感染症全体主義の中で、宗教も一蓮托生 | 加納有輝彦は習近平国家主席の国賓待遇での来日に断固反対いたします。

感染症全体主義の中で、宗教も一蓮托生

昨年、7月の安倍元総理の暗殺以来、安倍さんの死を悼む声は、旧統一教会問題に完全にかき消された。誰がこのような展開を予想したであろうか。

一国の元首相が暗殺されたのである。

しかも、遭難現場は、記念碑等の建立の話は一切なく、原状復帰された。もう何事もなかったかのようだ。

 毎日毎日報道され、次の日には忘れ去られるニュースの一つのコンテンツに過ぎなかったかのようだ。

現実として、元総理の暗殺は、精神的余韻、精神的遺産を国民に残さなかった。そう安倍さんが生前尊敬した吉田松陰のようには・・・。今回、これに関しては、これ以上深入りしない。

その変わり、旧統一教会問題は、メディアの最大の報道コンテンツとなった。

自民党の議員は、国会議員、地方議員を含めて、今後一切旧統一教会と関係を持たないと我も我もと競って誓った。

そして、質問権を行使して、解散請求をするかどうかが関心の的だ。マスコミの圧力に押されて、解散請求へと誘導されるのであろうか。

 さて、旧統一教会の教義の誤謬、邪教性は、幸福の科学は90年代からすでに主張していた。それに関する出版物も複数ある。大川隆法総裁は、東大生時代、統一教会の教義「原理公論」の誤謬を、時の教会幹部に説き、相手は反論を諦めた・・・というくらい理路整然と語られたという。学生だった大川総裁の深くて高尚な教養の前に、教会幹部は反論が不可能であったのだ。

 さて、これを前置きとして、私は政治家の身勝手さを指摘したい。

私は、自民党の国会議員、たった一人でもいいから、こんなセリフを期待した。

「旧統一教会の関係団体に関係し、それが間接的に当該団体の信用を高め、それをもって霊感商法を間接的に私が支援したということなら、その間接責任を自覚し、反省したい。
 ただ、私の選挙を熱心にそれこそ無給、ボランティアで手伝って下さった旧統一教会の一般信者さんには、その恩義を感じ感謝しています。他の議員が、今後一切信者とも関係を断つと言っていますが、私は、たとえ『邪宗教』の信者さんであっても、日本国民として納税の義務を果たし、政治参加の自由の権利を有しておられるわけで、国会議員が、こちらの事情で、完全に関係を断つとはいかがなものか、私には理解に苦しみます。
 事務所への出入りを禁止にするとでもいうのでしょうか?共産主義国家で、一般党員に自己批判を迫り暴力を振るい、自由を奪うかの如く、いつから日本は共産主義国家になったのか。教団の指導者、幹部と、一般信者さんは、その対応は違うと思います。」

少し、冗長になったが、こんなニュアンスの事を、誰一人、言わなかった。

われもわれもと競って、今後、一切関係を断つ!と宣言したのである。

 選挙を無給でお手伝いして頂いたことへの恩義を、きれいさっぱり忘れるような輩は、私は許せないのであります。

私自身が、多くの方にお手伝いをして頂いた経験から、その恩義を忘れることはできないと思うのです。

 ふん、お前はお気楽な立場で、綺麗ごとを言っている。お前も、もし、同じ立場なら、大マスコミのバッシングの嵐の中、自己防衛にきっと走るだろうよ。生意気言うなと仰る向きもあるとは思います。

ただ、40年近く、仏法真理を学んできた立場としては、そのような自民党議員が存在することを期待したわけです。

 自己保存より、他者への恩義を優先する。もちろん、他者の悪を助長するという文脈ではないことはご理解して頂けると思います。

 お世話になった人、日本国民を自己保身を優先させて、我も我もと斬り捨てる。

見苦しい、日本人が最も嫌ったタイプの卑怯者のはず。

 時代が時代なら、それこそ国会議員が、安倍氏のように・・・。これ以上はやめましょう。

 重ねて申し上げますが、邪宗教の問題、正邪の問題は、宗教自体の切磋琢磨によって、石は池の下に沈み、美しい羽根は水面に浮かぶ・・・、国家権力が、強制的に決めるものではありません。

感染症全体主義の流れの中で、宗教も一蓮托生とは、日本の堕落もここに極まれり。

 

 

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