またまた前回の続きです。


娘が病棟に戻る日が来て、退院までの10日間、再び付き添い入院が始まりました。



術後の付き添いは大変でした。
体内の水分管理が必要で、授乳のたびに体重計測。
排便、排尿の量をチェック。

度々先生や看護師さんが診察にみえます。(おちおち居眠りしていられない)


夜は、苦しいのか痛いのか、泣き喚く娘を抱いて3日間は睡眠不足。手術跡が痛そうなのに加えて、点滴や水を抜く管、心電図の装置も常につけて、うまく抱けず…余計に泣いてたんでしょうか。

だんだん母乳は出なくなり…
飲んだことなかったミルクに切り替えることになりました。
ミルク育児をしたことの無かった私にとってはこれも辛かったです。

隣接していた付き添いのお婆さん?からはクレームが来ていたようだし、窓もなく廊下にも面していない窮屈な病室の一角は、休まる時がありませんでした…

…と、私の話ばかりに。

娘は日に日に、ミルクを飲む量も増えて管は減って行き、退院2日前には身軽になっていました。

まだ余裕は無かったのか、笑顔が見られず、微熱も続いていたのが心配でした。

24日のクリスマスイヴ。先生から「明日退院しましょうか」とお話しがありました。何より嬉しいクリスマスプレゼント!

25日に退院し、あれから一年。


今娘は元気に、大胆に逞しく、そしてとってもとっても愛らしく、成長しています。
1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後、と経過順調に来ている診察も、次は1年後になりました。

家族揃って今年のクリスマスを迎えられたことを心から幸せに思います。
去年、娘の未来をプレゼントしてくれた先生方には感謝してもしきれません。


娘の病気を経験して学んだことがたくさんありました。


私が知らなかっただけで、心臓の欠損を抱えて産まれてくる子どもは身近にも大勢居たということ。

両家の実家の協力が絶大で、息子も頑張ってくれたこと。私と主人だけでは乗り切れませんでした。

子ども医療費や助成を使わせてもらい、うん百万もかかる費用のほとんどは負担がなかったこと。

たくさんの人が、娘のために祈り、心配し、想いを届けてくれたこと。


娘が大きくなったら、
たくさんの人のおかげで今のあなたが居ること。そして、小さい小さい身体で大手術を乗り越えたあなたは本当に強くて立派だということを、伝えたいと思います。

今年も、メリークリスマス!



前回の続きです。


市立病院からの紹介で名古屋の病院へ。



初診の段階で、すぐに手術に進む流れやスケジュールのお話しがありました。
いよいよ、この時が…
覚悟を決めるも何も、もう最善の手を尽くしてもらうしかなく、聞きたいことは山ほどあったのに「よろしくお願いします。」としか言えませんでした。

その数日後、手術の説明日や入院日程を決める日を連絡いただき、何度か病院に通いながら入院までの準備が始まりました。


何度も丁寧に手術の説明を受けるのですが、場所が場所なだけに、本当に不安しかありません。
心臓を止めて、人工心肺に繋いで穴を塞いでもらうんです。

一度止めた心臓が、また動くの?
心臓を直接切って穴を閉じてまた塞ぐ?

もう、一般人の私には理解したくてもできない世界…


先生達を信じて、無事手術成功を祈るしかありません。


日は迫り、ついに入院。
まずは手術当日までの5日間、娘に付き添い入院です。いろいろな検査や説明を受けながらすごしました。
狭いベッドに2人で寝て、限られた狭い病室の1区画(4人部屋)でほぼ一日中。泣き声で同室の人に迷惑をかけてしまわないよう気を遣い、シャワーやトイレもほんの一瞬!そして常に手術への不安。

コロナ禍で面会の出来ない付き添い入院は想像以上に過酷です。
(ただ、手術後の過酷さに比べたらこの5日間は屁でもなかった…)

同室の母子さんや、プレイルームで知り合った、同じく心臓病の子どもに付き添う親さん達との交流は、心の支えになり励ましになりました。


そして手術当日。
その日は朝から主人も病院に来て合流。手術着に着替えた娘を抱いて手術室の手前まで見送りに行きます。

主治医の先生に抱かれ、担当してくれる先生や看護師さんと一緒に明るい手術室の方へ去っていく後姿。
「頑張ってね」と声をかけた気がしますが、胸が詰まっていてあまり記憶がありません。

ひたすら、病院内で手術終了の連絡を待ちます。長い長い一日。
お昼何を食べたか、主人と何を話したか思い出せません。

手術室に入ってから、7時間半後、無事手術が終わったとの知らせを受けてICUに運ばれた娘と面会しました。

大きなベッドにぽつんと小さい身体で横たわり、太い管や細い管が身体中に繋がれている姿に、
生きてるの?眠ってるの?

安堵なのか何なのか、涙が溢れて止まらず、横にいる主人をみると、同じように泣いていました。

麻酔で眠っていて目は半開き、でも世界で一番かわいいかわいい寝顔の娘。

よく頑張ったね…本当にあなたはすごい。


娘の心臓の穴は2箇所でした。
もともと診察で分かっていた心室に12mmの穴。隠れていた心房にも6mmの穴があり、両方無事に塞いでもらいました。


ICUでの治療のため、娘を4日間病院に残し私は一時帰宅です。
病院の外に出ると空は真っ暗でした。

入院中、1人で祖父母の家でお世話になっていた長男と久しぶりに再会。
今まで、2日以上離れたことが無く、寂しい思いをさせました。

娘がICUに居る4日間、たっぷり息子と過ごし、毎日一回かかってくる病院からの電話にドキドキしながら、付き添い入院後半戦の日を待ちました。

3に続く…



去年のクリスマスイヴ。


私と娘は名古屋の病院の病室で過ごしました。


翌25日に退院。心配と安堵が入り交じる忘れられない2021年のクリスマスになりました。



娘は1か月検診の時に、心雑音があると言われその場でエコー検査。
そこで、、、心臓に穴が開いていると…
心臓に…穴!?その場では全く理解できず「それは、よくあることなんでしょうか?穴が開いていても大丈夫なんでしょうか?」と聞くのが精一杯。

なぜか涙が出そうで、不安で頭は真っ白…いや真っ暗?大袈裟かもしれないけど、生きてる心地のしない時間でした。

その時点では、一応体重の増えもあり「100人に1人くらいの確率で、先天的にこういうことがあって、多くの場合は自然に塞がるよ。」と励ましてもらい何とか冷静になる私。
心室中隔欠損症の可能性、として念のため心臓専門の先生に診てもらえるよう市立病院に紹介状を書いてもらい帰りました。


その日から、ネット検索でどん底になる日々…(ネットでなんて調べるもんじゃない!)
心室中隔欠損と打つだけで、目を塞ぎたくなる検索キーワードがたくさん出てくる。

産まれる前、なかなか胎児の体重が増えず出産時も予定日超過にも関わらず2542gと、保育器ギリギリの低体重だったこと。
よく眠る子で、泣き声も小さめ。女の子って育てやすいなぁぐらい思っていたこと。
寝息が荒めで、明け方によく唸り声をあげていたこと。
授乳の後、息切れ気味で疲れて寝ていたこと。

今思うと、色々兆候は出ていたのかもしれない。

不安に苛まれ、すぐに市立病院の受診を決めたのでした。


1週間後、心臓病の専門で有名な先生に診てもらいました。
エコー検査の時間がはてしなく長く感じます(これはこの後毎回同じでした)。
心室中隔欠損で間違いなく、穴が大きめだということ。穴の位置が残念ながら、塞がりにくい場所であるということ。

またザワザワする気持ちのまま診察を終え、次は2週間後…
体重の増え方を見ながら今後の治療を考えると言われ、利尿剤と心臓の働きを助ける薬を処方していただく。

まだ、1ヶ月ちょっとの赤ちゃんなのに毎朝毎晩薬を(しかもなかなかの量)飲ませるのもなんだか悲しく…でもこれを飲まないと苦しいかもしれない…


心臓に穴が開いていると、新鮮な酸素が十分に体内に送り出せず、心臓も頑張って働かなくてはいけない。常にフルマラソンを走っているような状態なんだそう。

そんな時に感染症(特に呼吸器系)にかかってしまうと、抵抗する余力がなくて重症化。最悪の場合、それが原因で死んでしまうことも。

それを知ってからは外出や人との接触に気を遣い、ほとんど家から出すことなく、とにかく風邪を引かさず体重を増やすことに専念していました。

娘の心臓のことが頭から離れない日常。
手足が青白くないか。呼吸が乱れてないか。泣き声が弱くないか。飲む量が減っていないか。
早く診察の日になってほしいとそればかり考えていました。

診察は2週間後から10日後に、そして1週間後に。その後、さらに精密なエコーの診察を受け、手術できる病院への紹介に進むかを決めることとなりました。


この間2ヶ月。娘の体重は少ししか増えず、心不全の症状が顕著になっていました。


市立病院での最終の検査で、やはり娘には手術が必要との判断が出ました。しかも早めの手術が見込まれると。

心室中隔欠損症の手術事例が多い、県外名古屋の病院への紹介を受け、その1週間後に診てもらうことになったのでした。



目まぐるしく、受け止めなければいけない現実が押し寄せる日々。
でも、もうお医者さんを信じて、娘の生命力を信じて、身を委ねるしかありませんでした。
この頃、同じように子どもの心臓手術を経験したママさんが書かれたブログに励まされていたのを思い出します。

2に続く…