13日に前夜祭、14日に葬儀を完了。葬儀は神式で行いました。

ブロ友の皆さんの激励、ありがとうございました。

心から感謝してます。

 

(写真はイメージです)

 

12月26日に去年最後の診察があったことはアメンバー記事で報告した。

ビリルビン値が10に跳ね上がり、肝臓数値(GOT、GPT)も上昇していた。

年末年始の時期でもあり、医者からは入院を勧められた。

結局、28日に入院。肝不全用の点滴を24時間体制で開始したが、12月30日の血液検査では、ビリルビン値は12に上がっていた。

 

私はその後2日と4日に面会した。その後も6日に行くつもりだったが、モラ夫が「もういい」というので、5日から8日までは面会に行かなかった。

9日に医者の話があったので出向いたが、その時の数値が仰天するほど上がっていた。

ビリルビン値は20、GOTもGPTも100超え

これは危ない」と医者だけでなく私も思った。

その日、緩和ケア病棟に移った。モラ夫は「一時帰宅したい」「絶対に今日帰宅する」と言いだし、

そのようにした。医者も「一時帰宅するんやったら今しかない」と言うてた。

 

家ではストーマ装着具の注文や、高額医療費の請求とかやってて、自分ではまだまだいけると思てた。

一度スリッパが引っかかって転けたが、もう自力で立ち上がることもできなかった。

良かったことは、偶然モラ夫姉から電話があって若干だけでも話ができた。

もう食欲は全く無く、栄養ゼリーをチュルチュルするのがせいぜいだった。

 

翌日10日、病院に送り返した。

運転は私がしたが、横に座って「前の車に近づきすぎ」やの「大回りしすぎ」やのいちいちうるさい。

ほとんど教習所の教官のようやった。

「まだ悪態ついてるぐらいやから、しばらくは持つやろう」とその時は思った。

 

次の日11日、朝っぱらから病院から電話。

何事かと思たら、「急変したんですぐきてください!!」

とりあえず病院に向かった。病室に入ったらすでに意識がない。

病院の話では、10日の夕方から4時間ほど点滴して、8時頃に「ちょっと休む」と言い寝だした。

夜になって吐き出し、点滴のせいでオシッコが出るももう動けなかったらしく、そのまま垂れ流し。

その後意識が無くなったと。

 

12月30日から1月9日の間にビリルビン値も肝臓数値も徐々に上がってたんやろうな。

もう全身「黄色」やった。

11日は私はそのまま待機。犬のことがあるので一旦戻って犬どもを獣医に預けた。

モラ夫の大学時代の先輩と同級生に連絡したら、すぐに来てくれた。

来てくれたけど、すでに意識はなし。

モラ夫は呼吸も安定し、スヤスヤと寝てるようだった。

その夜、私も疲れてきて、ちょっと寝ようと思てソファーに横になったら、

急に嘔吐きだし、看護師呼んで吸引してもろた。そんなことが数回。

最後の吸引の後、徐々に呼吸も脈拍も弱まり、夜の11時頃に亡くなった。

 

その後の顛末については、次回報告する。

病院てひで~わ。亡くなったらもう用なしてか?

 

アメンバー記事も若干の修正を加えて徐々に公開する予定です。