09.2.22(日)
日本には18万を超える宗教団体があり、その信者数はなぜか2億数千万人という、人口の2倍あります。つまり、1人が2つの団体に所属しているというわけで、檀家でもあり氏子でもあるというパターンが多いからだとも言われています。
18万も超える宗教団体がどのように維持運営していくのか。それはすべて信者による布施・寄進です。「○万円出せば病気は治ります」といった現世利益、「○万円出せば先祖の因縁は取れます」という恐怖信仰をちらつかせば、面白いようにお金は集まります。大きな組織になれば、それは凄いものです。
ぼくは大学生部に所属していた時に献金推進委員を担当し、ぼくの父も支部の献金推進だったので、お互い目の当たりに、いかに宗教はお金が集まるかを見てきたのです。
大学生部でも月に数百万円、支部単位だと数億円が集まってきます。月に1回、集めた献金を本部に届けていたのですが、ある時、全国の支部、大学生部、青年部から集まってくる莫大な献金の山を目撃しました。大きな会議用の机を1カ所に寄せ、その上に札束が山積みになっていました。その高さは人の背丈を軽く超える山となっており、その山がいくつもあったのです。
当時は、桃の実献金が真っ盛りで、大学生でも100万円する信者がいくらでもいました。幼い頃からもらったお年玉やバイト料を溜めていたというのや、実家の親に黙って銀行通帳を持ち出して引き出したり、金融関係に借金したりして出していたのです。実家の通帳を持ち出した場合は後で大事になるのは当たり前で、「子どもが騙されている」と警察沙汰はよくあり、裁判もありました。金融関係は、学生ですからなかなか返せません。となるとやはり実家の親に泣きつくか、夜逃げです。大学も退学し、実家にも帰らず、どこへ行ってしまったのか。そんな大学生がたくさんいました。
さて、山積みになったお金を前にしていると、感覚が麻痺してくると、父とも後でよく話をしたものです。
1000円を稼ぐにも、遊んでいてはもらえません。人が汗水たらして得たお金、苦しい家計の中を必死でやり繰りして捻出したお金は尊いものです。ということを、いつしか感じなくなるのです。莫大なお金がいとも簡単に集まってくると、「あの人はずいぶん出したな。出そうとおもえば出せるんや。この調子で来月もたくさん出してもらおう」「この人は今月ちょっと少ないな。来月はもっと出させよう」というように、毎月のノルマに幹部たちは守銭奴と化していたのです。
献金の目的は、
「地上天国建設のため」「家内安全のため」「病気平癒のため」「因縁払拭のため」がほとんどでした。
「献金は大切なお金を出すという身を削るようなつらさがあります。それが禊ぎになり、神様が喜ばれます。そして天国への貯金となって、あの世へ行ったら贅沢な暮らしができるのです」
今となっては笑わずにおれません。人間をつくった神様が、人間の作ったお金を求めるでしょうか。お金は人間社会で通用するもの。この世を調和させる手段の一つです。宇宙の運営にお金など必要ありません。例えば、人間に必要な太陽の光は、神の恵みです。これがないとあらゆる生物は生きていくことができません。ならば、その太陽からは請求書が届くでしょうか。一人ずついくらか払えと求めてくるでしょうか。
「神は無所得なのです」と高橋信次先生は繰り返しおっしゃいます。神はお金など一切求めません。お金を求めるのは人間です。幹部連中が贅沢な暮らしのために求めるのです。これが宗教組織の実態です。実に単純。自分たちが贅沢をしたいから信者からお金を出させるのです。
生前の高橋信次先生は、GLAでは一切お金を求めませんでした。「宗教家は自ら仕事をして、自分で稼いだお金で生活をするものなのです。信者からのお金で生活をするなんてもってのほかです」と自らコンピュータ会社を経営されていました。私の師の河田先生も飲食店を経営され、一銭も求めはしませんでした。むしろ、自分で主催するセミナーの費用を人知れず出していたほどです。
つまり、宗教での献金は死金です。まったく生きていません。
「何に使われているか分からない献金をするよりも、困っている人に、例えばユニセフとかに寄付するほうがいいんじゃないですか」と質問する青年はよくいました。
「たとえ君が1万円をユニセフに寄付しても、それは一過性のもの。その日は食べれても翌日はもう食べれない。持続性がない。それだけで終わります。神様に献金すれば、魂が救われるのです。ユニセフに魂は救えないでしょ? 食べるものや着るものがいいのか、それとも魂が救われるのがいいのか。どちらに価値があると思いますか?」と教師たちは答えていました。うーむ。へ理屈にもほどがある、情けない解答です。日本円でたった数百円のワクチンで途上国の子どもの命が救われます。1万円なら数十人が助かるのです。神慈秀明会ではそういうのにはまったく無関心でした。
ぼくは神慈秀明会を退会した後、世界の恵まれない子どもたちを支援する団体に寄付しています。それでいいと思っています。お金はあの世に持っていけません。あの世へは、現世で何をしたか、自分と世の中の調和のためにどんな努力をしたのか、その経験を刻んだ魂しか持っていけません。お金を求める宗教は、やがてすべてが淘汰されるでしょう。