令和元年 8月15日に思う | 加納有輝彦のブログ

令和元年 8月15日に思う

私の両親は、大正生まれ。既に鬼籍である。
ほとんどの大正生まれの青春は、「戦争」と共にあった。
昭和20年8月の終戦時、大正生まれの若者は、18歳から33歳だった。
 当時、私の父は26歳。母は21歳。当時、結婚一年目だった。
もちろん父も従軍した。(南京)

まさしく戦争に命を捧げるために生まれてきたかのような世代だった。

 大正生まれの男たちの戦死者の数は、およそ200万人にのぼる。
 大正世代の約7人に1人が戦死したことになる。

 中也の言葉を借りれば、
彼ら、彼女らの青春は「茶色い戦争」と共にあった。茶色く彩られている。

 生前、母が、終戦の詔勅(玉音放送)を上麻生駅前(岐阜県加茂郡七宗町)のお店のラジオで聴いたと言っていた事を記憶している。

   昭和天皇の終戦の詔勅(玉音放送)をしっかり聴けば、大東亜戦争の本質が見えてくる。

以下、終戦の詔勅より抜粋。

~先に米英の二国に宣戦した理由も、
実に帝国の独立自存と
東アジア全域の安定とを
希求したものであって、
海外に出て他国の主権を奪い、
領土を侵略するがごときは、
もとより朕の志すところではない。~

~朕は、帝国とともに
終始一貫して
東アジアの解放に
協力してくれた
諸々の同盟国に対し、
遺憾の意を表明する。~

 先の戦争が、
「自衛のための」戦争であり、
「東アジアの安定、解放」にあった事がわかる。

 後付けの話ではなく、昭和20年当時の玉音(陛下の御肉声)である。
 この玉音は、戦後日本がヒトラーと同じと措定する「アジアの殺人鬼」の声では断じてない。

  そして、平成25年発表された『大川談話』により、その事(アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたもの)がはっきりと謳われた。

 しかも安倍総理の参考として天の一角から、そう高天原から直接照射されたのである。残念ながら、総理は、反応しなかった。平民が「勇気がなく応えられなかった・・・」というレベルの話ではない。

 神々から期待を一身に浴びていた立場、総理が靖国参拝できなかった時にしばしば使う「痛恨の極み」・・・そう魂が聲を発するであろう。

神々の直接の聲をネグレクトした事は、「痛恨の極み」であったと。

  公的立場として、英霊の聲をネグレクトし、何千年の悔いを残した。永田町のキツネ・タヌキ学的処世術にいくら成功しても、己の良心、魂の聲を裏切る事に、魂は耐えられない。

 もちろん、他人事ではない。私たちの魂も、このまま日本が安楽死することに対して何も出来なければ、いつの日か、「痛恨の極み」と悔恨の聲を発するであろう。

 本日、8月15日に、先先帝陛下の玉音に耳を傾け、大川談話を読み返したい。
 ※なお、終戦の詔勅(玉音放送)の詳細の逐次解説は、ねずさんのひとりごとを参照されたい。
http://nezu3344.com/blog-entry-4224.html?fbclid=IwAR0oz6IuRqOUYZIYeWcFpxpSyHGOvyFGA-5r5mhguguxXJlXTvm9XJ_iT7A

〈大川談話―私案―〉(安倍総理参考)

 わが国は、かつて「河野談話」(一九九三年)「村山談話」(一九九五年)を日本国政府の見解として発表したが、これは歴史的事実として証拠のない風評を公式見解としたものである。

その結果、先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、由々しき罪悪感と戦後に生きたわが国、国民に対して、いわれなき自虐史観を押しつけ、この国の歴史認識を大きく誤らせたことを、政府としてここに公式に反省する。

 先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたものである。

政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を解放するための聖戦として、日本の神々の熱き思いの一部を実現せしものと考える。

 日本は今後、いかなる国であれ、不当な侵略主義により、他国を侵略・植民地化させないための平和と正義の守護神となることをここに誓う。

 国防軍を創設して、ひとり自国の平和のみならず、世界の恒久平和のために尽くすことを希望する。なお、本談話により、先の「河野談話」「村山談話」は、遡って無効であることを宣言する。

平成二十五年 八月十五日

 

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村