播磨国明石藩の初代藩主の松平忠国公、新田開発や
掘割の開削に努めるとともに、茶道・和歌・俳諧・
文学を嗜み沢庵宗彰との交流もあり、
明石が『源氏物語』『平家物語』の
舞台に成っていたことから、
自ら光源氏や明石の入道の碑を造った挙句、
自作の和歌を其の碑に刻ませて
いるんですよね~ぇ。
岩屋神社前の浜国道(旧中国街道)を西に行くと、
伊弉册神社の北に出てきます。
前回のバス停はここ。
アッと驚いた一日たったの6便
昼間だけ(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
築地塀に沿って南に少し下り、
次の角を左に曲がると
明石市三崎町の、
伊弉册神社の注連縄柱の前に出てきます。
伊弉册神社は人皇10代崇神天皇
6年(前91)に勧請されました。
主祭神・伊弉册大神、
配祀神・素戔嗚大神・屋船豊受大神・
猿田彦大神が祀られています。
社殿の西側には名残の三本松。
三本松の奥には福神三宝荒神(火結大神)
注連縄柱の筋向いは参道?
淡路島まで見渡せ、淡路の伊弉諾神宮が
あるような気がせんでもないような
景色が続いています。
伊弉册神社を後にして北に向かえば、
善楽寺山門前に出てきます。
善楽寺は戒光院・実相院・円珠院の総称で
明石で一番古いと言われている
寺院なんです。
善楽寺の地が文学遺跡の明石入道
浜辺の館が在ったという
ことになっていますょ。