Forget-me-not | 加納有輝彦

Forget-me-not

花々の残像

独居老人世帯が増えていることは、仕事上でも、身近にしばしば経験します。

それまで自分で出来ていた庭の草取り、家具の移動等そのような事が思うようにできなくなる。

 リフォーム等でお世話になったお施主さんのそうしたサポートもしばしば。

本日は、庭の草刈り。草刈りといっても、充電式草刈り機のバッテリーが主役ですが。(笑)

 

 さて、庭を見渡すと、雑草と共に、可愛い草花の姿もチラホラ。

お施主さんに

「花が咲いていますが・・・?」

お施主さん

「いやー、かまわないから全部刈って綺麗にしたい。」

実は、「綺麗にさっぱり」という表現は、仕事を受けるにあたって数回強調されていた言葉。

 

 一応、確認して草刈り開始。

さて、いざ、刈りだしたら妙に小さな草花の可憐な姿が気になる。

 私は花と会話できるわけではないが、

 

「ごめんな・・。」と心でつぶやきながら草刈り機を稼働させた。

 

 「全部刈って」というオーダーを実行すべくどんどん進めた。

 

しかし、最終的に二か所、あまりの可憐な姿に、バッサリ刈るのがさすがにためらわれる花があった。私はその名を知らないが慎ましやかに咲いていた。

 

 「綺麗にさっぱり」というオーダーが頭によぎったが、それらを刈らずに残した。

 

さて、草刈りが終わった。
お施主さんは、歩行が不自由で、庭まで歩いて頂くことも大儀そう、それでも一応声をかけた。

「確認して頂けますか?」

 

すると、庭に出てきていただけた。

 

パッと庭を見ると、お施主さんの口から信じがたい言葉が出てきた。

 

「ここに花が咲いていたでしょ。可哀そうに・・・・。」

えっ? 私は焦った。

 

場所は違うが、

「二か所、花を残してあります。あそことここに。」

 

「そうか。」

 

と一応、安心されたような・・・。

 

私が思うに、綺麗さっぱりというリクエストは本当だったのだろう。しかし、いざ、綺麗さっぱりになった庭を見て、可憐な小さな草花が思い出されたのではないか。と。

 ひょっとして、独居老人の寂しさに寄り添って一生けん命咲いていた草花の残像が、お施主さんに「可哀そう」と言わせたのだろうか。

 

 綺麗さっぱりが、可哀そうになった。

 

無くして初めて知った、草花の愛といったら感傷的に過ぎるのかもしれないが。

 

 せめて、二か所、残した事がよかった。

 

なぜか、心の中で、何年も忘れていた、Forget-me-not/尾崎豊のメロディーが浮かんできた。


 

※写真は、イメージ画像

 

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