死別に限らず、離別でも未婚シングルでも、ひとり親で仕事を続けていくのには、大きなハードルがあります。


私の場合は、妻の突然死で5歳と3歳の女の子をひとりで育てて行くことになったので、覚悟も何もなく、ひとり親の世界に放り込まれました。


妻が大切にした子供達を、不自由無く育てて行きたいとは誓ったものの、現実は厳しく、子育てと仕事との両立は、次第に自分の心身の疲労を積み重ねていきました。


子供が体調不良の時には、頼るものは病院しかないので、発熱のたびに病院に連れて行く。

仕事は自宅でも作業できる設備を整えたものの、インフルエンザの時などは3人順番にかかってしまうため、3週間も会社に行けないこともある。


元々、東京で同様の仕事をしており、老舗百貨店や大手時計メーカーなど信頼関係を築いていたクライアントを田舎に持ち帰り、私が帰省後に就職した会社には、億を下らない売上をもたらしていました。


その関係の仕事のため、全国回りなど出張が多かった私ですが、県外にも出られなくなり、仕事は定時で帰り、夜の現場にも参加出来なくなる。

会社に対して申し訳無いという気持ちが募っていきました。


そして死別から5年後、突然の発作が私を襲い、それは明らかに内科外科系のものではない、恐怖感からくるもの。

今なら心の病は広く知られていますが、20年前の当時はまったく認知されてない時代。私自身も訳が分からず我慢していました。


その症状が1週間ほど続いた後、いよいよ耐えきれなくなり、県の電話相談に電話し、即座に病院を紹介され、通院することになりました。


パニック障害と、妻の突然死を目の当たりにしたことによるPTSDと診断され、ドクターからは仕事をやめなさいというドクターストップがかかりました。


当時の会社には感謝しています。

15年間働いていたので、私の家族のことを知ってる人も多く、みんなでフォローしてくれていました。

しかし残念だけど、辞める決断をし、およそ半年間の休養に入りました。


もっと申し訳ないと思ったことは、私が退職してから3年後に会社は倒産してしまったことです。


自慢に聞こえたらやだなと控えていたのですが、

私が入社する前は自転車操業していた会社が、私の入社後に突然東京の大手の仕事が入り、活性化していきました。

そして私の退社後、徐々に衰退していってしまった。同僚だったみんなは散り散りになりました。

それはまた私の黒歴史となり、心に深く突き刺さっています。



一方で、半年間の休養は、私に充分な気力と体力をもたらしてくれました。

私はデザイナーとして独立起業しました。

東京からのクライアントは全て会社に残して来たので、本当にゼロからのスタートとなりましたが、あまりにも深い闇を経験したため、また乗り越えられる自信ができていました。



ゼロからのスタートは楽しく、いつか仲間が集まり、それが仕事になっていきました。

仕事のジャンルも拡大し、デザインという枠に入らないことまで、出来るようになりました。


これまでの自分のキャリア。

テレビ局での番組作りやイベント、空間デザイン、商業施設、グラフィック、WEB、それがトータルして出来るようになったのは、独立したおかげです。


これは作品の一つです。



ここまで書いて思うことは、手に職があって良かったということです。

無理矢理だったけど、美大に通うことができ、美術デザイン系のバイトで実務を学んで、それが全て今に繋がっている。今では本業の他に、後進を育てるため、高校や大学で非常勤でデザインを教えたりもしています。


今さらだけど、無理言って美大に通わせてくれた親に感謝しています。


手に職は、デザインだけで無く、いろいろな職業があると思います。

はからずもシングルになった時、それが助けてくれると、私は思っています。