取手市議会に正義を見、国会に不義を見た。
取手市議会に正義を見、国会に不義を見た。
下記、投稿をするにあたり、前提として以下のことを記しておきたい。
幸福の科学大川隆法総裁は、旧統一協会創始者、文鮮明氏の誤謬をはっきりと指摘している。その内容はおそらくいかなる批判の中で比類なき厳しいものである。興味のある方は、書籍「宗教決断の時代(大川隆法著)」を参照されたい。
しかも、大川総裁は、東大生時代からすでに統一原理の誤謬を見破っておられた。小説「内面への道」にこんな事が書かれてある。
「ニーチェも文鮮明も無間地獄に堕ちている。それは正統派キリスト教全てを否定した罪。天なる父への信仰を失わせた罪。ニーチェと文鮮明の宗教的間違いを悟りたくば、カール・ヒルティーの『幸福論』(岩波ほか)を読むことである。」
当然、幸福の科学の信者として、私も総裁のお考えを学び、支持するものであることは当然のこと。
これを前置きに以下、お読み頂ければ幸いである。
宗教の原理と政治の原理には違うところがあります。
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自民総裁選コバホーク氏絡みで、やおら旧統一協会が俎上に載ってきた。
文武両道超エリート、コバホーク氏も、旧統一協会問題となると、返答は極めて凡庸であった。
曰く
「自分にも不注意があった。今後は関係を持たないように気を付けます。」みたいな。付け加えて、今後は自身の後援会の入会に関して、それなりの対策を考えると。
日本国憲法の建前上、個々人への思想信条を問うことは許されないこと。例えば、第14条 :すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
コバホーク氏は、まさか後援会入会において、個々人の思想信条を問うこともできまいに。
しかし、マスコミは、そこまで要求しているような勢い。コバホーク氏もそれに対応せざるを得ない、若干同情しないでもない。
さて、安倍元首相暗殺後、旧統一協会バッシング一色になった時、自民党の国会議員の先生方は総理を筆頭に、口々に約束した。「今後、一切、かの団体とは関係を持ちません。」
「今後、かの団体とは一切関係を持ちません。」という表現は大変抽象的である。一切と言っている以上、それこそ世界平和統一家庭連合の信徒が選挙事務所に訪問しようとしたら追い出されるのだろうか。あるいは、地方議員に何か相談を持ちかけようとしたら、追い返すのだろうか。一切の関係を持たないとはどういうことか。
そもそも政治家が、ある国民に対して「一切、関係を持ちません。」ということはどういうことだろうか。
衆議院議員は代議士と呼ばれる。国民の意見を代表する立場。
それとも一切関係を持ちませんとは、団体を言うのであって、個人との関係のことではありませんということ?そのあたりの説明がないのでわからないのである。
家庭連合の末端の信徒さんたちは、納税の義務を果たす日本国民であるはず。国民を代表する代議士が、ある特定の国民と「一切関係を持たない」としたら、おそらく日本国憲法違反である。
それらの具体的な事を捨象して、とにかく「一切関係も持ちません」とマスコミ神の前で宣誓して、マスコミ神の許しを乞う。そのように私には映り、ものすごく違和感を覚えた。ただ、この違和感を表明すれば、たちどころにお前はカルト宗教を擁護する気かと、そんな雰囲気であった。ここは、宗教の原理と政治の原理の違うところ。
国会論議で、寡聞にも私の「違和感」に納得いく回答をくれる論戦はなかったような印象である。マスコミの旧統一協会大バッシングを前に、そういった議論がかき消されたかもしれないが、ほぼすべての自民党議員、地方議員も含めて「今後、一切関係を持ちません。」と、そんな声しか聞こえなかった。
そんな違和感を抱き続けていたが、ある方の紹介で、そんな違和感に答えをくれる地方議会の議事録を読むチャンスに恵まれた。
それは取手市議会(茨城県)の議事録である。
令和4年9月、取手市議会に3名の共産党議員を紹介議員としてある請願が提出された。
『旧統一教(協)会汚染調査に関わる請願』
市長と議員の統一協会の汚染、感染具合を調べ明らかにせよ。という請願である。
この請願は、最終的に反対多数で否決された。
その討論の過程が、私の違和感に納得する答えを与えてくれた。国会論戦でなく、地方議会の論戦で、非常に真っ当な議論、討論がなされたのである。
討論の経緯を詳しく語ると長くなるので、請願の討論の中で、確認された重要なポイントは、取手市は、家庭連合の信徒だからという理由で、行政サービスを受けられないとか、そのような不利益、差別は一切ないと確認されたのである。
行政サービスの運営に際しては、既存の法に従って粛々と行うという当然の結論である。
自民党の市議も、岸田首相の「今後、一切関係を持たないこと」という議員に対する要請に疑義を呈した形となった。なぜなら岸田首相の「一切」を徹底したら、家庭連合の信徒さんは行政サービスからも疎外されかねないのである。
もし、家庭連合の信徒が行政サービスにおいて、差別されるとしたら、間違いなく憲法違反となる。これが取手市議会で確認されたことは、非常に重要なことである。実は、全国的にいくつかの地方自治体において、家庭連合の信徒という理由で、行政サービス等、受けられない事態となっている。
マスコミ神が誘導する憲法違反を惹起しかねない世論形成に、国会はひれ伏した。しかし、取手市議会ではそうではなかった。もし、取手市議会に、マスコミ神が密着し入っていたら、こういう判断を市議会ができたかどうか一定の疑問はある。それほどマスコミ神に、政治がひれ伏している感がある。
議事録を掲載した書籍を発刊した取手市議会議員の細谷典男氏は、本書の中で重要な言葉を引用している。
引用させていただく。
ナチスが支配するドイツでルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラー氏(1892-1984)の詩である。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチスが共産主義者を連れ去ったとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。
社会民主主義者でなかったから。
彼らが労働組合員らを連れ去ったとき、私は声をあげなかった。
労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れ去ったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
(引用以上)
「自分は当該集団の関係者じゃないから」と見て見ぬふりをしているうちに、自分がいざ迫害対象になったとき、社会には声をあげてくれる人はもう誰もいなくなってしまう。
統一協会への大バッシングは、実は、近々では該当する刑事事件はない。もちろん冒頭で私が述べたように幸福の科学も統一協会の邪教性は糾弾している。しかし、法に依拠することなく、マスコミ神が演出した憎悪という空気で、家庭連合の信徒に対する政治的差別を見て見ぬふりをしているうちに、空気による全体主義がいつ我々にあなたに襲いかかるかわからないのである。
そもそも宗教法人の解散要件に、いきなり岸田首相が民事事件を含めると自分たちが決めた閣議決定さえ覆したのは、マスコミ神にひれ伏したということであろう。国民の人権の保護のためにでなく、自分たちの党の保護を優先したのである。
宗教の邪教性は、宗教界による切磋琢磨により正していく。刑事事件を起こしていない団体の存続に関し、政治権力がマスコミ神の意をうけて恣意的に介入することは、全体主義への道をひらくものであろうと思う次第である。
取手市議会の良識に敬意を表したい。
一方で、マスコミ神にひれ伏し、国民の人権を蹂躙する国会を軽蔑する。
※取手市議会は、2021、2022議会改革度全国ランキング2年連続第一位を獲得している。