KOHARU亭たいちろうラストステージ | 噺処『きらく屋』

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‘KOHARU日和’な日常を書き綴ってゆきます♪
 喜楽に!気楽に!おつきあいいただけたら嬉しいです〜♪

兄弟会最後の日が
今週土曜日(25日)に迫りました。

納涼・怪談の会です。
ちょっと天気が心配されますが…汗

三年前にも高校受験前に
たいちろうの活動休止はありましたが
あの時とはラスト感が違うな、と感じています。
ああ、いよいよ終わる時が来たのか…と。
会を企画してきた私としては
ちょっと切ないような寂しいようなホッとするような
そんなしみじみとした想いが湧き上がっています。

好きなようにやっていいのでうちで落語会やりませんか?
と誘われて始めた楽語の会。
最初に手を差し伸べてくれたのは橦木館の松原氏でした。
大きなチャンスをありがとうございました。
KOHARU亭楽語会の転換期になったのは東日本の震災。
チャリティ寄席を始める時に
笑いってなんだ?を小学生の息子たちといっぱい考えました。
そして…「ああ楽しかった!」という満足感で満たしてもらうにはどうすればいいか?を悩みまくりました。
「納得してもらえる笑い」を試行錯誤し出来上がったのが
落語会というより寄席っぽく…
寄席というよりショーみたいというような
現在のKOHARU亭流と言われる独特な形の楽語の会です。
普通の落語会とは違います。
総合司会がいます。
歌います。
コントもします。
スタンドトークもあります。
けいじろうタイムってのもありました。
影絵なんかもやりました。
劇っぽい講談だってやりますし
お母さんも時々前に出て行きます。
ずっと基本的に会は私が企画し
たいちろうとけいじろうで話す内容を決めて
音響などの設営はパパで…と家族で作ってきました。

橦木館から今の福祉会館に会場が変わっても
こうして毎月盛況で続けてこられたのは
ファンの一人となって愛情深く見守り支えて下さった館の方々のおかげです。
そして、遠くから足を運んでくださったたくさんのお客様がいらっしゃらなかったらここまで続けては来れなかったなあと毎度思います。
本当に本当に皆さまに感謝です。
心から…ありがとうございます。

ただ今回は、なによりも誰よりも感謝を伝えたいのは
最後の高座に上がるたいちろうに、ですね。
私がKOHARU亭たいちろうとの関わりで一番記憶に残っているのは、被災地訪問の時の打ち合わせです。
最初の挨拶から、落語のまくらについてまで細かく念入りに話し合いながら、お互い不安やプレッシャーで確認してもしても終わらなかったのを覚えています。
飛行機の中でも。宿でも。
たぶん、あんなに真剣に考えて緊張して意見を出し合うなんてことは…おそらくこの先…無いんじゃないかなと思うんです。
落語会の打ち合わせでは、母子というより…チームとかスタッフ仲間のような感覚でしたから。
なかなかチーム仲間のような親子関係って持てないと思うんです。
でも我が家は落語がその機会をくれました。
落語が、家族にもう一度笑うチカラをくれて
落語が、こうして親子のキズナもくれました。
落語にも感謝感謝なんですよ。

たいちろうの落語道は決して平坦ではありませんでした。
弟の落語には敵わないというコンプレックスを抱え、傷つき、もがいた時期がありました。
それでも好きな落語を捨てれず苦しんだ時期を私は知っています。
それでもいじけることなくコツコツと…自分の場所をしっかり見つけたたいちろうは立派だと思います。

KOHARU亭兄弟会にはかかせない存在でした。
我が子ながら…たいちろうの司会力はそこらのタレントよりもはるかに上だと思っています。本気で。
会の仕切りや段取りを毎回安心して任せることができましたもん。会の責任者として私はたいちろうにかなり頼っていましたよ。
兄に頼っていたのは私だけでなくけいじろうも同じ。
たいちろうは立派な兄としての役割を果たしてくれました。
本当にありがとう。お疲れさま!
大学絶対第一志望のとこ、受かってね!!



ちなみに…
兄弟会は終わってしまいますが、
KOHARU亭落語の会は続きます。
高校生になってグッと大人になったけいじろうが
ひとりで会を支えていきますので
9月もどうかどうか…おはこびくださいませ!
こころよりお待ちしております!
そして、たいちろうファンの方もぜひ!
客席にたいちろうがいることもありますので是非是非これからもご贔屓によろしくお願いいたします。