大村知事の面構え ~あいちトリエンナーレ全面再開~ | 加納有輝彦のブログ

大村知事の面構え ~あいちトリエンナーレ全面再開~

あいちトリエンナーレ全面再開。「一つの芸術祭のあり方をお示しできた」・・・大村知事

渡部昇一先生の洞察

戦後日本に一貫して流れている呪縛

それは
コリア系共産主義者の

「日本悪しかれ」という呪詛

文在寅氏がその権化として渡部昇一氏の洞察が正しかったことを余すところなく証明している。(笑)

今回の騒動もその文脈にあるように見える。

 

例えば、歴史教科書の伊藤博文の肖像画に、真っ黒な髭を落書きする類いの悪趣味なイタズラを芸術と称して粉飾し、税金で展覧会を行うとは狂気の沙汰と思う。

 

 

 私は、事の正邪を、内容とは別に、「表情」「面構え」で判断することがある。

前置きしますが、人の外見上の特徴をとらまえていじめるなどということは、品性下劣、人として絶対にやってはいけない事と私は思っています。
 これから書こうとすることは、ハンサムとか、美男子とか、そういうことではありません。

「面構え(つらがまえ)」について少しばかり言及しようと思っています。

 

 とりわけ大村知事は、子供のころ、犬に顔をかまれ、傷が残りいじめにあったといいます。そういったご苦労がおありになった方、逆にそれがバネとなって勉学に励み、今の地位を得ておられます。そこの点は、敬意を表します。

 

 さて、一連のあいちトリエンナーレ騒動に関する問題で、記者会見に応ずる大村知事の「面構え」がよろしくない。顔の作りではなく、表情です。
 天に開かれていない。

 

 歴史に関する謙虚な敬意、先人に対する「感謝」、そういったものの充溢が顔に現れていない。

 

泣き顔にもなっている。

 

 大村知事が神仏のご加護を頂いているのなら、「面構え」がよくなるはず。

今回の、大村知事の対応は、神々のご不興をかっている。


   神々に愛されている方のお顔は、額、眉間あたりからピカッと光が出ている感じがするものである。(独断)

 あるいは、わが国の歴史の襞に対する「日本人的感慨」を共有していないとすると、あるいは大村氏にまつわる「帰化云々」の話も本当なのかと、そのような深読みもしてしまうほど、今回の知事の対応は「日本悪しかれ」を体現しているかのような非日本的なものだ。

 

 

 

 

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