09.3.9(月)
神慈秀明会を退会して20年近くが経ちました。母が最初に退会したのですが、きっかけがありました。
毎年年末の恒例だそうですが、生誕祭の後、世話人を降りたい人は支部に戻って支部長と面会するそうです。1988年の年末。母はその集まりの中にいました。
ぼくも弟も結婚し、父と二人になった母は、「もうこのへんで世話人を降ろさせてもらおう。お金もついていけないし・・・」と常々考えていたといいます。今年こそは降ろしてもらおう。「勇気、勇気、勇気」という言葉が心に浮かんできたといいます。支部のご神前に集まった世話人たちの一番前に座っていた母を支部長は見るなり開口一番。
「あんたなんか退会じゃ! 顔も見とうない! 出て行け!」と言い放ちました。
母は、何を言われたのか理解できなかったそうです。まさにキョトン状態。しばらくして後ろに座っていた母のグループの助教師に訊ねました。
「支部長先生、私になんて言わはったん?」
「退会って言うてはったよ」と助教師も呆気にとられている様子。
「退会?退会って何?」母は単に世話人を降ろしてもらい、いち信者に戻してもらうだけでよかったのです。退会なんて夢にも思っていませんでした。
「退会って言うたら、神慈秀明会を辞めることやないの」と助教師。
母は、心の中で「えっ!ホンマに?やった!辞めれるなんて夢のよう!やった!」と叫びました。もう嬉しくて、嬉しくて、天にも登る思いで母はすぐさま世話人室に行き、自分の棚の後片付けをして周りにいた人たちに「私ね、今日限りで辞めることになってん!みなさん、ごきげんよう!さようなら!」といって意気揚々と支部を飛び出しました。
帰りの道中、空を見上げると、まるで天上界から天使たちがラッパを鳴らし、祝福しているかのようで、足取りは軽く、こんなに嬉しい思いをしたのは今までなかったといいます。母は一旦、家に帰り、すぐにぼくの家に来て、「神慈秀明会を辞めました!」と声高らかに満面の笑みで言ったのを昨日のことのように覚えています。
ぼくは内心「こまったな。俺はどうしたらいいんや」と思いましたが、信仰は自分の問題ですから、母は母、ぼくはぼくです。母も一切、ぼくたちには「あんたも辞めなさい」とは言いませんでした。
ただ、妻は以前から神慈秀明会を嫌っていたので「私も辞めます」と一緒になって宣言してしまいました。
実はその出来事がある1カ月前から、高橋信次先生の講演テープを聞いていたこともあり、「俺も真剣に考えなあかんな」と思い、とりあえずは大晦日の午前0時の元旦祭には行くことにしました。妻は「私はもう行かない」と言うので、ぼく一人の参拝です。
母が辞めたことは支部内ではちょっとした話題になっており、元旦祭に行くバスには知り合いもたくさん乗っているので「いややなぁ」と思っていたところ、幼い頃からの知り合いで一つ年下の後輩がこう言いました。
「おばちゃんのこと聞いたわ。とんでもないことしてんな。一緒に辞めるの?」
「俺はおふくろとは関係ない。俺は俺や」
その後輩は中高生部は違う地区でしたが、成人部は同じなので、支部に行く時も、合宿する時も、いつも電話がかかってきて「一緒に行こう」と誘ってくるのでした。なのに、年末の集まりや元旦祭を誘う連絡が一切かかってきません。おかしいなと、こちらから連絡しても留守電ばかり。それで、その元旦祭のバスで一緒になったので、「留守電に入れといたやろ。なんで連絡してこないんや?」と訊くと、
「だって、おばちゃんが辞めたということは、邪神にやられたということや。電話したら、ぼくまで邪神にやられてしまう。邪神一家は恐いから付き合うなと先生が言うてはった!」というのです。
もう開いた口が塞がりませんでした。ぼくは「アホか」とだけいい、自分の席に帰り、一人で参拝しながら、「俺が邪神やて!ようそんなことを言うなあいつは。誰が面倒みてきたってんな」と腹は立つやら、悔しいやら。でも参拝後のバスでは冷静になっていました。
「この参拝を最後にしよう。どう考えても高橋信次先生の言うことのほうが正しいわ。俺も辞めよう。おふくろが辞めただけなのに教師が率先して“邪神一家”と言うとは、付き合いきれん。愚かな教団よ、さよならや」と心に決めました。
バスはやがて、支部の前に到着。ぞろぞろと降りる参拝者たち。ぼくを無視してバスを降りようとする後輩の頭を後ろから突いてやりました。
「お前なぁ!もう少し賢くなれよ!」と大きな声で言ってやり、振り向いた彼に「たっしゃでな!」と言い放ちました。
すぐそばにいた彼のおふくろさん(この人も世話人でした)には「さようなら」と言いました。それが、ぼくの神慈秀明会への決別の言葉にもなりました。
その後半年の間に、弟、父が辞めました。ご神体、お屏風観音様、家族のおひかりは一つにまとめて、信楽の教祖殿宛に郵送しました。もちろん、なんのバチも当たっていません。ぼくたちのことを「邪神一家」と言っていた教師は「あの一家、みんなすぐ死ぬわよ」と信仰者とは思えないことを言っていたそうです。あれから20年。我が家はみんな元気です。幸せです。辞めてつくづく良かったなと感謝さえしています。大切な友人を幾人かは退会させることもできましたし。
辞めて5~6年は、布教している夢をよく見ました。ほんとに布教で全国の街を歩きましたから仕方がないことでしょう。でも、懐かしいなというのも思わなくなりました。今は「正法」という真実の神理に出逢ったお陰で人生が豊かになり、真の安心立命を得ることができました。
神慈秀明会よ、永遠にさようなら、です。