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先日
地元紙に大好きなアーサービナード氏が載っていて
思わず切り抜いた記事。

彼からは
ヒロシマへの考察はじめ
様々を学ぶ。

その中のひとつ。

”はろー注意報”
来日した頃(から現在に至るまで)
彼は日々、日本語習得へ精をだした。
その着眼点には
一度でもガイコクゴ習得を目指した事のある者なら誰でも
共感を覚えるような
微笑ましくて
時に涙ぐましい
感性の交錯がある。

薄々お察しがつくであろう
このお天気予報で耳にする

波浪注意報。

氏が池袋のアパートで
夜中のラジオを聞きながら(メモを片手に)
新しく聞き取る事の出来た言葉をインプットしていく中で

”Hello ちゅう いほう? "

そうしてやがて
氏の言葉をお借りすならば

~今だに僕が米国青年面をしているせいか~


道を歩けばちびっ子達から

~はろーの嵐~

だからといってその後
英語で会話が続くかと言えばそうでもないのだけれど

とにもかくにも
はろー
と声をかけてみる
ちびっこ達が目に浮かんで噴き出してしまう。

彼もまた
これ、はろー注意報(頻繁にそれがある、という意味)だな。
と心で思うのだから面白い。



ワタクシゴトで恐縮だけれど
実はワタシにも子供時代
これに似た思い出がある。

ご近所に、フランス人のご婦人がお住まいで
その女性は
一時期、トイレの芳香剤のCMにも
出演されていたのもあって


一方的に知っている人(相手には迷惑な話だけど)

として、ワタシ含めた近所のちびっ子達で
いつか声をかけてみよう・・というような

今にして思えば大変馴れ馴れしい
子供という職権乱用なのだけれども

それでも、決意、のような気風が漂っていたのを覚えている。

そしてその日は案外あっさりとやってきて

ドキドキしながら

(フランス人の彼女に)

はろー!!
と叫んだのを、恥ずかしながらもはっきりと
覚えている。

そして彼女はにっこりと微笑んでくださった。


有頂天になった私達は

当時、習い事ブームだった日本の子供の集まりでもあって

ワタシと、おがたくんという少年は

えーかいわ

なるものを習っていた手前

他の友人から

背中をこつこつされ

~なにか話しなさいよ~みたいな

気迫を感じ

もぞもぞしていた。

おがたくんが、ありったけの勇気を振り絞って放った言葉が


This is  Japan。。。
と、両手で
髭ダンスさながらに地面を指差して
これは日本です。
と、言ったのだ。
おがたくんが、チラッと私の方をみたので
事もあろうか
ワタシも小声で
Yes, this is Japan
と言ったのだった。
穴があったら入りたかった。
なかったら
どこまでもどこまでも
自分で掘って入りたかった。
そうしたらフランス人の彼女は
~こんにちは~
と言った。
まさかのまさか
~あ、通じた~と嬉しかったのだから子供と言うのは単純な生き物。

家に帰ってから
フランス人だったら
ぼんじゅーる、って言えばよかったんじゃないの?
と、母に言われて
ますます恥ずかしくなった。

けれどその後
彼女に会うたびに
彼女は~こんにちは~と私達に言い
私達は~はろー~と言いつづける事になった。
生まれて初めての
生の国際交流だったと、振り返って思う。

時は過ぎ
現在、我が家の長女11歳は、日本人の顔をしながら
英語も話すので(インター出身で地元公立校に通う5年生)
同級生の男子からは
~はろー~
と呼ばれている。
小学5,6年生の男子と女子というのは
そういうものだと思うのだけれど
例えば、文房具屋さんで会えば
~あ、はろーだ!~と呼ばれ
夕方、家の前に数人の少年達が
インターホンを押すわけでもなく
~ここ転校してきた、はろーの家だぞ~と
話しているのを見かけ
噴き出しそうになる。
それは、ご挨拶の言葉でもあって
誰も傷つかない、綺麗な言葉でもあるわけで
訂正を促す理由も全く無い。
そのネーミングのつけ方にもセンスを感じるし
あの頃、
私自身が、フランス人でもドイツ人でも
とにかくナニジンであろうとも
はろー
と言うしかなかった戸惑いと好奇心が織り交ぜになった
(けど、嫌がられたらどうしよう、なんて不安もあって)
あの感じを思い出す。
今では
見た目だけでは判断できない
言語、文化体系になっているので
ますます
少年少女達の
~はろー注意報~は浸透していくだろうと思う。
海の近くに住む私達も
お天気予報を聞きながら
~波浪注意報~をみつけたら
~はろーがいつもより多発するみたいよ~
なんて笑い合える。
何だって愉しめる
明るい考え方を
アーサービナードさんから
沢山もらっている。

















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