
積み上げる、という概念から
積み減らす、という発想に
考え直す事にもなったのだけれど
マッサラなキャンバスに色々を描きこむ事が
お利口になることではなくて
むしろ、多岐にわたるモノモノ(才能とか残酷性とか何もかも)
をすべて持って生まれて、
育つ環境によって
国や地域の基盤に沿って
いらない物を積み減らしていくのが
成長とも言えると思うのです。
よって
見方を変えると
大人になるほどに枠にしばられ
柔軟な発想を見失っていくという事になり
アホになっていく事、であるという一面もあると思うのです。
天才がアホになっていくことが成長なのだったら
子供は天才に近いわけで
~子供なのにスゴイ~というような表現は恥ずかしくてできなくなる。
~子供だからスゴイんでしょう?~
なんてテレビに突っ込む事はしないけれどね。
危ない人になるからね。
大人でも出来ないのに・・・と言ったニュアンスのお言葉を
度々耳にする事があるのだけれど
正直に申しますと
~経験や知恵がジャマをして大人だからできないんでしょう?~
と思ってしまう。どうしても。
経験や知恵を軽視するつもりは全くなくて
それによって
社会性(どうすればスムーズに事が運ぶか、とかどうしたらモメルか、とかの判断)
の素になるのは
それらだから、言い換えると
唯一の大人と赤ちゃんの違いでもあると思う。
同時に、何かを得る時に、何かを失っている摂理のように
こうすれば丸く収まるだろう。
というような知恵によって
生まれながら持っていたはずの
オリジナルの発想を封じ込めたりもする。
無難で安全に保身を図ってしまう。
魅力的な大人の方にお出会いする時によく感じるのは
~大人にも子供にも両方なれる人~
という共通点があるように感じます。
そういった方々と過ごしていると
子供達は100%少年少女だけど
大人になるというのは、なにも子供を止める事ではなくて
場面、状況によって、その両方になり得る事が出来るか、だと学ぶのです。
ワタクシは↑ブロッケンジュニアが好きでしたが
一方で
小学生時代の男子からの呼び名のひとつが
ラーメンマンでした。
かぎっ子であった上にクラッシックバレエなるものを習っていたので
朝、母が
~夕方までくずれない髪~に結うのでした。
つり目になるほどに、強くまとめらえたポニーテールを
さらにみつ編みにするのでした。
そうすると夕方のレッスン前に
自分でクルクルとオダンゴを作って(髪のね)
ネットを被せたら
バレエの生徒っぽくなったのでした。
お昼間、学校では
今思い返しても
ワタクシはラーメンマンの風貌だったように感じます。
父を倒して、ラーメンにして食べちゃったラーメンマンに
仇討ちで近づくブロッケンジュニア。
が、ラーメンマンの人柄に悔しいかな惹きつけられて
敬意にも似た思いを抱いていく。
葛藤もありつつ
いざ、決戦の時。
敗れたブロッケンジュニアに
ラーメンマンは言うのでした。
~オレへのウラミツラミを捨てた時、お前はもっと強くなる~
きゃぁぁぁぁっ!!
きゅんきゅんきゅん。
今の国際問題どうよ!(こら)
どこのエライサンに、これが言えようか。
(問題になろう。騒ぎになろう)
子供がいかに的を射た深い事を
躊躇せずに顕せるか、よい例だと
ちょっとだけキン肉マン好き、のワタクシ思うのでした。
子供なのに、ではなくて子供だからすごいのだ。
♪あぁ、心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ♪
皆様お元気ですか。
こちらも
原因不明の発病から
またしても原因不明の自然治癒(たぶん)
により
車椅子生活も思い出へとかわりました次第です。
さて。。。
何度かチラつかせて参りました
ワタクシゴト
ちょっと好きなのキン肉マン旋風。
随分と以前
家族が観ているテレビ番組で
~なんとキン肉マンは作者が小学生の時に作った漫画なのです~
と、司会者が言う。
すると会場から
~えぇ!!~
とザワメキガ起こる。
そのシーンを観ながら呆気にとられました。
司会者の誘導尋問的な言葉に
驚かないと悪いだろう、というような会場の反応もあっただろうけれども
何が~えぇ!!~なのか不思議だった。
ワタシはドジで強いつもりキン肉マン♪
おならで空を飛ぶスーパーヒーロー
どこの大人にその発想があっただろうか?
むしろ小学生ののびのびした感性によって
生まれでたキャラクターそのもの、と言う方が自然ではないだろうか。
たまたま観た番組がハズレだったというか、
あ、そうそう
~ワタシこう見えて○○なんですぅ~
~見たまんまなんですけど~
というような会話が、出来そうでできないのと同じ様なもので
対応するほうが困ってしまう事例のひとつに過ぎないのだろうけどね。
子供はアホで、何も知らなくて、だから大人が教えてやっているんだ、というような
発想が隠喩的に含まれているから、ワタクシはあの手のものが苦手です。
新生児室は
天才の集まりだと言い切れると思う。
積み上げる、という概念から
積み減らす、という発想に
考え直す事にもなったのだけれど
マッサラなキャンバスに色々を描きこむ事が
お利口になることではなくて
むしろ、多岐にわたるモノモノ(才能とか残酷性とか何もかも)
をすべて持って生まれて、
育つ環境によって
国や地域の基盤に沿って
いらない物を積み減らしていくのが
成長とも言えると思うのです。
よって
見方を変えると
大人になるほどに枠にしばられ
柔軟な発想を見失っていくという事になり
アホになっていく事、であるという一面もあると思うのです。
天才がアホになっていくことが成長なのだったら
子供は天才に近いわけで
~子供なのにスゴイ~というような表現は恥ずかしくてできなくなる。
~子供だからスゴイんでしょう?~
なんてテレビに突っ込む事はしないけれどね。
危ない人になるからね。
大人でも出来ないのに・・・と言ったニュアンスのお言葉を
度々耳にする事があるのだけれど
正直に申しますと
~経験や知恵がジャマをして大人だからできないんでしょう?~
と思ってしまう。どうしても。
経験や知恵を軽視するつもりは全くなくて
それによって
社会性(どうすればスムーズに事が運ぶか、とかどうしたらモメルか、とかの判断)
の素になるのは
それらだから、言い換えると
唯一の大人と赤ちゃんの違いでもあると思う。
同時に、何かを得る時に、何かを失っている摂理のように
こうすれば丸く収まるだろう。
というような知恵によって
生まれながら持っていたはずの
オリジナルの発想を封じ込めたりもする。
無難で安全に保身を図ってしまう。
魅力的な大人の方にお出会いする時によく感じるのは
~大人にも子供にも両方なれる人~
という共通点があるように感じます。
そういった方々と過ごしていると
子供達は100%少年少女だけど
大人になるというのは、なにも子供を止める事ではなくて
場面、状況によって、その両方になり得る事が出来るか、だと学ぶのです。
ワタクシは↑ブロッケンジュニアが好きでしたが
一方で
小学生時代の男子からの呼び名のひとつが
ラーメンマンでした。
かぎっ子であった上にクラッシックバレエなるものを習っていたので
朝、母が
~夕方までくずれない髪~に結うのでした。
つり目になるほどに、強くまとめらえたポニーテールを
さらにみつ編みにするのでした。
そうすると夕方のレッスン前に
自分でクルクルとオダンゴを作って(髪のね)
ネットを被せたら
バレエの生徒っぽくなったのでした。
お昼間、学校では
今思い返しても
ワタクシはラーメンマンの風貌だったように感じます。
父を倒して、ラーメンにして食べちゃったラーメンマンに
仇討ちで近づくブロッケンジュニア。
が、ラーメンマンの人柄に悔しいかな惹きつけられて
敬意にも似た思いを抱いていく。
葛藤もありつつ
いざ、決戦の時。
敗れたブロッケンジュニアに
ラーメンマンは言うのでした。
~オレへのウラミツラミを捨てた時、お前はもっと強くなる~
きゃぁぁぁぁっ!!
きゅんきゅんきゅん。
今の国際問題どうよ!(こら)
どこのエライサンに、これが言えようか。
(問題になろう。騒ぎになろう)
子供がいかに的を射た深い事を
躊躇せずに顕せるか、よい例だと
ちょっとだけキン肉マン好き、のワタクシ思うのでした。
子供なのに、ではなくて子供だからすごいのだ。
♪あぁ、心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ♪