今年は3月は雨ばっかりで気温が低く、終わり頃になって突然気温が上がったせいで、
あらゆる桜が一斉に咲いてしまった。
ここでは、「山桜」も「ソメイヨシノ」も「八重桜」もほぼ同時に咲いた。
しかも、今年は桜の当たり年やったようで、凄まじい咲きっぷりだった。
うちの癌患者モラ夫は、自分でももう長くないことは認識していたが、春頃まではもつと思てた節がある。昨年の年末から入院したが、それも年末年始対策で入院しただけで、いずれは退院できると思てた。
しかし、本人の意図通りにはいかず、急変して亡くなった。本人は無念やったやろう。
桜が散った今、奴も今年の狂い咲き桜を見てからでもよかったな、と思う。
あれから私は「解放感」に満たされつつも、やっぱり納骨が終わるまでは落ち着かない。納骨は5月13日を予定している。この日は奴の誕生日。これでやっと奴も地元に帰れるな。
さて、それでは「ストーマ地獄前哨戦」の続きです。
以前に読んだ癌患者モラハラ夫の記事では、医者は自分でやるように言うたにも関わらず「ストーマのケアから取り替えまでやらされた」という奥さんがいた。
その記事の引用:
『手術後、一時的にストーマ(人工肛門)になったんですが、そのケアや交換を私にやらせたんですよ。医師からも自分でやるように言われていたのに。私は当事者じゃないから、感覚的なものがわからない。交換時に皮膚が突っ張る、思いやりがないと怒鳴られました。だったら自分でやればいいのにと言ったら、初めて夫に殴られた』
これを読んだ時「悲惨極まりない!」と思た。これはこれでストーマ地獄ではあるが、うちはこれとは 正反対のストーマ地獄 だった。
すなわち、ストーマの排出時、ストーマの取り替え時は、絶対に近づいてはならない!!
という、これまた極めて鬱陶しい状況。
奴がトイレに入ったら要注意!不用意に近づいたら「落ち着いてやらしてくれ~!!!」と叫び出す。
あいつは、自分の「恥ずかしい」あるいは「惨めな」姿(と自分だけで思てる)は見せたくない、というケッタイな「プライド」のようなものがあった。
私はそれを全く理解できなかった。ストーマ造設したんやからしゃーないやん。
そもそもいちいちトイレの中まで見に行くことなんかないしな。
ストーマ排出してることを人に知られて何がそんなにイヤなんか。
理解不能。全く理解不能。
ストーマ装着しつつも温泉に行ったりしてる人もおったのにな。
この「ストーマ地獄」はほんまにイヤやった。鬱陶しすぎて。
解決策として、トイレに入っていることを示す「パトライト」まで購入した。
トイレに入る前にこれのスイッチを押してもらう。
昼間はまあいい。夜中にトイレに行きたなった時は 最悪中の最悪 やった。
こっちはトイレ行きたくて目が覚めても、すんなりとトイレに行けない。
とりあえずは「奴がトイレにおるかどうかを確認」せんとアカン。
そんな時にパトライトは役に立った。
夜中にトイレがかち合ってしまい、奴がストーマ排出終わるまでイライラしながら待ったことも数回あった。できるだけ夜中にトイレ行かんですむよう水分制限したりもした。
このストーマ地獄は、ほんまに 思い出すのもイヤ!!
脳の海馬から永遠に消去したい。
特にストーマ造設初期は超絶ウルサかった。
あいつ専用のトイレ作ろかと思たぐらい。
最後の方はもう身体もヘロヘロで頭もちゃんと回ってない状態やったんで、
気にする余裕もなくなってたが・・・。
結局3年ちょっとの間、このストーマ地獄に悩まされた。
今は自由にトイレに行けることを「幸せ」にすら感じる。