アメンバー記事も徐々に解除していこうと思う。

まずはモラ夫氏の治療経過から。

これは、現在抗癌剤治療中の人にも役に立つと思うので公開する。

 

前にも伝えたが、うちのモラ夫は「自らの意思」で己の癌をステージ4まで引き延ばした。これについては開いた口が塞がらん。

 

2019年7月末にやっと地元の病院で受診した。

本人は病院に行ったら最後、入院してそのまま終了と思とったようだが、

その病院では1週間ほど毎日通院させられて検査、検査の連続だった。

それで、最終的に近くの大学病院を紹介された。

しかも、それは「消化器科」ではなく、最初から「腫瘍内科

ちゅうことは、その病院の判断は、

1. うちの病院では扱えない。

2. ほぼ手遅れ状態なので「消化器科」には紹介しない。

ということなのだろう。

私としては「腫瘍内科」ではなく、「消化器科」に紹介してほしかった。

 

大学病院では、

第1ラインとして、初回はFOLFOXのみ。

そこでどう言うわけか腫瘍マーカーが3万台まで跳ね上がり、医者もビビったんか、

FOLFOXにパニツムマブ(ベクティビックス)という分子標的薬が加わった。

これが非常に効果を発し、腫瘍は縮小、腫瘍マーカーも劇的に下がった。

これを約1年半継続。途中オキサリプラチン(エルプラット)という神経毒のある薬は除去された。

ベクティビックスの副作用として皮膚障害がある。手の指も足の裏もボロボロ。

保湿クリームも処方されるが、そんなぐらいでどうにもならんレベル。

抗癌剤の副作用としてもう1つ、口内炎がある。

ちょうどコロナ禍が始まり、初回のワクチンを打った。最初は2回がワンセットで、2回目は3週間後だったはず。

医者に言うて次の抗癌剤を1週間延期してもらえばよかったのに、そのまま2回目ワクチンと抗癌剤がダブった形になり、悲惨なことになった。激しい口内炎が発症し、食べることもできない。

さすがに本人も参ったみたいで医者に報告した。院内口腔外科を紹介され、エピシルという口内保護薬をもらった。

すぐには回復しなかったが、激しい口内炎は徐々にましにはなったようだ。

FOLFOX終盤にストーマ造設手術。

ストーマ増設後の超絶テンヤワンヤについてはまた後に語るつもり。

 

第2ラインは、FOLFIRI+アバスチン(分子標的薬)

3ヶ月ほど投薬後、アバスチンの影響で門脈に血栓ができたとかでアバスチンは中止。

FOLFIRIのみになった。これも1年強継続。

最後の方には腫瘍マーカーが右肩上がりに漸増するも、医者は放置。

この医者は「こないだインターン終了しました!」みたいな若造医者。

もちろん臨床経験なんか無いに等しい。

「腫瘍マーカーはあくまで参考で、最終的にはCTで判断します。」と言うが、

私は別の処方を提案した。分子標的薬のベクティビックスを再度投入しろ!という提案。実際の臨床結果を調査しまくり、多数の症例も発見したし、それを見せようとするも拒否される始末。

 

それでセカンドオピニオンを経て転院を画策した。

(その顛末についてもまた後に語る)

その結果、転院に成功し、その国立の病院で第3ラインとして、FOLFIRIにベクティビックス投入をやってもらった。

予想通り効果があり、腫瘍マーカーが漸減。

 

しかし、これも長くは続かなかった。3ヶ月ほどか。で、

第4ラインとしてロンサーフ+アバスチン開始と相成った。

これももうかれこれ1年3ヶ月ぐらい継続した。

最初は「2週間投薬・2週間休薬」という既定の処方だったが、

1年過ぎた頃には、2週間投薬後の検査結果と2週間休薬後の検査結果が大きく異なるようになった。休薬後の数値は悪く、投薬後にはその数値が改善されている。

ということは、ロンサーフ自体はまだ効果があるということになる。

それで、「5日投薬・9日休薬」という処方を提案した。

これも実例を調べて医者に伝えた。

この病院の医者は40代ぐらいで、患者の話をよく聞いてくれる。

非常に助かっている。

その処方に変えたら、数値は下がってきた。

処方を変えるだけでこれほど効果に差が出る。

臨床試験では長期投与は想定してないんやろう。実際、治験を1年も2年もやることはないからな。長期にわたったら、臨機応変処方を変えていく必要があると思う。

 

うれしいことに、この病院にも「緩和ケア病棟」が開設された。

当初は最初の病院の緩和ケア病棟に入るつもりだったが、

今の病院の緩和ケア病棟の方がなにかと手続き上も簡易やし、なにより主治医が近くにおるのがいい。本人もその気になってるから、これで恐怖の「最後は家で」はなくなった。

予想通り、本人は「緩和ケア病棟てどれぐらい入ってんのかな?1年とか?」と聞いてきたから、「いやそんな長く入られへんよ」とは言うておいた。

実際には出たり入ったりになるんかも知れんけど。それでもいい。

 

いよいよ終盤に入った。

数値は下がってきたが、本人のヘロヘロ度はさらに進んでる。

 

というわけで、11月後半ぐらいから、ビリルビン値が上がったり下がったりし始めた。ロンサーフ投薬後は下がり、休薬後は上がっていた。

とはいえ、その頃の数値はまだ2に届かないほどだったし、ロンサーフで治まってたからそれほど気にはしてなかった。

12月にロンサーフの処方を変えてから、肝臓数値もビリルビン値も腫瘍マーカーも下がってきた。が、12月の最後の診察(26日)でビリルビン値が10に跳ね上がり、白眼も黄色くなっていた。

その後の経過はブログで報告した通り。癌発覚から抗癌剤治療4年半。