葬儀が終わってそろそろ1週間になる。
モラ夫氏の検査数値は凄まじく悪かったが、まだ10日ぐらいは持つだろうと思てた。でも、後の始末のことも何も聞けないままあっけなく急に逝ってしまったので、片付けは超絶大変だった。
本人はまだ春頃までいけると思てたようで、「退院したら○○しよう!」とか散々言うてたな。おそらく一時帰宅して動き回ったのは身体に悪かったんかもしれん。
9日に医者に呼び出され、検査値を見たら仰天した話は前回した。
ビリルビン値は20に跳ね上がり肝臓数値も100超え。
10日に一時帰宅から病院に送り返したが、その夜に急変。
11日は朝っぱらから病院から呼び出されて9時には病院に着いた。本人はもう意識がなかった。
おそらく肝臓で分解できなかった有害物質が脳にまで到達したんやろう。肝性脳症てやつ?
11日の夜に何回も嘔吐きだして、その都度看護師を呼び吸引。最後の吸引後、脈も呼吸も弱くなった。
犬の時もそうだったが、疾患があると最後はやっぱり辛そう。
老衰で逝った犬は穏やかやったな。
亡くなったのは夜の11時過ぎ。当然1晩だけ霊安室に置かしてもろて、私は「家族控え室」でちょっと寝たいと思てた。
もう朝の9時から来て、一旦家に戻って犬どもを獣医に預けてからまた来たんやで。1日中やで。
ところが!病院はもう亡くなったら用なしと言わんばかりに追い出しにかかってきやがった。
「葬儀屋に連絡しろ」て。エエ?今?
近くの葬儀屋の会員にはなってたんで、しゃーないからそこに電話した。
葬儀屋は夜中にも係わらず丁重やったけど、引き取りは夜中の1時半になると。
その間、看護師等がモラ夫氏の身体を拭いたりしてキレイにしてた。
私は、大量の荷物を車まで運び、葬儀屋が来るまで待った。
1時半に葬儀屋が来て、遺体を運んだ。
私が車で先導してうしろから霊柩車が付いて行く形となったが・・・・・
なんせ、真っ暗!!!車なんか他に走ってないが!
しかも家に到着するまでクネクネ道の峠を越えなければならない!
真っ暗すぎてカーブがどこなのかも近くまで行かんと分からん。
トンネルが何カ所があるんやけど、トンネルに入ったら明るくてその時だけホッとした。いつもはトンネルが嫌いなんやが、この時だけはトンネルさまさまやった。
もうこっちが死ぬかと思た。
何とか共倒れにならんようにゆっくりと走って何とか家に到着した。
それから遺体を家に運び込み、葬儀屋とのスケジュール調整をし、やっと寝れた時には朝の4時になってた。
もうほんまに病院を恨む!!!1晩ぐらい寝さしてくれたってエエやないか!!
なんでそんな急に追い出さなアカンねん?夜中に!!
翌日も主要な人に連絡したり、葬儀屋との予定調整やらで超絶忙しかった。
ふと思たが、「緩和ケア」て結局、もう1ヶ月もつかもたんかちゅう頃になってしか入れんようやな。
やっぱり緩和ケア病棟の期限は1ヶ月。これは医者にも確認した。
だから、患者がどんなにしんどい状況でも、まだ余命1ヶ月にならん限りは緩和ケア病棟には入れへん。
うまいことやっとるわ。患者のことなんか二の次やで。
とにかく、1人でも1ヶ月超えたら緩和ケア病棟に入院中の全患者の「診療報酬」が下がるらしいからな。
病院はもう必死や、必死!
モラ夫は自らステージ4まで引き延ばしたけど、もっと早よに病院行ってステージ2ぐらいで発覚してたとしても、大腸癌は再発率も高く、結局、延命期間がちょっと延びるだけで、最後は同じようになってたかもな。
最初に処置しなければ「余命2ヶ月」と言われ、ステージ4の場合はたいてい3年ぐらいと医者に言われつつも、4年半も持ちこたえたんやから良し!とせなアカンな。
ただ、最後の半年ぐらいはもうただのヘロヘロ抗癌剤人生やったけどな。