つい先日のこと。このスチトトの街で顔馴染みになった、地元スチトトに住む若者が私を昼ご飯に誘ってくれた。昼ご飯と言っても、「今からそこの市場で材料を買うから!海鮮スープをオレの家で作るよ」というもの。若者5、6人での男のスープである。


 一通り食材を買い揃える。私のスペイン語はまだまだ若者の会話についていける程のものではない。じーっと買い物の様子を見ていたのである。そして「後で割り勘にでもするのかな?」と何か言われるのを待っている。結局私が彼らと別れるときまでお金のことは何も言われなかった。


 彼ら(=私の周囲にいるエルサルバドル人)のお金に対する感覚に、ちょっと興味がある。ディスコを訪れたとき「2ドル足りないから貸してくれない?」と言われた。いいよ、と軽い気持ちで貸したのだが、次に会ったときにきちんと返してくれた。


 ディスコでビール7本を5ドルで買った。5ドル私が出した。みんながそのビールを飲む。知らない人も「一本もらっていい?」と持っていった。


 けれどもディスコで、飲み物が尽きてボーっとしていると友達が「このビールあげるよ」とどこからともなくビールを持ってきてくれた。もちろんお金は払っていない。

 

 サッカーの試合を広場で見ていると、その日に知り合った人が「ビールあるけど飲む?」と私にくれた。お金は払ってない。

 

 (このままでは単なるビール好きになってしまう)

 

 店の前を通ったとき、「チョコバナナ食べない?」と言われたので「食べる!」と私は答えた。2本買い、1本を私にくれる。「いくら?」と聞くと「(お金は)いいよ、いいよ」と。


 タクシーに乗る。メーター制ではないため行き先を伝えたと同時に値段も尋ねた。「6ドルでどう?」 後々他の日本人に聞くと、この値段は相場らしい。


 値札のついていない民芸屋で買い物をしても、「まぁ確かにこれくらいの値段か」と納得できる。T-シャツいくらくらいとか、ポストカードいくらくらいとか・・・。

 

 お店で買い物をする。こちらに来て大体1ヶ月。「あれ?この前ボトル1本1ドルだったのに、今日は1.5ドル?」みたいな疑問は一度もない。1本1ドルだと、他の店でも1ドルだ。法外な値段をふっかけてくることは未だにない(まだ1ヶ月だからかもしれないが・・・)。


 もちろんお店の人やタクシーの運転手は(大体に)決められた値段を私に伝えてくれているだけであるし、ビールを私にくれる人々は(私がビール好きに見えるのか)きっと損得勘定抜きに、特に深い考えもなく、純粋に親切な気持ちでくれているのだろう。割り勘にしようと誰しもが言い出さないのは、もしかしたらここでは人間関係とお金は全く別次元の話であって、日本のようにお金にルーズだからという理由や、きちんと割り勘しないと何となく貸し借りが出来てきまり悪い感じになるといったような感覚はないからなのではとも考えてしまう。そして、少なくとも私の居る場所では、明日食べるものもないと言うような深刻な状況にある人がたまたまいないということも大きいだろう。スープをご馳走してくれた若者も決して裕福ではない。友人の中にはすべての学校課程を経済的な理由で終えることが出来ず、働き出した人もいる。それでも、「ビールあげるよ」とか「チョコバナナ食べる?」とか言うからミステリーだ。「そんなにお金に余裕あるの?」とつい聞き返したくなる。