時間貧乏・奴隷階級層をつくるネット社会の罠 ~ 愛と連帯のツールとしてのネット社会の可能性 | 加納有輝彦のブログ

時間貧乏・奴隷階級層をつくるネット社会の罠 ~ 愛と連帯のツールとしてのネット社会の可能性

 

 

 以前、佐藤一斎の霊言「心を練る」:大川隆法著の中で、インターネットに関する指摘の箇所を引用した。

この部分である。 

~p159 いろんな道具がたくさんあるであろうけれども、「玩物喪志(がんぶつそうし)」、「おもちゃで遊んでいるうちに、本来の志を失ってはならん」という事を教えなければならない。・・・それに埋没する人が後を絶たない。・・・本来の志を失ったら、人間は「今回は失敗した人生を生きた」と言わざるを得ない。~

~p58 (スマホやインターネット)そういうものを開発している業者。彼らは・・・世界的な大金持ちになっとるわな。それは頭がよろしいのであろうけれども、使わされて自分の時間をどんどん失っている者たちは、実は、「奴隷階級」に落とされていることが分かっておらんということだな。~

 

 インターネットという玩具に膨大な時間を奪われ、本来の志を忘れ遊び惚けてしまう。一方で、ネットを通じてサービスを提供する側は巨万の富を得る。ユーザーは、彼らの奴隷階級に落とされているのだというわけだ。

 

また、「源頼朝はなぜ運命を逆転できたのか~令和日本に必要な武士の精神~」大川隆法著でも、

~P157 源頼朝「YouTubeだけで票が入ると思うとるんか。YouTuberなんか百万も二百万もフォロワーがいたって、ねえ?もう、十票しか入らん場合もあるんだからさ。もうちょっと足で稼がないといかんよ。」

(引用終了)

 

電車に乗っても、バスの待合でも、日本中そこらじゅうで、皆スマホを眺めている。

若い人は、ゲームに興じている人も多い。確かに、一人一人の時間を総合しマクロの目で見たら、膨大な時間がスマホに消費され浪費され、一方は富を得、一方は時間貧乏になるということであろう。

                            そんなわけでネット社会の光と闇について、抽象論でなく自分の体験で考えてみたいと思います。

 

 私は建設業界に身をおいています。

先日、足場屋さんの社長に「忙しそうですが、休みは取れていますか?」と聞くと、

「ここ三週間、一日も休日はとれていないです。」と苦笑。

 

また違う会社の若い職人さんも「三週間、一日も休んでいない。」という。(三週間というのは偶然の一致。)

 

 千葉県の台風被害で、屋根が飛んでしまった家人が、屋根の補修は、2年か3年待たなければならない。そんなニュースが流れた。平時でも職人さん不足、2~3年待ちというのは大袈裟な話ではない。(昨年の岐阜県の台風被害も約1年、修復に時間を要した。)

 

建設業界に限ったことではないだろうが、人出不足の業界は、忙しさは半端ない。

千葉県の特に、屋根工事に携わる人は、それこそ3年休めないような緊急事態であろう。もうお金の問題でなくなってくる。修繕を必要とする人も、工事する人も、体力が続くかの問題となってくる。

 

 今回の千葉県の被害は想定をはるかに超えるものであったが、平時でも人出不足の業界、特に中小企業は、休みを満足に取ることはできない。たまの休日は体を休めることが精一杯、社会に貢献するボランティアに従事するとか、そんな活動に参加する体力は残っていない。

 

 そんな三週間に一日も休めないような職人さん、個人事業主でも、私の政治活動に関心を寄せてくれる方がいる。

ある方は、ありがたい事に、熱心に私のブログを読んでいて下さる。年に二三回の慰労会、飲み会の席で、私のブログを引用して私を茶化す。私は苦笑しながらもそんなところまで読んで記憶していて下さるのかと感謝の思いも湧く。

 

 日曜出勤は当たり前、満足に休日が取れない方には、政治集会に顔を出すような時間はない。日曜日はヘトヘトである。

 一見、交通網が発達し、移動が自由自在の現代であるが、年中無休、正月も休めないサービス業も発達し、休日はヘトヘトで何処へも足を運ぶことができない「ヘトヘト層」も平成30年間の経済停滞を経て、増えている。

 

 

「ヘトヘト層」「自由時間のない層」は、ほんの隙間時間を利用して、スマホを眺める。若い人はゲームに興じることも多いと思うが、関心のある知人は、私のブログなど見て下さる。

 

 ネット社会の闇、負の部分だけフォーカスして、例えば、私がネットから離れ、ブログも書かなければ、このような人出不足で休みが取れない人々、年中無休のサービス業の人々との接点をなくしてしまうことになる。

 

 私も建設業界に身を置き、似たり寄ったりの生活をしている。十分な自由時間を持っていない。一人一人とフェイス トゥ フェイスで語り込んでいくことが理想だが、現段階では、それは事実上不可能である。

 

 このような文脈で、現代の技術の光と闇を認識しつつ、心ある人々と繋がるツールとして、愛の連帯のツールとしてネット・ツールがあり得るのではないかと思っている。闇の部分のみをフォーカスして、一切のネット・ツールを排除するような極端な行為は、愛と連帯から背を背ける行為であろう。

 

 時間に余裕のある方は、フェイス トゥ フェイスの繋がりを大切にされておられると思います。

 

ようは、それぞれの人々には、それぞれの環境の制約があるということだ。

それぞれの環境の制約の中で、

ある人々は、フェイス トゥ フェイスを基本に愛と連帯を模索していく。

自由時間のない人々は、隙間時間を利用して、SNS等のツールを利用して愛と連帯を模索していく。

 

 一番いけないのは、無目的に無益な時間をネット空間で消費・浪費することであろう。

 

 高次な目的の下、愛と連帯を模索する、つまり、自由のための戦いのために連帯していくツールとしてネットが有効に働けば、それは光の側面であろうと思います。

 

 もう一つ、ネット社会の忘れてはならない側面がある。

それは、大マスコミが、体制そのものになってしまって、現状維持のみがマスコミの目的と化し、新しい時代の要請にこたえられない「ホワイト・エレファント」になりつつあるということだ。

 体制そのものになってしまったカウンターとしての、ネット言論空間がある。玉石混交のカオスでありながら、既得権益のカウンターとしての使命は認めざるを得ない。

 

 

 

 戦乱を血を流し戦い、生き抜いた武者から見れば、現代の電脳社会は、まことに異様なクラゲのような実態のない漂流する社会に見えるのだろうか。

 

  電脳社会における「思想」「発信」は、魂の行動そのものでもある。同時に、地上に生きる者として「足を運ぶ」ことも忘れてはならない。これらをアウフヘーベンするべく、暗中模索の日々である。

 

 

 

 

 

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