Q

夏目漱石の三四郎について質問します。
最終章でよしこが不在の理由は何故ですか?
またよしこがもし最終章に居たらどんな効果がもたらされますか?

 

A

理由を考えるのはご自由ですが、作品を読んで理解する事にはつながりません
考え理解すべきことは意味であり、最終章でよしこが登場しない意味を考えるべきです
作者が作品を書き、最終の「十三」によし子を登場させることを選ばなかったのです
(以下は比喩を用いた補足です)
ゴッホ(に限りませんが、)は、自画像に下半身を描いていません
その理由を考えることと、その意味を考える事は、似ているようでまるで違います
ともに、理由を考える必要はなく、意味を考えれば足ります
作者にとって、最終「十三」においては、よし子は自画像の下半身であったということです
ゴッホの自画像に下半身が描かれていたら、果たして名作たりえていたかを考えれば、よしこが最終章に描かれた効果もおのずと知れるでしょう
しかし、(ゴッホの)絵画を愛し、絵画(あるいはゴッホ)を理解しようと思う者が、「ゴッホが自画像に下半身を描かなかった理由」を考えるものでしょうか
それをお考えになれば、このような疑問は霧消するはずです

 

 

返信Q

よしこが登場しない訳のそれぞれの意見を聞きたかっただけです。

 

返信A

それはあなたの質問意図で、それはわかっています
しかしせっかくの返信ですから、回答意図を補足しましょう
親になって子を育てると、幼児が「なぜ」の質問を多用する事に気づきます
そのほとんどがいわゆる幼児的な質問です
「なぜ夜は暗いの」
「なぜ夜になると寝るの」
「なぜ」は、幼児的な質問なのです
子どもはそれで一人前に考えているつもりです
あなたの返信はつまりはそういう意味です
幼児にも自尊心はあり、親や祖父母ならばそれを配慮し、他人は配慮しません
「三四郎」を閉じる最終章に、よし子は明らかに不要です
それがわからないでは、「三四郎」はわからないでしょう

 

返信Q
せっかくの返信ありがたいのですが、私はその答えを求めていませんし、あくまで授業内の課題であるのでそういったことは担当の教師にお伝えください。

返信A

担当の教師にお伝えしろと言う事であればお伝えしますので、学校と教師の名をお教え下さい
私は外部の人ですが、問い合わせ程度はできますので、あなたのご意向通りお伝えします
「よしこが登場しない訳」については、作品を読んでさえいれば、よほど頭の悪い学生でもすでに私が書いたように答えられるでしょうが、「よしこがもし最終章に居たら」は、登場のさせ方によって、その「効果」は変わります
漱石の作品では、美禰子的な女性は、初期の草枕や虞美人草から晩年の明暗に至るまでふつう作品のヒロインして描かれており、最終章にも普通に描かれます
しかしよし子的な人物は、美禰子的ヒロインを際立たせる存在として描かれ、最終章で描く必要のない形象であることがほとんどです(唯一の例外は坊つちゃんの清くらいです)
自画像に下半身を描き込むのと同様、およそ正の効果は想像できません(あれば作者が選んでいます)